建築物の夢

投稿者: | 2007年4月2日
インフルエンザからようやく復帰。
39度以上の熱が三日以上続いて、体力がガタガタになりました。摂氏39度といったら華氏で102.2度ですよ。だからどうだという話ですが、なんか華氏 で表現すると本当に「死にそうなくらいの高熱」という感じですよ(無意味)。やっと熱が引いた・・・と思ってベッドから立ち上がったらあまりに体力が落ち ていて膝が笑いました。

ところで、若い頃から精神的に何かわだかまりがあったり、漠然としてはいるけれど実はかなり悩んでいる状態であったりするとき、よく建築物の夢を見 てきました。巨大で、奇妙で、たいていの場合やや迷宮化している様々な建築物。普段の自分では思いつかないような面白いものがいろいろあって未だに記憶に 残っているものもあります。
広大な階段室の中空に、交わらず、到達先の違う長い階段が幾つも交差しているホテルなんていうのは奇妙ではあっても割と思いつきそうではありますが、百貨 店の中にエレベーターでは決していけない特定の階があり、そこに数十メートルの高さに及ぶインカのピラミッドの小型版のような構造物があり、頂上まで登り きると実は百貨店の屋上を突き抜けて吹きさらしのてっぺんに出てしまうなどいうのは、日常の私には考えつきません。

建築物の夢全体はドラマチックであることはほとんどなく、静かで、曖昧模糊としてることがほとんどです。百貨店の夢にしてもその構造物の階にたどり 着くまではちょっと退屈しながら、あまり流行ってなさそうな、微妙に照明が薄暗い食品売り場をなんとなくうろうろしていたりするだけだったりします。
ドラマチックだったのは覚えている限りでは二回だけで、ひとつはかなりタフなマウンテンバイクでなぜか色々な建築物の屋根から屋根へと飛び移りながら走り 続けるというやつでしたが、これも誰かに追われているなどの理由があったようではなく、とにかくそうしているだけ、でした。
もう一回はおそらく自分がその後「建築物の夢」というジャンルを意識するきっかけになったとても若い頃(高校生の時)の夢で、この時はヨーロッパ風の夜の 広場を囲んで立ち並ぶ高い塔のひとつから飛び降りるという派手なものでした。ただこの時の気分は、自殺願望というより生まれ変わりを半ば確信して飛び降り ており、事実飛び降りた直後に弟とうれしそうに夜の広場でシーソーにのっていました。
非常に幼い頃に死んだ双子の弟のことを夢の中で曲がりなりにも姿を思い描いたのは後にも先にもこの時ただ一度だけだったという点でも、今でもよく記憶に残っているものです。

・・・で、実はここまでは全部ある意味「前ふり」です。
ここまでお話ししてきたことからおおよそ皆さんも想像されるとおり、若い頃は建築物の夢を見るとそれが今の自分のどんなことを現しているのか、などとよく真剣に考えたものでした。
インフルエンザの症状が現れる前夜も、久しぶりに建築物の夢を見ました。
でも何ほどのものでもありませんでした。妻と一緒に仲良く、閉館間際の博物館をうろうろしているだけでした。全体に薄暗い、閉館間際で照明が落とされてい る部屋もあちこちにあるがまだ鍵はかかっていないので、思いがけず変な暗い部屋に踏み込んでしまうことがある等々、建築物の夢のある種のお約束は守ってい るものだったなとは思いますが、妻と仲良く手をつないで歩き回っているということからも感じられるように、なにか精神的な不安や迷いが色濃く反映されてい るとも感じられません。
どうやら最近私の体は、単に体調が悪い、ということでも建築物の夢をサインに使うようになったらしいです。
ある種の手抜きというか、怠慢・退廃のような気がして、苦笑いしたものでした。