『デューン砂の惑星』シリーズ フランク・ハーバート:私的な古本屋さん

投稿者: | 2010年11月13日
デューン砂の惑星 (1) (ハヤカワ文庫 SF (76)) デューン砂の惑星 (1) (ハヤカワ文庫 SF (76))
フランク・ハーバート,矢野 徹 早川書房
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に始まって『砂の惑星』が4巻、『デューン砂漠の救世主』、『デューン砂丘の子供たち』が4巻…等々延々と続いていくSFの大シリーズなわけです が、まあこれを映画化したことは無謀だったし、さらにリメイクの話も正式に出ているそうですがそれもまた無謀じゃないかと思います、いや全くのところ。

なぜってこれは確かにSFではあるし非常に印象的な環境の中で展開されるのは確かなんだけれど、話の殆どの部分は実は政治と宗教であって、映像化して目を楽しませるシーンは実はかなり少ないんだよね。
いやそれは正確ではないな。シリーズ中にはたとえばいきなり小型核兵器が使用されてしまうシーンがあったりするし、巨大砂虫に乗る(誤解を招きかねないけ れどスケールとしてナウシカの王蟲に乗るかそれ以上のダイナミックなバランス)有名なシーンや決闘シーンなどもあり、映像化に向いているシーンはいろいろ ある。でも作品全体のバランスからすると、主要な人物達が延々とああでもないこうでもないと考え込み、延々と議論し、延々と駆け引きし、そして、たまに、 そういうシーンが来る。
個人的にはこの延々と…が続いてたまに不意にひどく暴力的なエピソードが来る、というバランスそのものが人間の真実味のある生活リズムを思わせると感じているけれど、人によってはちょっと退屈で耐え切れないかもしれない。

環境問題(というよりエコロジー)を正面から取り上げた最初期のSFという言われ方をしているけれど、少なくとも読み返してみるとこれは要するに政 治ファンタジーだな、と個人的には思います。しかも単に理想論を描いてみたのでもなく、宗教に頼るのでもなく、かなり現実的で苦い。ファンタジーと言った のはあくまでも架空の環境・架空のSF的条件のなかでの政治を描いているからで、べつにふわふわ甘いという意味合いじゃありません。実の家族間でも容赦な く死ぬにまかせたりします。
でもそういうところまで描ききったのはやっぱりちょっとすごいかな、と思うわけです。

最後に余談。
このシリーズにはものすごく頭がいい人物、ものすごく観察力が鋭い人物、情報分析能力がコンピューター並みの人物などがぞろぞろ出てきます。はじめのうち は、これっていわゆる作家はなんでも知っているけれどそれを正面きっては書かないものだ、という暗黙の制限をはずしちゃって実は楽しているんじゃないの、 などとちょっと疑ったんですが、話が進むにつれてそのずば抜けた人物達同士が互いに深読みし、騙し、読みきれなくて迷い…ということを延々と始めてしまう ので、やれやれ作者はより難しいことを自分に押し付けたんだな、そういうSF設定にしちゃったから、と呆れたものでした。

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