キホンのホ[あとがき]

投稿者: | 2011年4月15日

キホンのホはなぜ書かれたか

私は『キホンのホ』を主として、営業という仕事の経験がほとんど無く、間違った思いこみを持っている方に向けて書きました。
そもそも多くの人に会って回ること自体が苦手で、営業職に配属になった瞬間から精神的な苦痛を感じている人もあるでしょう。
人に会うこと自体は嫌いではなく、毎日変化のある仕事を初めは楽しんでいたつもりなのに、現実には営業成績が伸びず、「人と会ったり話したりするのが好きだ」というだけではうまくいかないものだなぁという壁にぶつかってしまった人もあるでしょう。

そんな方に営業を続けるよう強要するつもりは、全くありません。
けれども、壁にぶつかっているようではあるけれど、それを過ぎれば優秀な営業さんになるだろうなぁと思える方を何人も見てきました。それが出来ないだけで、才能を無駄にするのは本当にもったいないなぁ、と。
残念ながら、そのように思って見守っていた方の多くが結局は営業の仕事をやめてしまわれました。

営業は想像しにくい

ご実家が店舗であったり、ご両親が自宅で何らかの自営業を営んでおられたりした方は別ですが、それ以外の大部分の方にとっては、商品やサービスを営業するということ自体に触れた経験が全くないでしょう。
たとえ親御さんが営業職についておられたとしてもそれは「会社」でのことで、ご自宅内で親御さんがそういう行動をする姿はほとんど見たことがないでしょう。
そういう方々にとって営業という仕事は、社会に出てから生まれて初めて触れる不思議なものです。
事務職であれば長い学生時代の作業と多少なりとも重なる部分があり、(いろいろと戸惑うことはあっても)それまでの人生経験の延長として思い描ける余地があります。
しかし、営業はおそらく無理です。

このショックや戸惑いからどうしても抜け出せない方々というのが案外たくさんいます。そして、実際の営業の仕事自体がうまいかへたかというのは違う部分で半永久的に悩み続けることになってしまっている方も多いような気がしました。
そのような方々に、自分が今直面している「営業」という得体の知れないような気がするものは、そもそもは一体何なのか、ということを、ちょっと足をとめて見つめてもらいたかったのです。

私が営業について書いたことの背景

私は幼い頃から本が好きでした。そのまま典型的な文学青年といっても良いようなものになりました。そして(実にありがちですが)そのまま本屋のアルバイトを始めました。
しかし何年か経つうちに、本が好きだということと本を売りまくるということはどこか全く違う部分がある、ということに嫌でも気付かされました。

たとえばの話ですが、元文学青年である自分はバルガス=リョサを売りたいと思っているが、その一方で確実に店舗に利益をもたらしているのは某エロ小説文庫だというようなことについて、自分の中でどう折り合いをつけたらよいのか、というようなことです。
「そんなこたぁ、きっぱりと割り切ればいいんだよ。ばかばかしくても、くだらなくても、金をもたらしくれるものはどんどんナニしておいて、その上がりの余剰でいいものを地道に提供すれば何も悩むこたぁないだろう」という声が四方八方から聞こえてきそうです が、少なくとも若かった私には、それは出来ませんでした。

悩んだあげくに、高価な商品をアポイントを取って売り込むという、全く未知の仕事にあえて就いてみたりもしました。そんな状態でもやっぱり買う人が実在するということに、びっくりしたりしながら過ごしました。

正直に言うと、入社面接の時に提出した小論文をいきなり最終ページから読み始めるという素敵な行動をとった社長に、ちょっと惚れたという理由でその会社に入った、という面もあります(笑)
だから初めからそのような仕事こそをやろうと、明確に意識して選んでいたわけではないけれど、結果としてそれは自分にとってとても良かった、というのが本当のところです。
 

そうこうするうちに次第に分かってきたことは「自分は本を、勝手に自分のものだと思っていたな」ということでした。
他人がなぜ本を読むのか、なぜこの本を選ぶのか、ということをほとんど考えたことがなかった。
バルガス=リョサとエロ小説文庫の対立などというものは、私の頭の中に存在しているだけ。本は、買う決断をする一人一人のためにあり、その決断の理由もまたその人 々の勝手だということを本気で認めていない、実に傲慢、狭量な人間だった、ということに次第に気付いていきました。

やがて私はまた書店の仕事に復帰しましたが、それからは何かが売れていれば少しでも自分で実際に読んでみるようにしました。エロ小説でも、ちょうど勃興期 だったティーンズ小説でも何でも読み、自分個人としては好きになれなくても、これを読む人々は何を求め、何を楽しみにしているのだろうと考えるようになり ました。
「売れていれば、それがお客様が喜んでくれているということだ」と思えるようになるには、それからさらに何年も何年もかかりましたが、そうやって苦労しいしい、ものを売るということを発見していったのです。

きれい事ではすみませんが

…と、きれいにまとめてしまえばもっともらしくはあるんですが、実際にはこの程度で全てが丸く収まるほど、本を巡る仕事も、もっと大きく言えば資本主義経済の仕組みというものも、そう単純ではありません。
しかし、そのようなことからずっと目をそらして働いていくよりも、一度は本気で取り組んでみた方が「あとで」楽しくなるのは本当です。

今までストレートに書いたことはあまり無かったと思いますが、私は「本は文化だから守らなければならない」的な発想が大嫌いです。
文化とは、ある社会を構成する人々によって習得され、共有される行動様式や生活様式全体のことです。
ある文化が「良い」ものであったり「悪い」ものであったり、より「高い」ものであったり「低い」ものであったりすることはありません。

私の偏見だろうとは思いますが、そもそも本を文化として守ろうということをことさら声高に唱える人々は、内心はエロ小説の大群や成人指定のコミックスのことなど本気で考えてはいないように見えます。
もっと言ってしまえば、2ちゃんねるの吉野家コピペの傑作を堪能したこともないかもしれませんし、その一方では『源氏物語』や『失われた時を求めて』を完読したこともないかもしれません…いやそれこそ偏見というものですね(笑)
文字を読んで楽しむという文化は本当はきわめて広いものだ、ということを言いたいだけです。

食文化というものは確かに存在しています。しかし、限定された時期や地域で権力者個人の権威で保護された場合以外、食はおそらく一度も保護などというものは受けたことがないはずです。
街角の食堂や総菜屋さんから中華街の最高級料理店にいたるまでの全ての食に関わる人々と、それらを自主的に選んで食べ続けてきた人々が、自分たちの力でそれを維持してきたのです。
まさしく「ある社会を構成する人々によって習得され、共有される行動様式や生活様式を文化と呼ぶ」という理解どおりです。

当たり前のこと

本もね、みんなの力で、自主的にやっていきましょう。
それが「文化」なのかどうかとか、ましてや「すぐれた文化」なのかどうかなど考えなくて良いのです。
あるものはある人にとっては面白く、同じものが別の人にとっては屑に過ぎない。それで当たり前です。
あなたが営業する本のひとつひとつの先に、そういう当たり前の文化が広がっているのです。

※ご注意:一部の記事は書かれた時期が古いために現状と合わない場合があります
この文書の趣旨」でもご紹介しているように当コーナーが本にまとまったのが2008年(実際に原稿をまとめたのは2007年暮)なので、多くの記事はそれ以前に書かれています。
そのため一部の内容は業界の常識や提供されているサービス・施設等、また日本の世間一般の現状と合わない可能性があることにご注意下さい。