説明会はねむい

投稿者: | 2011年4月16日

出版社さんの「説明会」は眠い

いきなりこう決めつけてしまってはムッとされる方もあるでしょうが、残念ながら眠くなかった説明会はほとんど思い出せません。
申し訳ない。でも本当です。

眠いというのには、単純に二つの理由があります。
大抵の書店員は説明会に参加するためにいつも以上に大急ぎで仕事を片づけたり納品を捌いたりしてから会場に来ることが多い。そして、会場に座っているとどっと疲れが出てきて眠くなりがちだ、というのが理由のひとつです。
もうひとつは、説明会の演出が下手だ、ということです。

この二つは、別々のものとしてとらえるべきではありません。
「参加者がそのような状態で来ることが多いのであれば…」という前提で考えておくべくだろう、ということです。

説明会はプレゼンだ、営業だ

出版社さんが催すいわゆる「説明会」は、新商品の発表会であったり新企画の説明会であったりするわけですから、今更言うまでもありませんが、間違いなくプレゼンテーションです。
新商品を積極的に仕入れてもらったり、新企画に積極的に参加してもらったり、それらの詳細を把握してもらっていっそうの販売努力をしてもらいたいというのが目的のはずですから、これはどう考えてもプレゼンテーションです。

そしてもちろんこれは、「○○出版」としての肩書きで多くの書店さんや関係企業に対して、企画や商品を売り込む大がかりな営業活動でもあります。

しかし、いくつも参加させていただいた説明会で、プレゼンテーションとして感心した・楽しかった、と思えたものはほとんどありませんでした。
そもそも「これはプレゼンテーションなのだ」と、説明会に臨む関係者全員が真剣に受け止めているのか?と疑問に思うほどひどいものもありました。
これは営業活動だということがちゃんと意識できていますか?

リストアップする・短く分ける・抽象をさける

リストアップする

企画や商品そのものが「興味深い」要素を沢山持っていたとしても、それを相手の頭に的確に叩き込まなければなりません。説明会は、そのための場です。
様々な要素の中で最も印象的なものは何か?
絶対に記憶にとどめてもらいたいことは何か?

その商品や企画が持っている要素をリストアップし、重要度でランク付けします。そして、上位三つだけを徹底的に相手に伝えることを目指します。

時間がなければ、もっと減らします。
強い熱意が感じられる説明会の場合でも、ありとあらゆることを説明しようとして結局よく分からなくなっていることがよくあります。

短く分ける

飽きさせないためには、話を短めの区切りで組み立てます。
「○○ですが、○○という面もあり、○○を考慮すれば○○と言え ます」というような説明は、可能な限り分割できる部分でぶつ切り にします。

  • ○○です。
  • ○○です。
  • ○○も考え合わせます。
  • つまり、○○ということです。

出来るだけ前に戻ったり、「あとで詳しく申し上げますが」と後ろを聞き終わらないと判断できない含みを持たせたり、ということは避けます。ひとつひとつ断言しながら、前へ前へと進みます。
このひとつひとつの単位を「もっと短くできないか」と常に考えて計画を練り直します。

抽象をさける

ひとつひとつの単位を「図解」出来るかどうかもテストします。
話の内容によってはどうしても図には出来ないという場合もあるでしょう。しかし可能な限り「今自分が話していることを図にして示すとしたら?」と考えてみます。

図にするには抽象的な用語はいけません。具体的なイメージが思い描ける用語が必要です。
また、図が一目で把握できないほど複雑なものになってしまうようなら、その話の単位は複雑すぎます。おそらく聞いている方も混乱する可能性が高いでしょう。さらに分割しましょう。

「資料」をつくるのではありません。
あくまでも話すことそのままの「図解」です。 
 

たとえばこのようなことです:
人生」などという抽象的な用語はすぐれたデザイナーでもなければなかなか一枚の図には出来ません。しかも、含んでいるものが多すぎて図が複雑になります。
誕生」これなら図に出来ます。
次は?「成長」?これはダメです。抽象的です。
初めて立って歩く」や「入学」なら大丈夫です。
このように考えていけば、抽象的な言葉・抽象的な説明を連発して強力に眠りを誘うという大技を発動しなくてすみます。

「お手元の資料」を見させない

「お手元の資料の××枚目を見ていただくと分かりますが…」といったような発言をされる方が、非常に多いです。まず何ページを見たあと何ページに戻ってそこの表を見ながら話を聞けなどという、もっとひどい時もあります。
勘違いしてはいけません。資料はあくまでも資料であり、プレゼンの途中で相手にせっせと参照させるものではありません。
会が終わるまで一切資料を見なくても話の主旨がはっきりと理解できるようにしなければいけません。

ええ?せっかく時間と手間と予算をかけて立派な資料を作ったのに、本当に見させてはいけないの?
いけません。
資料はプレゼンテーションを聞いた人があとで記憶を再確認したり、裏付けデータを検証したり、社に戻ってからさらに他人に説明する時の道具として使ったりするものです。

 

顔を上げて

自分自身が資料に顔を埋めるようにしながらしゃべり続ける方も多いですね。
プレゼンテーションを受ける方はあなたの伏せた顔、じっと動かない姿勢を、延々と眺めさせられて何か楽しいわけですか?

誰かがあなたに話を聞いて欲しいと言ってきたとしましょう。
やってきた相手は資料をあなたに渡し、自分もその資料を見ながらちっともあなたを見ずに、延々と説明を続けます。それなりに熱のこもった説明かもしれませんが、ごくたまにチラッとあなたを見やるだけです。
楽しいですか?
身を入れて聞けますか?

資料の内容や話すべきことは事前に暗記し、その場に臨んだらとにかく会場の人々を見ましょう。見なければ、人々がどのような反応をしているかを確かめることも出来ません。
「よく分からん」という顔をしているようなら、さらに平易な言葉で言い直してみるとか、たとえ話を持ち込んでみるとか、とっさの変更が必要です。
反応を無視して当初の段取り通りにどんどん進めていけば、再び催眠術を発動してしまいます。

アクションは大きく

ごく小さな会場で集まってもらう人数も少ないのであれば、日常会話と同程度の身振り手振りでかまいません。しかし、数十人から百人になるような大きな会では、それでは何も伝わりません。
そもそも後ろの方の席の人には、あなたの日常と同じ身振り手振りでは小さすぎて動いたことさえはっきりとは分かりません。

普段あなたが何かを指し示す時に手首から先だけを動かすなら、会場では肘から先を動かします。より大きな会場では肩から先の腕ごと動かします。

よく分からない?
こう考えてあなたの身振り手振りを決めていけばよいでしょう。
すぐそばに相手がいてさようならをする時は、ほんのちょっと手を挙げるとか、ちょっとうなずくとかですませるでしょう。
相手がすでに遠くに離れている時なら、自然と大きく手を挙げるとか、それをさらに大きく振るとかをするでしょう。ちょっとうなずくというのは、相手に判別できそうもないので意識するまでもなく選択肢から外しているはずです。
こういった判断を意識的に延長して、会場での身振り手振りを考えればよいのです。

どうしても身振り手振りに自信がなければ裏技があります。
派手で単色に近い上着を着てください。
赤や黄色のジャケットを着るという手もありますし、それはあんまり恥ずかしいというのであれば、中に着るシャツなどをそういうものにしておいて、演壇に上がったら上着を脱ぎます。
すると身振りをするたびに、ちょうど旗を振っているかのような効果が得られます。
ばかばかしいと思いますか?
では、きちんと身振り手振りを身につけましょう(笑)

時間を計って事前練習

諸々のことに注意を払いながら、事前に実際に声を出し、身振りをまじえて、予行演習をします。
その時必ず話し終わるまでの時間を計ります。

どうせ「○○さんは何分」と決められているからそれでいいということではありません。
本題にはいるまでが長すぎてだれないか。
話の区切りごとに一呼吸入れまでの間隔が長すぎないか。
一番伝えたいことに一番時間を割いてあるか。
時間が不足気味になって肝心の結論部分が駆け足になってしまわないか。
といったようなことを時間を計りながらやってみます。問題があれば時間の割り振りを変えて満足がいくまで繰り返します。

完璧を目指さなくてもかまいません。
現実の会場では思いがけず反応が悪かったり、逆に反応が良すぎて詳しい説明を端折っても大丈夫だったり(詳しい説明を続けるとかえって飽きてしまわれそうだったり)、というような予期できないことが起こります。完璧にシナリオ通りに行くことはまずありませ ん。
しかし、ほんの数回でも時間を計りながら予行演習をしておくだけで、あなたのプレゼンテーションは良くなります。
時として、本当に、劇的に良くなることさえあります。

その人に語りかける

大人数相手のプレゼンテーションはそもそも難しいです。
少人数であれば聞き手も最低限の集中はします。ところがある一定人数以上になると「これだけの人数の中で自分一人くらい居眠りしていてもどうせ分かりはしない」という気持ちになります。数人の集まりで居眠りしようなどとは考えもしない人でも、大人数になると違います。
実は私もしばしばそのような気分に誘われます(笑)

聴く側がそのような気分を誘われるのには、話す側にも問題があります。
大人数を相手にすると、誰に向かって話しているのでもないけれどもとにかく皆様に向かって話している、というとても中性的な話し方をしてしまいがちです。それがなんとなく「公(おおやけ)」な雰囲気の話し方だという気持ちになりがちです。
しかし、そもそもそういう話し方というのはあり得ません。誰に向かって話しているわけでもないのですから、それは「独り言」です。
延々と独り言を聞かされれば居眠りもしたくなります。

勝手に作り上げたキャラクターでも良いので、具体的な人間を想定し、その人に向かって語りかけるつもりで事前の準備をします。
この架空のキャラクター37歳、やや太り気味でせっかち、眼鏡、髪は案外豊かで少し長目、退屈してくると一見熱心に聞いているように盛んにボールペンをひねくりまわすこの人に向かって話している、という感じで準備します。
実際の会場に立ったら、本当に熱心に聞いてくれている人を出来るだけ早く見つけて、その人に語りかけるつもりでプレゼンをします。
これだけでも、眠りを誘う中性的な語りとはずいぶん違ってきます。

なぜ自分は語るのか

いわゆるプレゼンテーションのノウハウを書いたような本にはたくさんのテクニックが紹介されています。そのような本を読んだことのある方からすれば、ここに述べてきたようなことは全て「何をいまさら」ということばかりでしょう。
しかしそのような本を読んで「テクニック」を勉強するのは、もっとずっと後でいいのです。その前に、一体自分はなんのために説明会をするのか、ということをよく考えてみる必要があります。

なぜ説明会を開くのか。
話すことで何を得たいのか。

最低限のことですが、自分自身でそれがはっきり分かっていないまま演壇に立てば、プレゼンは失敗するでしょう。ひいては参加してくれた人々の時間も無駄につぶすことになるでしょう。
わざわざ集まってくれた人々の時間を無駄につぶすことは、とても失礼なことです。
思いがけないほど美味しいケーキを出そうが、入場・退場の時に腰の関節が外れそうなくらい最敬礼をしようが関係ありません。プレゼンテーションの中身そのものが有意義でなければ、どんなことをしても失礼なのです。

※ご注意:一部の記事は書かれた時期が古いために現状と合わない場合があります
この文書の趣旨」でもご紹介しているように当コーナーが本にまとまったのが2008年(実際に原稿をまとめたのは2007年暮)なので、多くの記事はそれ以前に書かれています。
そのため一部の内容は業界の常識や提供されているサービス・施設等、また日本の世間一般の現状と合わない可能性があることにご注意下さい。