そうだ書店へ行こう

投稿者: | 2011年4月20日

なんとなくデジタル…ではない

メールマガジンのサブコンテンツとして Windows の小技についての連載していたり、このサイト内にもオンラインソフトの紹介コーナーがあったりする関係で「石塚のカーネルはモノシリックなマルチタスクで 分散アーキテクチャなインターネット・コラボレイテッドのナニだ」という感じに思われているふしもあります。
…それっぽい言葉の羅列はもちろん冗談ですが、とにかくデジタル機器や技術を出来るだけ活用して効率よくという、「デジタル派」だという印象ですね。

少し、違います。
効率がよいにこしたことはないという面では半分だけ正しいですが、それが考え方の中心にあるわけでは全くないという意味で、違います。

私が初めてコンピュータを使い始めたのは、書店の平社員から店長に昇進した時でした。それ以前から趣味でコンピュータをいじっていたのだろうと思っておられる方もいるかもしれませんが、そうではありません。
店舗の業績・各分野の実績などを、スタッフにビジュアルなグラフで把握させたかったのです。
数値だけではダメで、見た瞬間に「どうなっているのか」が直感的に分かって欲しかった。
もちろん手書きでも、出来なくはありません。
しかしその当時、大量のデータを手作業で計算し、さらにグラフを描くというようなことをじっくりやっている時間は全くありませんでした。
その作業時間を圧縮する。絶対にやりたい仕事上の目標を、時間や手間がかかりすぎるからという理由で放棄しない。
それを実現してくれるのは(秘書や事務専用スタッフがあり得ないわけですから)コンピュータだけでした。数日後にはコンピュータを購入しました。

振り返ると自分でもちょっと驚きますが、出発点の動機は徹底してビジネス用途であり、その結果何が出来るようになりたいのかという目的もきわめてはっきりしていました。
他人に何かを提供したいから自分の作業を効率化する。「作業」は効率化して、残った時間でスタッフと「仕事」がしたかったのです。

もっとずっとあとのことです、コンピュータの持つきわめて豊かで曖昧な可能性に気付いて、道を踏み誤っていくのは(苦笑) 
 

効率追求にひそむ過ち

最近デジタル機器やデジタル技術の導入で「効率追求」をしたのだから正しい、という短絡的な考えを本気で信じかけている人々が、少しずつ増えてきているような気がします。
たとえば、徹底して電子化したから営業の人間が直接書店へ出向くのは半年に一回でじゅうぶんだ、というような意識です。
まだ表立ってそのような発言を大いばりでしてしまう例は少ないようですが、気持ちのどこかでそのような思いに侵され始めている人はきっといるでしょう。
忘れたり、勘違いしたりしてはならないことが三つあります。

  1. 効率は、自分たちのためだけに追求しても意味がない
  2. 人間と人間の対話に勝てるものは、まだ無い
  3. データ分析からは漏れ落ちるものがある

効率は、自分たちのためだけに追求しても意味がない

効率化は誰のためか

非効率な作業手順があちこちにあることは大変良くない。これは全くの正論です。時間あたりに完了できる量が少なかったり、コストが高かったりしない方がよいのは当然です。
しかし、なぜ「その方がよい」のかということには二つの側面があります。

同じ内容の仕事をするのであれば、時間や経費というコストが低い方が会社経営が楽です。また、同じコスト内でより多くの仕事が出来るのであれば総売上高がより多くなることが期待できます。
しかし、それらの仕事に最終的に対価を支払ってくれるのは顧客ですから、顧客が御社の仕事ぶりに満足するならば、御社の効率追求はよい結果をもたらすであろう、と言うのが本当のところです。
「総売上高がより多くなることが『期待できます。』」という中途半端な言い方をした理由はそういうことです。
極論ですが、御社内が極限まで効率化されても、その結果から生まれてくる仕事が顧客に全く支持されなければ、効率化の効果はゼロです。

多くの方はこのことがきちんと分かっています。
しかし、ごく一部に「自社はこのように効率化したから、顧客であるあなたはそれに合わせなさい」という態度を無意識にせよ、当然のようにとってしまうところもあります。

たとえば、受注業務は全て FAX「でしか受けられません」と言い切ってしまうのは、顧客のためになる効率化でしょうか。
全体的・長期的にみれば、顧客のためにもなります。ミスが減る・統一システムに載せられて処理が早くなる等々のたくさんのメリットがあります。
しかし「でしか受けられません」と言い切る態度には、顧客のために仕事をしているという基本が感じられません。
今時 FAX が無いところはまずないだろう、個人宅にだって大抵あるよ、という思いは一見常識の範囲内の穏当な考えのようでいて、そうではありません。
今はたまたま御社の効率化のために FAX を選んだだけで、もし「効率化のためには受注は全てメールと Web だけだ」ということになったら、やっぱり平気で「…でしか受けられません」と言い切ってしまいそうです。

デジタル機器の不調がサービスを提供できないことの言い訳に

デジタル機器の不調がサービスを提供できないことの言い訳になり得るという間違った考えにも、同じような勘違いがあります。
今は昔、デジタル機器の主な記憶媒体がフロッピーディスクであった頃は「うっかりフロッピーにコーヒーをこぼしてしまいまして…へへへ、どうもすいません」という言葉は、なぜか書類が遅れたことの言い訳として通用しました。
なぜだかその頃は「それなら仕方がないな」と顧客も勘違いして納得してもらえることが多かった。

しかしもちろん、これは本来通用しないものです。
事実として当時のデジタル機器全般が信頼性が低かったとしても、そのように信頼性の低いインフラで顧客サービスをすることを選択した責任は100%自分の側にあります。
本来なら「だから許してください」と言えるすじのものではありません。
今も似たようなことが沢山あります。
サーバが落ちる、データベースが不調、といった「自分にはどうにも出来ません」レベルから始まり、うっかり受信メールを全部消してしまいました、PC が不調になりましたがバックアップがありませんでした、といった「実は単なる不注意」レベルまで、ありとあらゆることで『なにせデジタルなもんで』的な言 い訳が横行しています。
『なにせデジタル』なのか、逆に『いまだにアナログ』なのかは、サービスを受ける顧客にとっては、本当は全く関係ありません。

このような問題点は、実際にはずっと昔からありました。今に始まったことではありません。
しかしデジタル技術や機器が当たり前のように使われるようになるに従って、一層はっきりしてきました。許される幅が新たに広がったかのように勘違いして振る舞う人々も出てきました。
台風や大地震、火山の噴火であれば、それは確かに誰にもどうしようもありません。書類を遅らせないように台風をとめろとか、噴火を消せとは誰も言いません。
しかし「なにせデジタル」なものが、なにかしら台風や噴火「のようなもの」であるかのようにいいわけに使われる場面には、良く遭遇します。

電車とその運行システムの全てをきちんと理解することは、私にはとても出来ません。しかし「なにせ電車なんで」という言い訳が通用しないことは分かります。
デジタル技術や機器でも、それは同じです。

人間と人間の対話に勝てるものは、まだ無い

FAQ のもどかしさ

企業サイトなどのいわゆる FAQ(「よくある質問と答え」)を利用する時、隔靴掻痒の感で一杯になることが多いです。
確かに近いところまで来ているのだけれど、でもそれは私が知りたい特定の事例に対する答やアドバイスではない。
FAQ そのものは、あった方がよいものです。
統計的に問い合わせ頻度の高いものは確かにあります。それを公開しておくことで企業も顧客も効率的に時間を節約できます。
しかし、FAQ から漏れるものがいつでも無数にあります。そのような事例については、個別に対応するしかありません。
さて。 では私はそんな時いつも、企業の「お問い合わせ先」へメールを出したり、お問い合わせフォームから投稿したりするでしょうか。
実はほとんどしていません。
サイトの作り方からなんとなく感じられる印象で丁寧な返答がくることが期待できないように(勝手に)思ったり、気持ちの敷居が高かったり、単に面倒だったりするからです。
どうしても知る必要がある場合には、その企業のサイト以外の情報、つまり「非公式情報」をさらに検索して答を見つけることもあります。
そこまでしなければならないと思えない時には、単にそのまま追求をやめてしまいます。
このようにして企業は顧客を失ったり、顧客からの情報蓄積の機会を失ったりします。
個別の事例にぴったりの返答を返せるのは、やはり人と人の対話だけです。

行けば聞ける

多くの書店員さんは矛盾したことを言います。
「忙しいから営業さんはやたらと来ないで欲しい」
「営業さんが来てくれない。ぜひ来て欲しい」
どっちなんだよ、勝手だな!とイライラする方も多いでしょうが、二つの言葉は結局は同じことを言っています。「役に立つ人には来て欲しい」ということです。
「役に立つ」にはあまりにいろいろなことが含まれますが、その中に、自分が知りたい個別事例についてリアルタイムで話したい、という要望があることは、間違いありません。
注文書も、FAX も、Web サイトの解説も、いろいろなことが読みとれはします。しかし、そこに盛り込まれた情報、情報同士の関連から見えてくるもの以上のものは、決して分かりません。
生身の営業さんに聞きたい・質問したい・相談したいのはその部分です。
面倒でも、効率が悪くても、営業には行った方がいいです。他の部分を徹底的に効率化しても、営業に出る、という部分は効率化しない方がいいです。
営業に出るために効率化する、とさえ考えても良いでしょう。
「いやあ、分かるけどさ。でも質問があるなら自分から積極的に問い合わせてくれればいいじゃない。書店だって売り上げを立てる目的で『仕事』してるわけだし。現実問題として行きたくても無理だったりするんですよ」
おっしゃるとおりです。
営業さんが来なければ、積極的に質問するどころか何か考えるべきことがあると思いつかないような仕事ぶりの書店員も、一部には、います。 過去に一時期書店に身を置いた立場としては書店員さん全体の印象を貶めるように誤解されかねない言い方はしたくありません。しかし、「積極的に問い合わせてくれない人々もいる」という事実は出版社の営業さんの側から見れば「ビジネスチャンス」でもあります。
行けば聞けるのです。

データ分析からは漏れ落ちるものがある

「好みを覚えてくれる」EC サイトは、実は困る

あなたの好みを学習して利用すればするほどあなたに最適な情報や商品を表示します、という方向に力を入れている EC サイト。あなたの興味を学習して自動的に情報をフィルタリングしてお知らせするという仕組みを持ったソフトウェアやサービス。
そういうものが、次第に増えてきています。
一見とても素晴らしいことのように思えます。
しかし、それはとても困ることでもあります。
EC サイトを運営する側にとっては、購買意欲をそそる可能性が高いものを選択して提示することで、より効率的になる、と思われます。
思われますが、実は人間というのはどんな人でもそんなに幅の狭いものではありません。
たまたま丸一年間飛行機に関する本を買い漁ったからといって、次の年もそうするとは限りません。次の年の興味の対象はカバになるかもしれません。
徹底して飛行機に関する情報や商品を提示することで画面を埋め尽くす EC サイトは、カバに関するものを提示すれば再び激しく購買意欲をかき立てることが出来るということには気付きません。
その客が幾つか続けて、自力で探し回ったあげくに、カバに関する注文を入れてくれない限りは。
私は Amazon でそれなりの数の本を買っていますが、実のところそれは「たまたま Amazon で買うことにした」本であるだけです。Amazon が示してくるお勧めリストを見ると、いつもちょっとだけ苦笑します。
時々、本当は購入まではするつもりがないのに、二三の本をカートに入れて遊んだりもします。カートに何かが入ると、Amazon のシステムはそれをお勧めリストを構成する情報として重視するからです。

データ分析と効率化追求の「負」の部分を補う

これは「データマイニングやフィルタリングがじゅうぶんにうまくいっていない」というお話し、ではありません。
そうではなく、好みを覚えると称する行動は、実はある一定の範疇以外の情報を勝手に遮断したり捨てたりしてしまうので、本来はより広い興味を持っているある個人の行動を、じゃましている、ということです。
これが、データ分析と効率化追求の「負」の部分です。
営業に行った方がいいとお勧めするのは、単に個別の書店担当者の質問にきめ細かに答えるために、というだけではありません。
(「おつきあいを維持するため」というだけでも、もちろんありません。)
データ分析と効率化追求に目を奪われていると、より豊かな市場の可能性を見逃すことになってしまうからです。
データ分析は今現在の状況を把握し、短期的に適切な対策をとるためにはとても役に立ちます。絶対にやるべきです。
しかし、それを別の行動で補わないと、やがて必ず「先細り」になります。
PubLine の情報がほぼリアルタイムに更新されるようになった。それ自体は素晴らしいでしょう。でもどんなに素早く売り上げが反映されるようになっても、それは常に「すでに起こったこと」でしかありません。直近ではあっても、過去です。
将来の宝は、データ分析やその結果から得られる「お勧めラインナップ」以外のところにあります。
それを出来るだけ早く察知するためには、たとえ雑談しかすることがないように見えても、現場のひとに会いに行くしかありません。

そうだ書店へ行こう

某旅行キャンペーンのコピーのように
「そうだ書店へ行こう」
と書いてご自分のデスクに貼っておくのもいいかもしれません。
そうだ」の部分が大切です。
悩んだら、行き詰まったら、何も思いつかなくなったら…そうだ書店へ行こう。

※ご注意:一部の記事は書かれた時期が古いために現状と合わない場合があります
この文書の趣旨」でもご紹介しているように当コーナーが本にまとまったのが2008年(実際に原稿をまとめたのは2007年暮)なので、多くの記事はそれ以前に書かれています。
そのため一部の内容は業界の常識や提供されているサービス・施設等、また日本の世間一般の現状と合わない可能性があることにご注意下さい。