増刊:「頭が悪い」という言葉について

投稿者: | 2011年4月24日

これまでのこの「書店業界のあれこれ」で(実際にはそれ以外の部分でも)私はしばしば「頭が悪い」という言葉を使っていますが、誤解を招く可能性もあるので、一応私のつもりではこういう意味である、ということを書いておきます。
簡単に言えば「あたまの使い方が悪い」という意味です。

深く考えない。
広く比較検討しない。
根拠のない信念や単なる習慣・風習にとらわれた地点からしか発想しない。
そもそも考えようとすることを放棄している。

そういう場合に私はそれを「頭が悪い」と言います。
思いやりなども、根本は全てよく考える、とらわれずに考える、ことから生まれます。
たとえば、共働きの夫婦がいたとしましょう(というか、まさにここにいます)。
一方が休日で、一方が出社日だったとします。そして、休日であった方の人間が食事の用意をする、とします。
休日だった方が特にスポーツなどはせずに、家でだらだら過ごした場合には、用意するみそ汁の味は自分自身で感ずるよりも僅かに濃いめに用意します。なぜな ら、働いてきた方は肉体的に疲労して塩分を失っているので、特に何もせずに過ごした方が「これで完璧だ」と思う味付けをすると、僅かながら物足りなく感ず るからです。
このことに気付くかどうかは「気が利かない」とかのレベルの問題ではなく、どのくらい真剣に相手の状況を考えるか、にかかっています。単に喜んでもらいたいと望むのでは不足ですし、そもそも喜ぶことを相手に対して望むこと自体が間違っています。
喜ばせたいという目標に近づくためには何をするべきなのか、とことん考えることが必要なのです。十分にやったつもりなのに、相手が心の底から喜んでいないようであれば、どうしてそうだったのか?と再びとことん考える。それを繰り返していくと、自ずと答えが出るのです。

自分以外の者のために食べ物を調理するということは、相手に心から喜んでもらうことが目的です。突き詰めればかなり純粋な行為です。だからこそ世界中で食事でもてなすという行為が存在しているのです。もてなしは、ですから、本来であれば自分自身で調理すべきものです。もてなしに関してしばしば「手ずから~して」という表現がともなうのも、だからこそです。
手ずから=自分の手で。直接、手を下して、という意味です。
これはもちろんもてなしの話ですが、このことにも、注意を払っておきましょう。
とことん考える。かつ、他人任せにせず、自分自身で考える。
そのように考えたり行動したりしない人や場合を、私は「頭が悪い」と表現するのです。