書店人はどうしてまともな仕事が出来ないのか さらに続き

投稿者: | 2011年4月24日

書店人は常に過剰な負担にさらされており、とにかく絶対的に時間が不足している、ということを前回はお話ししました。
今回は精神面での負担です。

まず、時間が不足しているために常に追いかけられるように働き続けていることから来る非常に単純な(しかし、深刻な)負担というものがあります。まじめで 良心的な書店人ほど制約の中で必死で良い仕事をしようとするために、数年は保ってもまあ 10 年は保ちません。自分を叱咤し、ハイな状態にもっていこうとするのでおそろしく疲れるわけですが、そんな毎日が人間として何年も何年も続くわけがありませ ん。
燃え尽きてしまうのです、多くの人が。
すでに燃え尽きてしまっていることに気付かず、10 年前と同じことを嬉々としてやっている人もおり、その方がもちろん、いっそう哀れです。
しかしながらこういったことはべつにこの業界特有のことではなく、激務が続く業界にはありがちなことですから、くどくど言うほどのことではありません。

多くの書店人はとにかく何でもかんでも置いておかなくてはという強迫観念にとりつかれています。お客さんに訊かれた時に「ありません」と言えない・言ってはならない・言うのは恥だ、とさえ思っている書店人も多いです。思っているだけならまだしも、そう思えと先輩に実際に言い切られたことさえあります、私も。
もちろんこれは間違いです
なぜなら書店は公共図書館ではないからです。
以前にもどこかでこのお話をしたことがありますが、公共図書館は実際には利用しない可能性がある人々からも広く集めて税金を使って本を取りそろえています から、ある意味では(厳密には正しくないですが)本を利用者の要求に合わせて事前に取りそろえる義務があるかもしれません。書店は、お買いあげいただいた 以後にしかお金を手にしていませんから、事前に利用者の欲求に合わせる義務はありません。
あまりにも利用書の欲求を無視した結果として倒産するかどうかは、また別の次元の話です。利用者の欲求を無視しまくって倒産する自由さえある、とさえ言えるかもしれません。

ではどうして多くの書店人は訊かれた本の全てに応えようという達成不可能な狂気にとりつかれているのでしょうか?
倒産したくないからでしょうか?
もちろんそれもあるでしょう。誰だって路頭に迷いたくはありません。
しかし、しがみついていたいほど高給取りの職業ではありません。
しがみついていたいほどうまみのある職業ではないのに、どうして訊かれた本の全てに応えようなどという達成不可能な狂気にとりつかれているのでしょう?
商売人として、自分で選択した商品を自分で仕入れるという当たり前の訓練が全く出来ていないからです。自分の店はこれこれのコンセンプトがあり、それに 沿って品揃えをし、それを好んでくださるお客様に効率よくお売りする、という商売として全く当たり前のことが、全く分かっていないからです。

あなたは近所のスーパーマーケットに入っていって「カンガルーの肉、置いてますか?」とは、おそらく訊かないでしょう。
でも(私は実際に知っていますが)玉川高島屋内の明治屋にはあります。
さて、玉川高島屋にある明治屋は坪数としては決して大きくはありません。郊外のスーパーマーケットの方が大きいところの方が多いでしょう。
ではなぜ一方にはカンガルーの肉があり、一方には無いのでしょう?
玉川高島屋の野菜売り場は、私の近所の八百屋と同程度ほどの広さしかありませんが好みを告げればたとえそれがキャベツであってもバックヤードから申し出た好みに可能な限り近いキャベツを探し出してきてくれます(これも実話です)。
そのかわり、キャベツ一個でも、非常に高いです。
近所の八百屋はいつも安いです。しかし、売値の上限に達しないように仕入れをしているためか、全く同じものでも日によって品質が大きく違います。
もちろんどちらが八百屋として正しいかということではなく、それぞれの商売の方針の違いです。そういう違いがあって当たり前です。
書店は「書店はこうありたい」というひとくくりで語られ、議論されることが圧倒的に多く、書店人は必死でそれに従おうとしがちです。実 現不可能なことを語り、議論し、目指しているのだ、という現実に気がついていないのですが、それでもそれをやろうとするので、その矛盾が常に書店人の精神 に過剰な負担をかけます。
こういった面では、書店人は実は大変頭が悪いのです。