顧客は小さな専門家

投稿者: | 2011年4月24日

どのような業種でもおそらくそうだが、書店にとって人材は何物にもかえがたい宝である。特定の才能を持った個人を大切にし、それら個人同士がよいチームワークを保てるように常に努力することが企業の務めである。
・・・という発言に対して、大ざっぱに言って、二つの反応があり得るだろう。
「確かにその通りだ。人を大事にしない企業はダメだ」
「収益を上げるのが企業の目的なのだから、そんな夢のようなことを言ってはいられない」
どちらの反応も、完全には間違ってはいないが、おそらく反応の根拠が間違っている。

書店を訪れる潜在的な顧客の多くは、ある特定の小さなジャンルに関しては専門家である。
シルバーアクセ(シルバーアクセサリー)についてのムックを求めてくる青年は、おそらくそのことに関してだけは、相当に詳しい。どのような有名ブランドが あり、どのようなデザイナーが「カリスマ」であり、どの街には良いショップが多く、全体の傾向として今年はどのようなデザインが先端的とされつつあるか、 等々ということを大変良く知っている。
あなたはそれらのことを、この青年と対等に話せるくらい知っているだろうか?
無理なのであれば、専門家なのはこの青年の方でありあなたではない。
この青年が、書籍と雑誌とムックの違いを全く知らず、そもそも定期刊行物としてシルバーアクセを取り扱っているものはまだほとんど存在しない(時計なら、 少数ある)というようなことを知らなくても、それは単に書店あるいは業界に関する知識がないだけであって、シルバーアクセに関する専門家であることに何ら 傷が付くわけではない。
多くの業界人はこの時、誤る。
そのような業界内の知識がないということで、この青年を素人に分類しがちだ。
間違いだ。彼は専門家なのである。

小学生の男の子があなたにポケモン(ポケットモンスター)に関する本について問いかけてくる。彼はモンスターの種類とその進化系について、非常に詳しい。彼は自分の知識欲を更に満足させるためにもっと詳しい本が欲しいのだ。
この男の子は、ポケモンに関しては専門家である。
彼はすでにあらゆる TV 放映、劇場版、ビデオを見ているし、雑誌で定期的に知識を仕入れ、カードをコレクションし、多分いくつかぬいぐるみも持っている。そのような男の子があなたに問いかけてきて、あなたがその子と対等に話せないなら、専門家なのはあなたではなく、その男の子の方だ

コミケ(コミックマーケット)帰りの女子達が、コミックスの棚の前で会話している。
「これの xx 巻の後半あたりって、ほら、xx 先生アシと喧嘩してたから背景白いよねー」
「トーン削ってないし」
そして、キャッキャッと笑う。
ある漫画家がある時期アシスタント達と喧嘩してアシスタントがほとんど居着かなくなってしまったために、その時期の作品はかろうじて人物は描かれているが 背景がほとんど描きこまれていない、スクリーントーンを使ってある部分もその表面をカッターなどで削って効果を出すというような時間のかかる手法が使われ ていないのがなによりの証拠だ、ということを、彼女たちは話して、そのゴシップを楽しんでいるのである。
なんとマニアックな会話、マニアックな楽しみ、とため息をつく方も多かろう。
そう、確かに彼女たちはマニアである。
しかしそもそも、ある特定の小さなジャンルに関して専門家になるということは、すなわちマニアになるということだ。それの度が過ぎるとオタクと言われる。

すでに会話の中などでたびたび主張してきたが、文学はオタクである。
文学はそもそもは学問するようなものではない。
ある作家が実人生である時期どんな経験をし(離婚し、不倫し、貧乏し、事故に遭遇し)それが作品にどのように反映されたかというようなことを延々と分析す ることは、とても大切なこと、だろうか。その作家がどこへ旅行し、どんなものを見、どんな人に会い、その結果どのような思想的な傾向を持つようになった か、を探るのは、とても大切なこと、だろうか。その結果推測される思想的傾向が読者にとって有益であるかどうか、あるいは、その思想をどう受け入れて生き ていくべきか、などということを論じるのは、とても大切なこと、だろうか。
全くそうは思わない。
それでも人々は、そのようなことが好きだ。信じがたいことに、大学の一学部とさえしてしまう。
つまり、シルバーアクセもポケモンもコミックスも文学も、それぞれの愛好家にとっては等しくこれ以上はない楽しみだ。それぞれの小さなジャンルの中では、みんな小さな専門家、すなわちマニアなのである。

したがって、書店員を効率化することの間違いは明白である。
専門知識を持ち、それを自主的に日々深め、質を高めるために努力する人材を、コストが高いという理由で削減してしまうことは、潜在的な顧客のレベルから遠ざかることだ。
あなたはホテルの中で、館内の配置を知らないホテルマンに道を尋ねたいだろうか?
ある場所へ行きたいと求めた時、廊下もエレベータもエスカレータも知り尽くした上で、あなたが抱えている荷物の量や急いでいる度合いを推し量り、最も適切なアドバイスをしてくれるホテルマンには、感謝とともに敬意も感ずるだろう。
顧客はサービスを受けようとする相手(つまりある企業の従業員だ)に対して適切なサービスを与えてくれることを求めているだけでなく、その相手に敬意をも感じたいのだ。相手に敬意を感ずることが出来る時こそ、そのサービスは「質が高い」と言われる

書店は経営状況が許す限りの多様なマニアを社員として飼っていなければならない。そして、多種多様なマニアである顧客に対応するために、社員同士がチームとして緊密に協力しあえる環境を維持しなければならない。
顧客と社員がお互いに敬意を持って話せるようにする、という目標を掲げない書店は、何年経っても決して顧客に愛されるようにはならない。
たとえ黒字経営を続けていても、それは顧客に愛されているからではない。他に一定地域内に書店がない、とか、立地上流動客が多い、とかいった他の理由によって、やむなく訪れる人が多いだけであって、意識的に選ばれたからではない。