迷子の夢

投稿者: | 2012年9月23日

大きな建物の中をさまよっている夢もよく見るけれど、迷子になっている夢もよく見る。目的地がはっきりしていて、しかし行き着くのに苦労しているというタイプもたまにあるが、ほとんどの場合、目的地があるのかないのかよく分からない。自分がいる場所が分からなくなっているので漠然と、迷子だな、と思うというタイプの夢の方が多い。

今朝もそんな夢を見ていた。
どこかの町の中心街からは少し外れた辺りをとぼとぼ歩いているのだが、自分がどこにいるのか全く分かっていない。それなりに交通量のある道なのでその内バス停にでも出会うかなぁ、と思ったりしているが、実のところバス停に期待するのは案外むずかしいものだということも、知っている。バスは一本向こうの通りを通っていて、こちらの通りをいくら歩いてもバス停には出くわさないということもよくあるから。
出来ればどこかで鉄道路線に出会うといいのだが…と漠然と期待する。たとえそれが見知らぬ路線の見知らぬ駅であっても、工夫して乗り継げば大抵は自分が知っている土地へ移動できるものだ。
そんなことを漠然と思っていると、やがて期待に応えるように道を高架で横切っている路線が見えてくる。やれやれひと安心と思いはするが、大抵の夢では線路沿いに移動していけばいつかはどこかで駅を見つけられるはずなのに…ということに続いていくことが多いのでまだまだ…というところで目が覚めた。
最後は目が覚めかけていて自分がよく見る夢のパターンを意識しているわけだが。

さて、目が覚めてから、自分は迷子になる夢を見ている時に自然あふれる田舎にいることが無いな、ということに気付いた。森の中で迷っていたり、山の中で立ち往生していたり、見渡す限りの田んぼの中をウロウロしていたりすることはない。いつも、それなりの街中にいる。
町育ちだからか、とも思いかけたが、そうとも言えないような気がする。本当に町育ちで不安になるくらい迷うのなら自然の中という設定でも良いような気がする。結局、中途半端に町育ちだからなのか、と思ったりした。
札幌出身なので、地方都市としてはそこそこ都会ではある。しかし所詮札幌は歴史の浅い、きわめてわかりやすく、人工的な都市なのだ。なにしろ札幌にいた頃は自分がひどい方向音痴だとは気づかなかったほどだ。
札幌の中心部は綺麗に道が直交しているので、住所さえ知ってさえいれば必ず目的地に辿り着ける。何本通りを渡り、どちらへ曲がって何本目か、という単純な図形だけでほぼ間違いなく行き着く。それが当たり前だと思っていたから、関東に出てくるまで実は自分がひどい方向音痴だということに気づいていなかった。関東に出てきてから、街で迷子になれるということを知った、大げさに言えば。
自然の中で途方に暮れるのはある意味当然で、困るには困るけれどむしろ受け入れることが出来る。
しかし都会の只中で迷子になるのは、いやな経験だ。
周囲には普通に人々がいて、普通に生活や仕事が営まれていて、言ってみれば全くつまらないほどの日常が満ちているのだが、自分だけはそこからこぼれ落ちかけているのだ。これは実に神経にこたえる。

ここまで考えて、では子供の頃の自分は都会の街なかで迷子になるという夢を見なかったのかどうか覚えていないな、と困った。
関東の都会で迷子になるということがトラウマになっているという図式は一見分かりやすいけれど、それが本当なら子供の頃は迷子の不安を街なかという状況では表現しなかったはずだ、ということになる。それこそ小学生でも分かる、直角に曲がって直進すれば目的に辿り着ける都市に住んでいたのだから、それを不安に思う根拠がない。
うーん、どうなのか、思い出せないので、どうにもならない。

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