ヘミングウェイを読み返す

投稿者: | 2013年10月12日

しばしば「〇〇は今読んでも面白いのか」を試すために、一人の作家をまとめて読み返す。
先日までヘミングウェイを読み返していた。

ヘミングウェイは高校生の頃にはじめて読んで印象に残り、いささか影響も受けた。しかし本気で、一気にまとめて読み返したのは久しぶりだった。
今の私には『日はまた昇る』はなかなかよい作品に思われ、それ以外のほとんどがだめだということ分かった。『老人と海』はなかなかよかった。そしてこれは、若い頃の感想とまるで反対だということに気付いた。若い頃は『日はまた昇る』はいくつか印象的なシーンはあっても全体としては退屈だと思っていたし、世間で『老人と海』がひじょうに高く評価されているのがよくわからなかった。

『日はまた昇る』は素直できれいな作品で、ヘミングウェイに間違いなく才能があったことがわかる。
最初に読んだ時から今になっても覚えている、とても好きな一節は、たとえば第5章の冒頭部分などだ。

マドレーヌからキャプシーヌどおりをオペラ座まで歩き、オフィスに向かった。はね蛙のモチャを売っている男や、拳闘家のおもちゃを売っている男のそばを通りすぎた。相棒の女が拳闘家をあやつっている糸を踏みつけないように、ぼくは、わきへ寄って歩いた。女は組み合わせた手に糸を持ったまま、よそ見をしていた。おもちゃ屋は、二人の観光客に、しきりに買うようにすすめていた。ほかに三人の観光客が足をとめてながめていた。ローラーを押して歩道の上にぬれた文字で「チンザーノ」と書いていく男のあとについて、ぼくは歩いていった。

–大久保康雄訳 新潮文庫

ヘミングウェイは『日はまた昇る』を書き上げて自信がついたのだろうと思う。同時に「俺はよい文章を書くし、会話を書くのがうまい」と気づいたのではないかと思う。それは事実だったが、次に『武器よさらば』を書く時にはそれを意識しすぎ、いい作品を書くことよりもほんの少し、よい文章を書き、うまい会話を書くことに力をかけすぎてしまったように思う。
『武器よさらば』の最後は実に印象的で、見事だ。しかしそれ以外、あまり心に残らない。
そしてヘミングウェイは、少なくとも長編作品では、意識しすぎるという悪癖から二度と抜け出せなかったように思う。
『武器よさらば』では、自分はうまいのかもしれない、うまいはずだ、と意識しすぎたし、『誰がために鐘は鳴る』に至っては登場人物は何かまっとうな人生観なり使命感なりを持っていなければならないのではないかと意識しすぎて、青二才がひたすらぶつぶつ言うのを聞かされるというありさまだ。
ただ、楽しんで、書けばよかったのにな、などと私は勝手なことを思う。

それにしても、ヘミングウェイくらいが相手になると、誰でもずいぶん長々と論評するものらしいが、そもそも小説などは論評するものではなく、ただ愉しめばよいのにと思う。
どれと名指しするのは今は避けておくが、とあるヘミングウェイ作品の文庫解説の大部分がアメリカ文学がいかに底が浅くてつまらないかというとても長文の悪口で、それでもこの作品はましだ、と最後にちょっと書いてあるというすごいもので、思わず笑ってしまった。
何がしたかったのか、この人は。
だから私も、なぜ『老人と海』だけはなぜなかなかよい作品なのか論じ始めるなどということはやめておく。

短編の名手だと言われるが、長編よりいっそうあらわに、よい文章を書き、うまい会話を書くことを意識しすぎてしまったものが多いようにも思う。完成度も高く、うまい作品だとも言えるが、ほんの少数の作品をのぞいて、素直できれいとうヘミングウェイが元々もっていた才能が出ていない。たとえば『キリマンジャロの雪』はいい。それ以外は、あまりよくない。

ここに書いたことは全て、今この年齢、この環境にいる私が読んでみたらこんなふうに感じたというだけのことで、ヘミングウェイを評価したり、論じたりするものではない。
もし論じたり評価したりするつもりがあったとしても、そもそも今回の読み返しでは原文を読んでいないので(若いころには読んだ)、する資格はない。

『武器よさらば』の一番最後、妻が死んだあとのシーンは、先にも言ったように見事だ。
ヘミングウェイがそういうものを書くことが出来た人だったということだけは、変わらない。

「ホテルまでおおくりしたいのですが」
「いや、結構です」
 彼は廊下を歩いていった。ぼくは病室のドアのところへ行った。
「いまはおはいりになってはいけません」と一人の看護婦が言った。
「いや、はいる」ぼくは言った。
「でも、まだはいってはいけません」
「きみが出ろ」ぼくは言った。「それから、きみもだ」
 看護婦たちを追い出して、ドアをしめ、電燈をつけたが、何の役にも立たなかった。塑像に別れを告げるようなものだった。しばらくして、ぼくは病室を出て、病院をあとに雨のなかを歩いてホテルへ戻った。

–大久保康雄訳 新潮文庫

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