NYの隅っこで忘れられた爺さんとして余生をすごしたい

投稿者: | 2016年4月24日

昔々、Jeffrey Zeldmanは私をはじめてCSSに目覚めさせてくれた存在で、とても感謝している。(Jeffrey Zeldman – Wikipedia
今でも彼のサイトやSNSアカウントをなんとなく見続けているが、正直に言ってしまうと、彼の言説をこまかく読むことはもうあまりない。ただ彼はInstagramにいかにもニューヨーカーらしい写真を上げてくることが時折ある。
そういうのを見かけた時、ふと思うのだ。
NYの隅っこで忘れられた爺さんとして余生をすごしたい、などと。

私の勝手な人生設計では、妻よりもほんの少し長生きすることになっている。妻を寂しがらせないように。すると、一人きりで生きる時間が少しだけ残ることになる。
「本当はあんなことがしたかった。こんな仕事がしたかった」というようなことは、実はほとんどない。人の役に立ったり、手助けをしたりして喜んでもらえると嬉しいという気持ちは、少し、あるが、それを仕事にしたり、それで事業を起こして儲けたりしたいとは思わない。
本当は儲けが出るような仕組みを作ってしまったほうが継続してやっていけるから、その方がみんなが幸せだということは、さすがにこの歳になると分かってはいる。でも、そういう組織づくりなどは、そのことに素直に喜びを感ずる人に任せたい。自分でもやろうと思えばやれるだろうという気はするが、やれる、と、やりたい、は違う。
そして「やれるからやっている」程度で手を出しては、結局迷惑だろうとも思う。

すずめと樹木のほとんどとタンポポがとても好きなのだが、ニューヨークには日本にはどこにでもいる種のすずめはいないらしい(別種のイエスズメはいると思われる)ことだけが、気がかりだ。