4月 202012
 

ほんの数人だけれど、どうしてもイライラさせられる発言を続ける人がいる。
なんというか、分かったふうな口をきいているけれど結局素人である一般人を代表しようという誠意があるわけでもない。その一方、業界内プロとしての発言ならまるでお話にならないレベルのお花畑在住ですか? 的なことばかり。そして、全く無名の存在というわけでもないので、どうにも扱いに困る。

で、そんな人達のアカウントはさっさとアンフォローすればいいんだが、そういうことを繰り返していると以前に自分でもちょっと触れたようなことが懸念されて、できない。(インターネットは人々を切り離しているのかもしれない
そうあるべきではないと強く思うので、いつもあーまた言ってるよ、と思いながらアンフォローしないでいる。

アンフォローもしないがしかしイライラする、というのならちゃんと正面から議論すればいいじゃないか、という考えの人もいるだろう。
あのね、議論したくない。
どう考えてもその人達との議論から何か生産的な結果が生まれとは思わないから、議論したくない。
なんでもかんでも「ちゃんと議論」が正義だというわけじゃない。時としてそれは人生の無駄遣い。

SNSは(意識的に非公開でない限り誰でも見ることが出来るTwitterは特に)発言の積み重ねから面白いほどその人の本性があらわになるので、一種のバカ検出器になってしまっていて、この人達も執筆や講演だけだったから多分多くの人は気づかなかったんだろうけどなーなどと思うと、我が身を振り返って恐ろしい。

9月 112011
 

先日突然思い出した。「そういえば昔々、パームサイズPC使ったことあるわ」

未だにiPhoneとかiPadを(個人用途としては)すすんで購入しようとしない自分をなんとなく第三者的な冷ややかな目で眺めつつ、結局こいつ歳を取って新しいものを試す気力をなくしたのかな、とか、そもそもそういうものに関心がないのかな、など思っていたのだが、ちょっとそれは違ったみたいだ。

Palm-size PC [CASSIOPEIA E-65]

これを購入して、実際に使っていた時期があった。
製品仕様などあらためて眺めるといろいろな意味で懐かし過ぎる。
※というか、未だにちゃんとサイトに情報を残しているカシオもすごいというか偉いなと思ったりした。

とりあえずこれを日常的に使っていた時期が、実際あった。携帯電話につないでメールチェックなんかを実際にしていた記憶がはっきりある。

メールチェックをしていたということは自分はすでにインターネットプロバイダーと契約していたはずで、ということはほぼ間違いなくすでにPCを所有していたはず。

しかも一番最初に購入したのはノートPCで、ノートPC一台とデスクトップ一台が共存していた時期も長かったはずなので、PCはあって、そしてこのパームサイズPCを使っていたということになる。
このへんから、すごく記憶が曖昧になる。
どういうタイミングで、なぜパームサイズPCを購入しようと思い立ったのか、思い出せない。
購入してすぐノートPCを抱えて通勤するようになり、会社でも家でもノートPCを使いまくっていた、という記憶ははっきりしている。じゃあなぜCASSIOPEIAをわざわざ購入したんだろう?

…。

ということで、実はこの話には結論が全然ない。
ここまで書いてきたように「あの時自分はなぜそれを購入したのか」ということをなんとか思い出そうとここしばらく頭をひねってきたのだけれど、ちっとも思い出せない。
思い出せたら「これこれの必然性が生まれれば自分はまたさっさと携帯PCデバイスを購入するかもしれない」的なことを格好をつけて書こうと思っていたのだけれど、思い出せないので、そういうことは全然書けない。
 仕方がないから、思い出せないままだたそういうことがあったと書いておくことにしたってだけの傍迷惑な記事。

9月 042011
 

ネットエイジア、Facebook などの SNS は国際平和に貢献しているのか? – japan.internet.com
という記事が少し前に出ていて、まあそのアンケート結果を知らせている記事の内容そのものはそれほど面白いものじゃないのだけれど、記事のタイトルそのものにはちょっと考えこまされた。

もっと若かった頃、それはつまり今のように日本中の大部分が光の高速ネット回線で繋がってもおらず、そこら中に無線ネットワークが張り巡らされてもいなかった頃ということでもあるが、インターネットの普及で世界は、少なくとも今よりも、平和になるのではないかと密かに期待していた。
発想そのものは単純なだった。
多少の好き嫌いはあるにせよ、毎朝顔をあわせて挨拶する隣近所の人間達に対して、普通は「民族対立」とか「敵」とかいうある意味抽象的な意識で戦争という虐殺を仕掛けるのはけっこう難しいだろう。隣の誰かさんが、自分もよく行く近所のスーパーで買い物していて、帰り道偶然一緒になったので「ほんとに暑いですね」程度によせ話をして、一緒にマンションのエレベーターを待ったりする、そういう人々をマシンガンでなぎ倒したり、砲弾を撃ち込んだりするのは、かなり心理的障壁が高いだろう。
だから、今までは見知らぬ遠くの国の全く付き合いのない人だったとしても、インターネットを通じてちょくちょく挨拶したり、同じ趣味の話をしたりしていれば、いわゆる戦争もいくらかは起こりにくくなるんじゃないか。
そんな風に、素朴に思っていた。

でも多分、そうはならなかったんだな。
そしてSNSが出てきたことによって、「そうはならなかった」ではなく、もっと事態は悪化したのかもしれないと思うようになった。
TwitterにせよFacebookにせよ、多少の仕組みの違いはあっても、結局は自分が好きだったり、自分の得になると思ったりする人々とネットワークを自分で作るわけだ。
裏を返すと、自分が少しでも嫌だなと感じる人はネットワークに入れなくていいし、入れてしまった後でもいくらでも排除出来る。ちょっとでもストレスを感じる人とは(少なくともネット上では)一切付き合わなくていいし、自分が目にしたくないニュースや知識を流すようなアカウントはどんどん削除すればいいわけだ。
ネガティブにとらえ過ぎかもしれないけれど 、SNSという素敵なしくみが発達したおかげで人々は自主的に「世間を狭くする」ことがある程度可能になったわけだ。

選択の自由は確かに非常に貴重なものだし、それを私だって今更手放したくはない。
しかし、昔は紙の新聞というお仕着せを読まざるを得ないために、自分では進んで知りたいと思わなかったことも、もっと言えば、出来るだけ目を背けていたかったことも、ある程度は強制的に知らされ、強制的に「世間が広く」なっていた。
今はネットで、こま切れのニュースの中から、自分が知りたいものをだけを見ればいい。自分が知りたいもの、興味あるものを「もっと沢山見たい・知りたい」というふうにとらえればもちろんこんないいことはないが、人間の一日は決まった長さしか無いから、それは同時に自分が知りたくないもの、興味を持たないものを「出来るだけ見ないように排除する」ことでもあるわけだ。
そこにさらにSNS的な「効率的な排除システム」が発達してきたので、事態はさらに進み始めた。
その行き着く先には、ネットワークのインフラはものすごく整備され、それを利用するための仕組みはこの上なく発達したのだけれど、みんな自分が安心できる少数の人々と「村」に閉じこもって暮らすだけ、という状態が実際に出来始めているんじゃないかと、そんなことを苦々しい気持ちで思っている。
残念ながらSNSは国際平和に貢献していなくて、ひょっとすると実際にはむしろ人々を切り離しているのかもしれないと、とても危惧している。

5月 222011
 

しばらく使ってみて、なんとなくわかってきたのでちょっと書いてみる。
簡易なタスク管理(もどき)にはじゅうぶん使えるな、というのが今のところの感想。

まず、メールが重要かどうかの判定は、やがてこちらの希望にかなり近い具合の精度になってくる。この辺はある程度の期間以上使い続けると「迷惑メール」の誤判定がほとんどなくなると同じで結構優秀。はじめのうちしばらく重要・重要じゃないのマークの付け直しをしてやれば、漠然と期待しているよりも早く(と私は感じた)そこそこ満足できるレベルになる。

さて。
重要なメールには、非常に大雑把に分けると

  1. 重要だが読んで内容を確認すれば完了するもの
  2. 重要で、かつ自分が行動を起こす必要があるもの
  3. 重要で、かつ自分が行動を起こす必要があるが、行動は今日ではないもの

などがある。
メールを簡単なタスク管理もどきに使おうとする時一番扱いにくいのが「3. 重要で、かつ自分が行動を起こす必要があるが、行動は今日ではないもの」。受信トレイにただ残しておくと他のものに紛れて分かりにくくなるし、特定のラベルで管理したとしてもそのラベルがついたメールを繰り返し意識的に確認し直さなければいけないのが(ほんのちょっとの手間とはいえ)面倒。

そこで(キャプチャのように)、今すぐ実施しないことは内容を確認した後スターを付ける。すると自動的に「スター付き」のエリアに移動する。
「スター付き」 =重要、というふうにこれまで漠然と考えてきたので当初「重要な未読メール」と「スター付き」が併設されている意味が掴みきれなかったが、スター=重要という思い込みをやめれば何も問題ない。
用が済んだり、実施し終わったりしたものはスターを外してアーカイブする。
また、手が空きしだい順次処理していくべきものは、スターを付けずにそのまま「重要な未読メール」のエリアに残しておき、処理したら、アーカイブする。
一応念の為に言っておくけれど、Gmailの優先トレイ機能を使えば簡単にタスク管理ができます、ということを言っているのではなく、簡易なタスク管理もどきが実現できます、という話ね。
アナログの例にたとえると、手帳に丁寧に記入しておく程ではないけれど忘れてはいけないことを、ポスト・イットでそこらに貼っておいたりする。しかも、案外そういう行動は多いし、複数の実施手順が連続して絡んだりしない「やれば終わる」系のことには結構有効なやり方だったりもする。
デジタルでそういうケースはメールきっかけで入ってくることも多いので、メモ書きをそこらに貼り付けておくことの代替にはじゅうぶんなるね、という話。
そうそう、忘れるところだったけれど、タスク管理もどき云々は別にしても、メール受信量が多いアカウントの場合優先トレイ機能を使うと、メールチェックのストレスがかなり減るので、おすすめ。
片端から「重要かどうかをいちから判断しながら見ていく」のと「ひょっとしたら誤判定が混じっているかもしれないけれどある程度信頼できるレベルに振り分け済みのメールを見ていく」のでは、精神疲労も、使う時間もかなり違う。
1月 012011
 

半年くらい前から気づいていたが、まあ「だからどうした」というような話ではある。
自分が好んで使っているウェブサービスはほとんどが青系ばかりだな、ということ。

FacebookTumblrJangoTwitterFriendFeedDropbox…ものの見事に全て青系統。Remember The Milkもロゴそのものは牛なので白黒だがテキストやサイトデザインのベースは全て青系なので、これも青系統のウェブサービスに含めてもいいと思う。比較的よく利用しているサービスで青系ではないのはYoutube(赤)、Gmail(赤)、Flickr(青とピンク)だけかもしれない。
Last.fm(赤)じゃなくて、おそらく日本人の利用としてはけっこうマイナーなJangoであるとか、あいかわらずDropboxからSugarSync(緑)に乗り換えていないとか、代替サービスが明らかに存在する場合、ちょっと自分で笑ってしまう。
ちなみに仕事で必要で使っているのでちょっと意味合いが異なるけれどLogMeInもやっぱり青系なので、ほんとにブラウザに並んでいるブックマークは圧倒的に青が多い印象になる。

そうは言っても常用する動画サービスをYoutube以外に乗り換えることが(今のところ)あり得るかとか、そもそも赤系統ではないテーマカラーの 大規模Webメールサービスが存在しない(Gmail – 赤、Hotmail – オレンジ、Yahoo! Mail – 紫(米)赤(日本))とか、基本的に写真はアップするのではなく探すのが主体なので「投稿者がワールドワイド」であることが条件なのだからはてなフォトラ イフでは目的にかなっていない等、青系のサービスに乗り換えられる可能性が今のところほとんどないものもあり、これはどうにもしようがない。

で、Webサービスと色ということで何か考察をできるか、何か駄文をものに出来るか、とずっとこの半年くらい考えていたのだけれど、結局何もはっきりしたものは出せないので、とりあえず事実だけ出して(自分としては)終わりにしておこうということになった。

ちなみに何かウェブサービスと色の関係について語っているものはないのか探していたときに、次のようなものを見つけた。
The Most Powerful Colors on the Web(GIZMODO)
自分が漠然と考えていたことに比較的近い内容の記事なんだけれど、やっぱり「なるほどと膝を打つ」ほどではない。なんというか出版物で言うところの「ベス トセラーの分析」みたいなもんで、完全に分類や規則をつくれないからこそベストセラーなんだよね結局…みたいな気分に落ち着くな。

5月 032010
 

いよいよ日本語版もベータ段階に入ったというタイミングで書くのもなんだか間が悪いけれど、個人的には当面 Evernote を使うのをあきらめた。
先に言っておくと、Evernote というサービスそのものに対する批評・批判ではなく、単に自分のライフスタイルと相性が悪かった、というだけの話だと思うので Evernote 大好きな人々はこの記事はフッ…と鼻で笑って無視しましょう。

一番の理由は「見ないじゃん」ということだった。
これは実は delicious も同じ状態に陥っているのだけれど、一旦保存したものをあとで見直したり、活用するために検索したりしたことがほとんど無い。極端な場合、全く同じ情報を 毎回Googleで検索し直していたりする、新たな情報が欲しいわけではなく単に特定の目的ページのURLを覚えていないというだけの理由で。
インターネット上の情報は消えてしまう可能性が常にある。だから自分にとって特別に重要だと思われるものはそのコピーを自分自身で保存しておくべきで、そ いういうことに Evernote は手軽で便利。しかし、結局見ない。というか保存したこと自体を忘れる。保存してあるのかどうか Evernote に検索をかけるのが面倒。
そもそも常時目の前に無いから調べ物をする瞬間にはその存在自体を忘れてしまっているという、根本的な問題さえある。
ローカルPC用の Evernote アプリをインストールしていないからますますそうなるのだけれど、WebサービスとよくできたWebクリップ用のブックマークレットがあるのに、さらに ローカルにアプリを入れるという発想にはどうしても馴染めない。何かのWebサービスでブックマークレットひとつで済むにもかかわらずFirefox拡張 が用意されていたりすると眉をひそめるような人間なのでちょっと極端かもしれないが、なんとも冗長という感じがして Evernote のローカルアプリを使う気になれない。
タグ付けができて、検索ができて、さらに画像の中の文字列まで検索出来る。
うん確かに便利。
でもまあ、画像の中の文字の認識は別として、それ以外は Evernote ならではというほどのものではない。

個人的には、実はかなり前から半ば無意識に Evernote が担うべき役割の代わりをさせていたものがすでにあった。Gmail。
日常的に常に見えるところに置いてあって、一日に何度も利用することが習慣化しているので、その存在を忘れるということはまずない。
テキスト情報であれば検索が非常に速く、優秀。
その上、以前からあとで読むを使っているので、気になったものは一番最初の段階としては必ずそのページ全体がテキスト化されたメールという形でGmailに蓄積されている。
自分宛のメモ専用として区別できるように 自分のアドレス + memo@gmail.com というアドレスを昔から使い分けているので、情報クリップではなく自分で書いたメモも他のメールと区別できる。
そして最近ラベルを階層化できるようになってしまったので、あとはちゃんとラベルを付けさえすれば、クリップしたりメモしたりして手軽に一箇所に放り込み、タグで分類して、検索できる。あら…自分には実は Evernote 要らないんだ、という話。
諸々のサービスが言うような「メールのように」ではなくメール操作そのもので事実上完結している潔さが、面倒臭がりかつ物忘れが激しい自分にとって貴重。
紙情報をスキャンしたものをさらに活用するということが増えてくればGmailだけではまかない切れなくなってくる可能性はあるが、今のところ画像や PDFにした書類を閲覧する、というだけであればGmailに投げておいてGoogleドキュメントで見る、というだけで十分だしなぁ。

というわけで、ひとまず当面は(日本ではこれから盛り上がるかもしれないのに)自分に Evernote を使わせるのは諦めました

1月 162010
 
iPhoneアプリのsleep cycle、面白い。
→ sleep cycleのリアルタイム結果(Twitter)
こういう風にiPhoneが使えるのは実に興味深い。これは昔のSFに描かれていた夢とかをなんとなく思い出させるものがあるなぁ…と漠然と思いながらニヤニヤしていた。
SFのアイディアそのものというより、SFの中に出てくるガジェットそのものだよな、たとえば医療器具にさえなってしまうスタートレックのアレとか…などとさらに思っていた時、なんだか急にiPhone人気の理由が腑に落ちた。腑に落ちたような気がした、個人的には。

iPhoneは昔のSFガジェットの夢が実現されたものだな、まさにそのまま。しかもAppleがいいデザインで出したからますますそれっぽくなっ た。電話としては今ひとつ使いにくくないですか? とか、実はiPod nanoで十分なんじゃないですか? とか、そういうところを乗り越えてなおかつやっぱりiPhoneなんだというのは、結局ガジェット愛なんだろう。
私が未だにiPhoneユーザーではないのも、それ故なのかも。SFファンではあっても実はそれほどガジェットには萌えないんだよね。

まあ…どうでも駄文だけどね。

10月 312009
 
最近は大体この三つだけで済ませている。本当は使用頻度の順番は逆なんだけれど、Twitterが頭に来るようではタイトルとしては面白くも何ともないのであえてマイナーな方から並べた。

Feedly – 良くできたスキン

Feedlyは誤解されることを承知で言っ てしまえば、Google Reader の良くできたスキンあるいはテーマ機能だ。feedly: a magazine-like start page とうたっているが、まあ個人的な意見としてはmagazineと言えるほどのレベルではない。ただ、大量のRSSをかなり見やすくレイアウトしてくれる し、操作も比較的直感的でストレスが少ない。Google Reader自体もショートカットキーを指に覚えさせてしまえば操作は非常に楽だけれど、feedly程見やすい画面ではない。
既読・未読、スター、共有などは全てGoogle Readerと同期するし、feedly上であらたにRSSの購読を追加すればそれも反映される。

feedlyは実際にはGoogle Readerのための良くできたスキンだというだけではない。初期設定から変更していなければ、ブラウザで検索をするたびにTwitterや FriendFeedから検索した結果を画面右下にオーバーレイする小窓に示してくれたりもする。
まあ、悪くない。
でも実のところ私は使っていない。私にとってはやはり、比較的良くできたGoogle Readerのスキンだというだけだ、今のところ。

FriendFeed – フィルタリングして使う

FriendFeedについてはすでに一度書いた。その後変化があったことだけを書いておく。
今でもTwitterでフォローしたアカウントは全部FriendFeedにも登録している。FriendFeedにアカウントを持っている人であればそ れを、なければTwitterと(あれば)ブログなどをまとめて登録する。しかし今は、そのように準備を整えた上で、Twitterからの発言は全て非表 示にして使っている。FriendFeedをTwitterクライアントとしては結局は使っていない(常時見ているものとしても、投稿する窓口としても結 局は常用していない)ので、ここではTwitterに流れてくる以外の情報だけを抽出して表示させているということだ。
それならば最初からTwitterアカウントは登録しなければいいようにも思うが、FriendFeedのアカウントを持っている人を購読した場合にはほ ぼ100%Twitterアカウントがセットになっているという現実的な問題もあるし、それに、いざという時にはいつでもTwitterの代替になれると いう面もないでもない。

フィルタリングの操作そのものは簡単で、任意のTwitterからの記事を「非表示」にし、「同じタイプのアイテムを非表示にする」を選び、「全 ユーザーの Twitter のエントリーを非表示にする」の方を選び直すだけでいい。これで、興味をもって追っているユーザーのブログ、delicious、Tumblrその他とに かくそのユーザーが登録しているTwitter以外のサービスからのエントリーだけが見える状態になる。

Twitter – TwittSevenを使う

ここしばらく使っていてわりと気に入っているGreasemonkey スクリプトがこのTwittSeven
この手のモノではお約束のRTリンクを加える機能もあるが、まあ私自身はほとんどRTをすることはないのであってもなくても不満はない。
自動更新、短縮URLを伸張して見せる機能、画像を小窓でポップアップ、などはどれも普通だし、未読・既読管理が出来たり、誰かの返信投稿のリンクにカー ソルを載せると返信の元になった投稿内容その物をポップアップに呼び出して見せてくれる機能など、便利ではあるけれどとび抜けてすごい機能満載というわけ ではない。ただなんだか機能の組み合わせのバランスがいいし、動作が重くなりすぎることもない。
「すごく便利」というものではなく「そこそこ便利という程度だけれどなんだか使っていてストレスがない」というあたりが、私個人が求めていたものにかなり 近かったらしい。これを使い始めてからいわゆるTwitterクライアントをほとんど使わなくなった。Twitter本家サイトをこの TwittSevenを有効にしてタブのひとつに開きっぱなしにしておく、というだけで特に不満を感じなくなってしまったのだ。
複数カラムでグループ分けできるクライアントなどを次から次へとさがしては試していたはずなのだが、じゃあ自分が本当に求めていたのはそういうことではなかったということなのか? とちょっと拍子抜けしたりもしている。

8月 112009
 

FriendFeedFacebookに買収されることが公表された日に上げるエントリとしてはなんとなくまぬけ感が漂うけれど、数日前から少しずつ書いてきたので、とりあえずこの辺で一旦出すことにする。
FriendFeedついてはこれまで「便利だけれどそれを直に使う気にはなかなかならない」などと何度か書いてきた。しかし最近、いくつかのことがきっかけで積極的にFriendFeedを使うようになった。まあ、言ってみれば態度が豹変したわけ。
最初は自分のウェブ上の行動が全部一カ所にまとめられる、そしてそれをまとめてはき出せる、というのが便利だな、としか思っていなかった。特に日本ではま だTwitterアカウントは持っていてもFriendFeedアカウントは持っていない人も多く、FriendFeed内でフォローする人を見つけるの も結構難しい、という状況だったし。(もっと言ってしまえばTwitter普及がまだ「おやあの人もやっと始めたのね」という段階なんだから FriendFeedにまで波及してくるはずもない)。

Imaginary friends機能

しかし、ある日FriendFeedにはImaginary friendsという機能があることに気付いた。(メ ニューを、「友達を表示/編集」から入り、友達一覧の画面の下に設定画面へのリンクがある)。設定画面へのリンクはなぜか日本語化されずに Imaginary friendsのままだけれど、設定画面にはいると「仮想の友達を作成」というボタンがでんっとあるので、一応公式日本語表現は「仮想の友達」なんだろう ということにしておく。
分かりやすい例から始めると、TwitterをやっていてFriendFeedはやっていない親しい人がいたら、仮想の友達機能で友達をつくり、そこにイ ンポートする外部サービスとしてその人のTwitterアカウントを指定してあげればいい。あたかもその人がFriendFeedのサービスも使っている かのように、他のアカウント一緒に表示できるようになる。
まあ、ここまではどうということもない。

その人がブログを持っていてそのブログをRSSリーダーなどでチェックしているとする。なら、今作った仮想の友達アカウントで読み込むサービスにそ の人のブログも追加してしまえばいい。その人がはてなブックマークを使っているなら…以下、FriendFeedが対応しているサービスなら何でも繰り返 し。
これでその人自身がFriendFeedを利用していなくても、あたかもその人自身がFriendFeedアカウントを持っていて、積極的に自分が利用し ているサービスを登録した、というような状態に限りなく近くなる。もうバラバラにRSSリーダーを読みに行ったりしなくていい。ただ自動更新される FriendFeedを見ていればその人のほぼ全行動が把握できるようになる。
でもここまでの状態も、ある意味予想範囲内で、便利にはなったけどそれ以上でもない。

Twitterの発言の全部

そういうことをやっていてふと気付いたのが「あれ? この人のTwitterでの発言、Twiiter上で見ているときよりFriendFeedで見ている時の方が多くない?」
そう、つまり、Twitter上でAさんをフォローして発言を見ている場合、Aさんはフォローしていても、自分はフォローしていないユーザーBへAさんが @Bでつぶやいたものは表示されない。しかし、FriendFeedにインポートされてくるのはそういうフィルタリング無しのAさんの全発言なので(この 状態を再現するためにはTwitterからログアウトしてそのままAさんのアカウントを見に行くと分かる)、場合によると自分も興味が持てる内容へのリン クやTwitterユーザーを新たに発見することが出来る可能性がある。
そもそも「友達とゆるく会話したいだけ」という目的でいくと上記のようなフィルタリングがあった方が受けとるメッセージも必要以上に多くならないし、雑音 も混じらないので、悪くない。ただし、友達の輪を広げたり、興味ある話題を自分の友達の範囲をこえて追ったり、ということにも興味はある、ということであ れば、意識してTwitterのパブリックタイムラインに検索をかけたり、友達のアカウントの情報でその人がフォローしているユーザーを意識的にチェック して回ったりしなければいけなくなる。
これは、正直ちょっと面倒くさい。面倒くさいので、結局はもとからある友達の輪の中にいい意味でも悪い意味でもぬるくとどまり続けることになる。でも、面倒くさくなかったら?
FriendFeed上で友達Aのつぶやき全部が見えていたら、その中には自分が知らないBさんへの興味深いつぶやきが自然と混じってきて、するとBさんというのはどういう人だろう、と簡単にリンクを辿ってチェックすることが出来るようになる。
ということで、たとえ友人AがTwiiterアカウントしか持っていなくてやり取りそのものはTwiiter上で十分完結するのだとしても、あえてその友人AをFriendFeedの仮想の友達にしてFriendFeed側で見ていた方が、もっと面白いわけだ。

本当の「仮想」

さて、ここまでは「仮想」とはいっても、すでにTwitterにアカウントを持っているというような意味では、あくまでも実在していて、ただFriendFeedのアカウントそのものは持っていないので「仮」ですよ、というような事例にすぎない。
で、ちょっと考えればすぐに気付くことだけれど「仮想の友達」はそういう特定の人に直接結びついていなくても作ることが出来る。
たとえばある特定のことに興味があって、そのことに関してCさんのブログとDさんのブログを毎日チェックしているというのなら、CさんのブログのRSSと DさんのブログのRSSを、FriendFeedの仮想の友達ひとつにまとめて登録してしまえばいい。そうするとその仮想の友達のタイムラインを見ている だけでCさんDさん両方のブログの更新が分かる。さらに、ある特定のことに興味がある場合は、誰かのブログを見に行くだけでなく、そのテーマではてなブッ クマークに絞り込み検索をかけたりしていることがよくある。じゃあ、そのRSSもこの同じアカウントに登録してしまえばいい。
ということで、実はFriendFeedはなんら実在の「人物」ではなくても、何らかのfeedを吐いているサービスであればなんでも取り込め、しかもどのように勝手にまぜこぜにしてもかまわないという、そこが行き着くところ。
コミュニケーション、更新通知、情報収集、そういうことがあまり努力や工夫をせずに一カ所で出来るようになるのがFriendFeedのサービスの力。

TwitterとFriendFeed両方のサービスを使い続ける意味はあるのか

私はTwitter以外はさほど更新頻度も高くないので、FriendFeedに登録したほとんど全てのサービスがTwitterに再投稿されるよ うに設定している。たとえば今まさに公開したこのブログも、FriendFeedに載るだけでなく自動的にTwitterにも投稿される。その他にわりと よく使っているのはtumblrで、これは自分自身の息抜きとして一日一回程度Flickrなどから動物(圧倒的に猫が多い)の写真をひたすら引用し続け ているが、これもFriendFeedを通じてTwitterにもリンクが投稿される。
私個人の使い方はそういう風だけれど、たとえばの話、毎日20枚も30枚も写真を撮ってはアップする人がいて、そのリンクが全部Twitterに流れてく ると、ちょっと鬱陶しいかもしれない。その人の写真が好きなら垂涎ものリンクだけれど、その人の写真以外の発言が見たいだけだったら、ちょっとうるさいか もしれない。
そういう場合には、FriendFeedでは全ての写真投稿が見られるけれどTwitterには流さない、というような使い方をしてもいいかもしれない。 FriendFeedのアカウントを購読する気がある人だけが、なんというか、全部入り豪華版のフィードを見て、そこまで要らない人はTwitterだけ 見てね、みたいな使い分けが出来るかもしれない。TwitterのアカウントとFriendFeedのアカウントを全然別の内容としたり、あるいは逆に完 全互換のものとしたりして使うのではなく、そういう風に含まれるボリュームで分けるというのもひとつのやり方だろうと思う。
また、FriendFeedでは特定の発言に、ブログにコメントをつけるような感覚でコメントが出来るようになっている、つまり元発言とそれに対す る他人も含めてのコメントが一カ所で把握できる。この辺はそもそもの設計思想からしてTwitterとは違い、どちらがいいとか悪いとかいう話ではないけ れど、特定の話題についてちょっと続けて話をしたいという場合にはTwitterで追いかけていくより楽なのは事実。
で、他人の発言をよく見ていると、上手な人は普通の発言は直接Twitterに投稿してそれをFriendFeedに反映させるというやり方にし、一方 「ちょっとこれは積極的にみんなの意見を募りたいぞ」というような時にはまずFriendFeedに投稿してそれをTwitterに反映させる、という逆 方向のことをして使い分けている。FriendFeedに最初に投稿してそれをTwitterに反映させると発言そのものにFriendFeedの個別発 言へのURLが自動的に添えられるので、Twitterを見ている人も簡単にFriendFeedに誘導できるわけだ。でも、普段なんら積極的なコメント を求める必要のない発言にまで常にURL付きでTwitterに投稿されるのは他人も自分も鬱陶しいから、普段はやらないということらしい。
これはなかなか賢い使い分けで、サービスを乗り換えてしまうのではなくTwitterとFriendFeed両方を同時並行で使い続ける積極的な意味を見つけたんだなこの人たちは、と思ったりする。

その他のちょっとした話

私のFriendFeedは(左のサイドバーにも出てますが)http://friendfeed.com/ikimono
FriendFeedのアカウントを持っている人は遠慮無く購読してください。あなたがどんな人かそれとなく分かれば私もあなたのフィードを購読するかもしれません。
なんというか、まあ、それを否定するつもりはないんですが、どんなことをしていてどんなことに興味を持っている人か全く分からないようにプロフィールも書 かないし(持っているかもしれない)ブログなど他のサービスもいっさい登録しない、全くの謎の人状態で購読してくる人とか結構います。Twitterで も、います。
本人があまりプライバシーを公開したくないという思いで行動しているのだろうということ自体は何ら反対しません。尊重します。ただ、謎の人を購読し返す (Twitterならフォローし返す)のは悩むんですよ。だって、自分にとってなんにも興味が持てない発言が流れてくるだけかもしれないわけですから。そ ういう状態なのに(自分の情報は全然明かしていないのに)なかなかフォローしてくれる人が増えないなぁという嘆きがつぶやかれていたりすると、いや、それ はやっぱり無理ですよ、とか思うわけです。
ほんのちょっとでいいので、手がかりになるようなことをよろしく。

3月 302009
 

昔々、私がはじめてインターネットというものを使い始めて、わけもなくちょっと興奮していた頃、「インターネットは国境というものを無意味にするのではないか」などと、何かすごいことを思いついたように考えたりしたものだった。
それからもう何年も経ち、インターネットがある、インターネット上で何かをする、ということが当たり前になりすぎて「インターネットは○○」というような考え方自体を全くしなくなった今日この頃。

偶然、Facebookのユーザー数が非常にのびている、という記事を(実のところあまり興味もなく)ぼーっと見ていたが、1億5000万くらいという数そのものに目を引かれた。あのね、日本の現在の概算の総人口が1億3000万弱。つまり、Facebookのユーザー数は日本国の全人口より多いわけ。
昔々、夢というか、妄想のように、インターネットの力はやがては国境を、とか考えていたのが、実はFacebookというソーシャルネットワークサービスがいつの間にか、ある一国の人口を超えるという形で乗り越えちゃっていたらしいというのが、びっくりというより、脱力だった。
そうかそれでダボス会議にFacebookの代表が関わったりするわけだよな、と過去のニュースの意味を今さらのように理解したりする。質がどうだとかいう議論以前に、1億以上という圧倒的な数は、これはもうひとつのなんというか既成事実だよな、と。
これはFacebook国なんだ、と。

なにが「脱力」だったのかということをもう少し言っておくと、つまり、かつてはインターネットというのは声なき庶民の意志とか意見とかを既成の枠に とらわれずに発現させるメディアになり得る、みたいなちょっと肩に力の入った見方が一部に存在していたわけだ。生まれついたときからインターネットがあるのが当たり前だった世代の人々には「はあ?」という感じの話だろうけれどね。
Facebookを使っているほとんどの人はおそらく、誰か友達を見つけたいとか、友達と楽しいおしゃべりをしたいとか、うまいこと儲けばなしを見つけた いとか、そういう本当にごくごく日常的な、実生活に根ざしたことしかしていないだろうと思う。そして、物理的な土地の境界線で作られている「国」で暮らし ているほとんどの人も同じ。なにもすごいことはなくて、ただ楽しそうで便利そうな所に人が(物価が安くて治安がいい土地に人が自然に集まるみたいに)集まってみたら日本の人口以上になってしまいました、というだけなんだよね、という普通さがね。

インターネット上の勢力図とかいうんじゃなく、Facebook国やMySpace国(ここも1億以上ユーザーがいる)というふうにみてみると、ちょっと面白いなと思った。