4月 152011
 

キホンのホはなぜ書かれたか

私は『キホンのホ』を主として、営業という仕事の経験がほとんど無く、間違った思いこみを持っている方に向けて書きました。
そもそも多くの人に会って回ること自体が苦手で、営業職に配属になった瞬間から精神的な苦痛を感じている人もあるでしょう。
人に会うこと自体は嫌いではなく、毎日変化のある仕事を初めは楽しんでいたつもりなのに、現実には営業成績が伸びず、「人と会ったり話したりするのが好きだ」というだけではうまくいかないものだなぁという壁にぶつかってしまった人もあるでしょう。

そんな方に営業を続けるよう強要するつもりは、全くありません。
けれども、壁にぶつかっているようではあるけれど、それを過ぎれば優秀な営業さんになるだろうなぁと思える方を何人も見てきました。それが出来ないだけで、才能を無駄にするのは本当にもったいないなぁ、と。
残念ながら、そのように思って見守っていた方の多くが結局は営業の仕事をやめてしまわれました。

営業は想像しにくい

ご実家が店舗であったり、ご両親が自宅で何らかの自営業を営んでおられたりした方は別ですが、それ以外の大部分の方にとっては、商品やサービスを営業するということ自体に触れた経験が全くないでしょう。
たとえ親御さんが営業職についておられたとしてもそれは「会社」でのことで、ご自宅内で親御さんがそういう行動をする姿はほとんど見たことがないでしょう。
そういう方々にとって営業という仕事は、社会に出てから生まれて初めて触れる不思議なものです。
事務職であれば長い学生時代の作業と多少なりとも重なる部分があり、(いろいろと戸惑うことはあっても)それまでの人生経験の延長として思い描ける余地があります。
しかし、営業はおそらく無理です。

このショックや戸惑いからどうしても抜け出せない方々というのが案外たくさんいます。そして、実際の営業の仕事自体がうまいかへたかというのは違う部分で半永久的に悩み続けることになってしまっている方も多いような気がしました。
そのような方々に、自分が今直面している「営業」という得体の知れないような気がするものは、そもそもは一体何なのか、ということを、ちょっと足をとめて見つめてもらいたかったのです。

私が営業について書いたことの背景

私は幼い頃から本が好きでした。そのまま典型的な文学青年といっても良いようなものになりました。そして(実にありがちですが)そのまま本屋のアルバイトを始めました。
しかし何年か経つうちに、本が好きだということと本を売りまくるということはどこか全く違う部分がある、ということに嫌でも気付かされました。

たとえばの話ですが、元文学青年である自分はバルガス=リョサを売りたいと思っているが、その一方で確実に店舗に利益をもたらしているのは某エロ小説文庫だというようなことについて、自分の中でどう折り合いをつけたらよいのか、というようなことです。
「そんなこたぁ、きっぱりと割り切ればいいんだよ。ばかばかしくても、くだらなくても、金をもたらしくれるものはどんどんナニしておいて、その上がりの余剰でいいものを地道に提供すれば何も悩むこたぁないだろう」という声が四方八方から聞こえてきそうです が、少なくとも若かった私には、それは出来ませんでした。

悩んだあげくに、高価な商品をアポイントを取って売り込むという、全く未知の仕事にあえて就いてみたりもしました。そんな状態でもやっぱり買う人が実在するということに、びっくりしたりしながら過ごしました。

正直に言うと、入社面接の時に提出した小論文をいきなり最終ページから読み始めるという素敵な行動をとった社長に、ちょっと惚れたという理由でその会社に入った、という面もあります(笑)
だから初めからそのような仕事こそをやろうと、明確に意識して選んでいたわけではないけれど、結果としてそれは自分にとってとても良かった、というのが本当のところです。
 

そうこうするうちに次第に分かってきたことは「自分は本を、勝手に自分のものだと思っていたな」ということでした。
他人がなぜ本を読むのか、なぜこの本を選ぶのか、ということをほとんど考えたことがなかった。
バルガス=リョサとエロ小説文庫の対立などというものは、私の頭の中に存在しているだけ。本は、買う決断をする一人一人のためにあり、その決断の理由もまたその人 々の勝手だということを本気で認めていない、実に傲慢、狭量な人間だった、ということに次第に気付いていきました。

やがて私はまた書店の仕事に復帰しましたが、それからは何かが売れていれば少しでも自分で実際に読んでみるようにしました。エロ小説でも、ちょうど勃興期 だったティーンズ小説でも何でも読み、自分個人としては好きになれなくても、これを読む人々は何を求め、何を楽しみにしているのだろうと考えるようになり ました。
「売れていれば、それがお客様が喜んでくれているということだ」と思えるようになるには、それからさらに何年も何年もかかりましたが、そうやって苦労しいしい、ものを売るということを発見していったのです。

きれい事ではすみませんが

…と、きれいにまとめてしまえばもっともらしくはあるんですが、実際にはこの程度で全てが丸く収まるほど、本を巡る仕事も、もっと大きく言えば資本主義経済の仕組みというものも、そう単純ではありません。
しかし、そのようなことからずっと目をそらして働いていくよりも、一度は本気で取り組んでみた方が「あとで」楽しくなるのは本当です。

今までストレートに書いたことはあまり無かったと思いますが、私は「本は文化だから守らなければならない」的な発想が大嫌いです。
文化とは、ある社会を構成する人々によって習得され、共有される行動様式や生活様式全体のことです。
ある文化が「良い」ものであったり「悪い」ものであったり、より「高い」ものであったり「低い」ものであったりすることはありません。

私の偏見だろうとは思いますが、そもそも本を文化として守ろうということをことさら声高に唱える人々は、内心はエロ小説の大群や成人指定のコミックスのことなど本気で考えてはいないように見えます。
もっと言ってしまえば、2ちゃんねるの吉野家コピペの傑作を堪能したこともないかもしれませんし、その一方では『源氏物語』や『失われた時を求めて』を完読したこともないかもしれません…いやそれこそ偏見というものですね(笑)
文字を読んで楽しむという文化は本当はきわめて広いものだ、ということを言いたいだけです。

食文化というものは確かに存在しています。しかし、限定された時期や地域で権力者個人の権威で保護された場合以外、食はおそらく一度も保護などというものは受けたことがないはずです。
街角の食堂や総菜屋さんから中華街の最高級料理店にいたるまでの全ての食に関わる人々と、それらを自主的に選んで食べ続けてきた人々が、自分たちの力でそれを維持してきたのです。
まさしく「ある社会を構成する人々によって習得され、共有される行動様式や生活様式を文化と呼ぶ」という理解どおりです。

当たり前のこと

本もね、みんなの力で、自主的にやっていきましょう。
それが「文化」なのかどうかとか、ましてや「すぐれた文化」なのかどうかなど考えなくて良いのです。
あるものはある人にとっては面白く、同じものが別の人にとっては屑に過ぎない。それで当たり前です。
あなたが営業する本のひとつひとつの先に、そういう当たり前の文化が広がっているのです。

※ご注意:一部の記事は書かれた時期が古いために現状と合わない場合があります
この文書の趣旨」でもご紹介しているように当コーナーが本にまとまったのが2008年(実際に原稿をまとめたのは2007年暮)なので、多くの記事はそれ以前に書かれています。
そのため一部の内容は業界の常識や提供されているサービス・施設等、また日本の世間一般の現状と合わない可能性があることにご注意下さい。

4月 142011
 

でもダメだよ、という時

前回の最後で、よい営業さんだとは言ってもらえても「営業成績」は伸びない可能性が、まだある、と言いました。
ちょっと思わせぶり過ぎで「えー?やな感じ」と思った方もいるかもしれません。はい、ごめんなさい。

でも本当にそういうことはあります。
これまで4回に渡ってお話ししてきたようなキホンのホを一所懸命実践しているのに、なんだかダメだよ、と。
いろいろと理由はあると思います。でもおそらく、それは「テクニックが未熟」とか「笑顔が悪い」とか、そういう細かなことではありません。

うまく相手に話を聞いてもらえる態勢になった。ちゃんと説明もした。相手の要望を出来るだけつかむようにしてそれに合わせて提案もした。
で?
「注文下さい」ってはっきり頼んだ?
 

帰っちゃっていませんか?

こんなに説明もし、相手も「うんうんなるほど」と納得してくれたみたいだから、それ以上は言うまでもない、と思いますか?
言わなくてもうまく行く場合も確かにあります。でも、多くの場合は、はっきり言った方がいいのです。

これは世間で言うところの押しの話とはちょっと違います。
「これこれのものをこのくらいの数いかがですか」とか「これに関してはこのようなローンの組み方が出来ます」といったような、具体的な購入手順を示すことも、まだ説明する側の責任なのです。
見込み客:「いいねぇ」
あなた:「いいでしょう」
そのあと、じゃあどのように実際に購入するかという決断や手順を、見込み客の側に丸ごと押しつけていませんか?
相手がその辺の話を自分からしてくれるのを、ただニコニコしながら待っていませんか?

そんなおかしな話があるものかと思う方もあるでしょう。
でも本当にあるのです。私自身たくさん経験しました。
失敗している営業さんで最も多い二つのタイプ。
その1が、前回お話しをした、相手が必要とする理由を考えずにひたすら商品そのものの優秀さだけを説明しまくるというタイプ。
その2が、「で?具体的にどうするの?」とこちらから言ってあげないと、下手をするとそのまま丁寧に挨拶をして帰ってしまうというタイプ。
本当なんですよ。
あなたは帰っちゃっていませんか?

ちゃんと頼みましょう

説明の過程で

  • 商品知識が不足している
  • 商品に自信を持っていない
  • 相手のためになろうと本気で思っていない
  • 相手の必要を真剣に聞き取ろうとしていない

というような失敗を犯していれば、自ずと自信を持って「では注文を下さい」とは言えません。
逆に、それらをきちんとやってきたのであれば、自信を持ってはっきりと言うべきです。

最後の一押しと称して、これを「ハンコをつかせるためにちょっと強引に説得する」ようなことだと思いこんでいる人が多いようです。
この誤解が、そんな強引なことはとても自分には出来ないと思わせ、ますます「では注文下さい」と言わなくさせる。
それは違います。
言ってあげることが、相手にとっても「最後の肩の荷」をおろすことになります。

相手のストレスを出来るだけ自分で引き受ける

決断をするというのは、とてもストレスがかかることです
これまでの発言や交渉条件にミスや見落としはないか。何か確認し忘れている情報があるのではないか。自分は、結局のところ、本当にこれが欲しいのか。…そういう不安や疑惑が最後の瞬間にどっと押し寄せてきます。
「大丈夫だ」「間違いない」と全速力でチェックし直し、「よし決めよう」という気力をあらためて奮い起こさなければなりません。
この強いストレスの瞬間を、丸ごと相手に押しつけてはいけません。

「さあ、言うだけのことは言った。やるだけのことは全てやった」
という瞬間は、確かに一仕事終わったような気持ちになります。まさにあなた自身が「肩の荷を降ろした」ような気持ちになります。
そういう瞬間にスーッと呼吸が楽になっている自分に気付いたりするでしょう?
でももう少しだけ頑張りましょう。
相手が肩の荷を降ろすまで、あなたは降ろしてはダメです。

本編はこれでおしまい

さて、「キホンのホ」の本編はこれでもうおしまいです。
とてもシンプルです。
シンプルすぎて拍子抜けだ、営業というのはもっと複雑怪奇で難しいものじゃないの?という方もあるでしょう。
確かに営業の現場は複雑怪奇です。
でも、このシンプルな基本の上に全てがあります。これまで述べてきたことをきちんとやらないで「高度なテクニック」に頼っても、それは付け焼き刃で、いつかは行き詰まります。

あともう一回だけあとがきとして、「キホンのホ」を書いた背景を、書くでしょう。

※ご注意:一部の記事は書かれた時期が古いために現状と合わない場合があります
この文書の趣旨」でもご紹介しているように当コーナーが本にまとまったのが2008年(実際に原稿をまとめたのは2007年暮)なので、多くの記事はそれ以前に書かれています。
そのため一部の内容は業界の常識や提供されているサービス・施設等、また日本の世間一般の現状と合わない可能性があることにご注意下さい。

4月 132011
 

ジェット機でも必要としている人はいる

「自分はいつも誠意を持って営業をしているのに断られてばかりいる。誠意なんて結局役に立たないんじゃないの?」
そんなあなたは、必要としている人に必要なものを提供する、というごく当たり前のことを忘れているのかもしれません。

自家用ジェット機でも必要としている人はいます。
私たちの大部分にとっては必要が無いどころか、漠然と欲しいと思ったことさえないでしょう。
それでも誰かは必ず欲しいと思っています。欲しいどころか必要だと思っています、たとえば私たちの多くが「エアコンが必要だ」と思うような具合に。

さて、ここで誤解をしないようにしてください。
「だからどんなものだって売り込めるんだ」などと言っているのではありません。
そのような言い方をする人や、そのような無責任な「前向き志向」を主張する本があるのは事実です。けれども、それは嘘です。好意的に言っても、あきらかに説明不足です。

ねじ一本でもいらない人にとってはいらない

ねじ一本でも、必要ではない人にとっては全く必要がありません。たとえ20本で150円というようなお買い得価格であっても、同じです。
つまり、ジェット機であっても「必要としている人」には売れるけれど、ねじ一本でも「必要としていない人」には決して売れない、というのが本当のことです。

あなたが、自分が扱っている商品をどんなに熟知し、それを誇りに思っていても、そのこと自体は実はセールスの成功・不成功に直接は関係ありません。
相手がそれを必要とするのかどうか。
相手はなぜそれを必要とするのか。
そのような判断をしないままに行う営業は無駄ばかりです。

人はモノは買わない

「これこれの性能・装備を備えた自家用ジェットがあります。しかもお値段はこの程度です。素晴らしいでしょう?」
確かに素晴らしい。
でも、それをアルバイトに走り回っている大学生が住んでいそうなアパートを訪問して話はしません。これは全く当たり前だと誰にでも分かります。
分かりますが、その理由は分かりますか?
どうせその大学生はその金額を払えないから、ですか?
違います。

「これこれの性能・装備を備えたワゴン車があります。しかもお値段はこの程度です。素晴らしいでしょう?」
今度は、場合によっては大学生だってローンを組んで買う可能性はあります。
しかし、車が欲しい最大の理由は、恋人と二人きりでドライブに行きたいということかもしれません。ワゴン車よりツーシーターのオープンカーで無駄に気取ってみたいかもしれません(笑)
あなたが扱っている手持ちにオープンカーかそれに準ずるものがあれば直ちに話を切り替えるべきです。ワゴン車しか手持ちのカードが無くても、ワゴン車でどのくらい無駄に気取れるかということを話してみるべきです。
これも当たり前だと思うでしょう?
ところが、これが出来ない方が非常に多いです。いかに「モノとしての商品」が素晴らしいかをひたすら力説し続けるばかりという方が、とても多いのです。

人はモノは買いません
商品が相手にとって素晴らしいかどうかは、最終的にはそれを相手に使ってもらった時の満足度で決まります。
そしてその満足度は「~をしたい」「~になりたい」などの欲求に対して、それをどのくらい十分に、どのくらい「お買い得」に満たしてくれるかで判断されます。

99.9%の大学生は自家用ジェットを買わなければと思うべき理由がありません。
一方車なら、恋人とのドライブのために買いたい理由があります。

激務が続く大企業の最高責任者は(たとえ民間の航空機を利用する方がずっと安くても)自分が望む瞬間に望む場所にいることがとてつもなく重要だと思えば、あきらかに自家用ジェットを買いたい理由があります。
一方、必要な理由が自分の中に見あたらなければ、150円のねじは買いません。

あとほんの一回か二回です

さて、短期集中連載の「キホンのホ」もすでに終盤にさしかかっています。
え?本当にこれだけのことでいいの?
たったこれだけのことでうまく行くようになるはず無いでしょ?

いいえ、大丈夫です。基本の「ホ」はとてもシンプルです。
でも確かにここまでのことだけでは、まだダメでしょう。よい営業さんだとは言ってもらえても「営業成績」は伸びない可能性があります。
次回はそのことについてお話ししましょう。

※ご注意:一部の記事は書かれた時期が古いために現状と合わない場合があります
この文書の趣旨」でもご紹介しているように当コーナーが本にまとまったのが2008年(実際に原稿をまとめたのは2007年暮)なので、多くの記事はそれ以前に書かれています。
そのため一部の内容は業界の常識や提供されているサービス・施設等、また日本の世間一般の現状と合わない可能性があることにご注意下さい。

4月 122011
 

誠意につきる

営業先で相手と信頼関係を築くために必要なことはなんでしょう?
完璧な敬語や礼儀正しさ?
気軽なお友達口調やくつろいだ雰囲気?
いいえ、それらは「あとから」外に現れてくるものです。
なんの「あと」から?
誠意です。

ある人が、敬語の使い方を少しも間違えずに流れるように語り、隙のない礼儀正しさを身につけていても、それそのものは、その人を信頼するための保証にはちっともなりません。
その証拠に「慇懃無礼」という言葉があります。
表面上はとても丁寧でも、内心では相手を軽くみている様子のことです。
あなたも一度くらいはそういう経験をしたことがあるはずです。文句のつけようのない言葉遣い・態度だけれども、なんだかバカにされているようでやたらと腹が立つ相手に遭遇してしまったことが。

ではそれは妙に「堅苦しくてご立派な態度」をとられたことそのものが原因なのでしょうか。気軽なお友達口調で話しかけてくれればそんなことはなかったわけでしょうか?
それも違います。
どんなにお友達的な雰囲気が演出されていても、相手があなたの本当の友達ではなければ、やっぱり信頼など出来ません。だって友達じゃないんですから本当にはあなたのことを気にかけてなどいないかもしれません。
さっきまで親しげにしてくれていても、自分の都合最優先でさっさとどこかへ行ってしまったり、あなたがしたくないことを「楽しいから絶対しよう」と言い張ってどこかへ強引に連れて行かれるかもしれません。

いいと思っていることを押しつけることとの違い

どんな態度でも、どんな話の進め方でも、そこに「あなたのことを真剣に気にかけている」というメッセージが込められていなければ、信頼することは出来ません。
「自分が何をしたい」ではなく「あなたにとっていいことをしてあげたい」という態度が、誠意というものの根本です。
たとえ個別に提案されてくるものの全部が全部あなたの気に入ることはなくても、相手が常にあなたのために努力したいと思っているという軸がぶれることがなければ、相手を信頼することが出来ます。

あなたと彼が暑い夏の日にドライブに出たとしましょう。(男女逆に読み替えてくださっても、もちろんけっこうです)。
暑くてのどが渇いて何かを飲みたいと思ったとします。
その時彼が店や自動販売機を探して車を止めてくれ、冷たい飲み物を買ってくれるのは「普通」です。

「夏だからと言って冷たいものばかり飲んではいけない。熱いお茶を飲もう」と言い出すのは、彼が単に自分自身が健康マニアでそれを他人にも実践させたいと思っているだけだという可能性が高いです。
どんなに詳しく説明してくれても、多分それは「彼がしたいこと」です。

ひとまずあなたの望み通り冷たい飲み物を買ってくれるけれども、あなたの体調を気遣って「次に停まった時は暖かいものもいいと思うよ」と言ってくれる彼は、多分、誠意があります。
(…多分、です。男女関係ですから保証は出来ませんが)。

  • あなたの欲求を、特に深く考えずに、即刻かなえてくれる。
  • あなたの欲求とは関係なく、自分が良いと信じていることを布教してくる。
  • あなたの欲求をより深く考えて、さらに良いのはどんなことか提案してくる。

この三つの違いが分かりますね?
特に二番目のケースは、他人からそうされると鬱陶しいと分かっているのに、自分が他人に何かを勧めようとする時は思わずやってしまうことが非常に多いです。

実は誠意の方が得です

そうは言っても常に「誠意」だけでは仕事にならない、と思う方も多いでしょう。
もっともらしい反論なのですが、それは間違いです。

相手の望むこと以外をすれば、それ以後相手はあなたを警戒します。
複数回になれば信頼しなくなります。
あなたは常に新しい相手を捜すことになります。
確かに世の中にはたくさんの人がいますから、次から次へと新しい相手を捜し、一度きりで乗り換えていくことは可能でしょう。しかし、新しい相手にあなたを信用してもらうにはそのたびに手間・時間・お金がかかります。とても無駄が多いのです。
それが、世の中に成功した詐欺師があふれかえっていない(むしろとても少ない)理由です。
ひとりひとりの顧客と信頼関係を結んで長くつきあってもらった方が、トータルで見ればずっと得です。

「自分は間違いなく誠意の固まりのつもりで営業をしているんだけどしょっちゅう断られる。そんなにうまくいくものではないんじゃないの?」という疑惑を持つ方もおられるでしょう。
もっともです。
でも、少しだけ勘違いをしているかもしれません。

次回は、そのことについてお話ししましょう。

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4月 112011
 

オリンピックは分かりやすい

営業という仕事は、なんだか他の仕事とはちょっと違った特殊なもののように思えることがあります。
本屋へ行くと『一年で×億売り上げるスーパーセールスマン』とか『××世界一の営業術』とか、なんだかオリンピック級の人々が華麗な技を競い合っている世界であるかのようだったりもします。
いやいや…とても自分にはやれないよ、と落ち込んだりします。

たしかにオリンピック級の力を持つ営業マンは実在します。ええ、そりゃもうびっくりです。
しかし、それは他の仕事でも全く同じです。数人のスーパースターと、大勢のそうではない人々がいます。営業という仕事の場合、成約した/しないとか、その金額がいくらであるかとかいった面で、誰にでも分かりやすいというだけです。

まさにスポーツと同じですね。
誰かと誰かが一緒に走れば必ずどちらかが先にゴールにたどり着き、そのことは生まれてから一度もスポーツをしたことがない人にも大変よく分かります。
だからこそオリンピックは成り立つわけです。

あなたもしばしば営業している

あなたも友人に「あそこの店の××はとってもおいしかったよ!」と教えて、今度一緒に行こうと誘うことがあるでしょう。
「あの映画は素晴らしかった。とにかく見ておくべきだよ」
「あの本を読んでいないなんて、なんてもったいない!」
「あの化粧水を使うようになってから肌が全然違うよ」
すべて、とても基本的な意味で、まさに営業です。
何かに愛情を感じ、それを他人にも利用したり購入したりするように勧めるという行為は、全て営業です。
その時あなたは、単に自分が好きだというだけではなく、それをぜひ相手も利用したり購入したりするよう説得しているからです。

説得に成功して一緒にその「××」を食べに行ってみたら、残念ながら友人はその味があんまり好きじゃなかったということはあり得ます。勧めた化粧水が体質的に合わなかったということもあるかもしれません。
しかし、あなたに悪意があったわけではありません。相手にも喜んでもらいたいという気持ちがあっただけです。そして、出来るなら、その喜びを共有したいとも思ったでしょう。

信頼関係が初めの一歩

友達とはすでに信頼が成立しています。
仕事として誰かに会う場合には、大抵はまだ信頼が成立していません。ですから、まずそこから取りかからなければなりません。
営業職が多くの場合身だしなみをうるさく言われるのもそのためです。相手にまず、自分が怪しげだったり、平均からひどく外れたりしておらず「話せば分かる」人間だと思ってもらわなければなりません。
善意の固まりかもしれなくてもシュウシュウいっているスーパーサイヤ人といきなり親しく話し込むのはなかなか難しいでしょう。

外見や雰囲気の面はとりあえず相手のお眼鏡にかなったとしましょう。次は?
そう、相手と信頼関係を築いていかなくてはなりません。
信頼関係といっても、あなたが100%素晴らしい人間で、欠点はひとかけらもなく、しかもあなたと相手の好みは完全に一致している、などと思ってもらう必要はありません。

友達にもいくつも欠点があるでしょうし、あなたとは好みが合わない部分もあるでしょう。あなたはそれを考慮した上で友達の話を聞いているはずです。
この友達が「ちょっと甘い」と言うならそれは「猛烈に甘い」ということだ、なぜならこの友達は自分からすると信じられないくらい甘党だから、というような具合に。
それでも、この友達との信頼関係そのものにひびが入るわけではありません。

次回は、信頼の基本は何かということをお話ししましょう。

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4月 102011
 

最近の「営業のヒント」はやや細部に入り込み、場合によってはやたらと高度な話題に進む傾向があります。そこで、営業というものの非常に基本的なことに関するお話しを加えてみることにします。

入室したらどう挨拶をするとか、名刺はどう渡すとかいったような、基本の「キ」とも言うべきことにはいわゆる入門書が沢山あります。ですから、ここではそういうお話しはやめましょう。
また、すでに一線で頑張っておられる方々を励ましたり、より深いヒントを与えたりするものも、やはりたくさんありますから、これもやめましょう。
曖昧だけれども基本の「ホ」のあたりのお話しです。

あなたの人格が否定されたわけではない

営業経験のない方がおそらく一番精神的プレッシャーを感ずるのは、営業をして拒否されたことをどう受け止めるのか、ということだろうと思います。

多くは断られる

私自身も、見込み客に電話をしてアポイントメントを取り(いわゆるテレアポをして)、それからようやくその人に会いに行って話をする、というきわめて典型的な営業をしていた頃は、本当に憂鬱でした。
そもそもテレアポというものはきわめて成功率が低いものです。電話をかけてもかけても断られ、そのまま昼休みの時間になってしまったりすると、本当に食事がマズかったものでした。
アポイントメントが取れた方はある程度は進んで話を聞こうという気持ちを持ってくれていますから、とりあえずこちらのプレゼンテーションを最後まで聞いてはくれます。
しかし、もちろん、話を聞いてくれた方々の多くが、お断りになります。
そうなるとまた、遅くなった夕食のマズいことといったら…(苦笑

拒否されるのはあなた自身ではない

日常生活で(特におそらく日本では)はっきりとした拒否を受け取るということは、あまりありません。はっきり拒否をされると、なんだか自分の全人格丸ごと否定されたような気分になります。
これが、じわじわとあなたの気分を蝕みます。
しかし、多くの場合、拒否されたのはビジネス上の提案であって、あなた自身ではありません
あなたがその相手とプライベートで知り合っていれば、ひょっとすると友人にさえなったかもしれない、ということだって大いにあり得ます。

そんな調子の良い話があるわけはない、と思いますか?
そもそも多くの人は何かをはっきり拒否するということが(特に相手の人間が目の前にいる場合には)苦手なのです。出来ることなら誰かにはっきりと拒否とを突きつけるような行動は避けたいと思っています。
それはあなたの部署の同僚同士のことや「ご近所さん」のことを思い浮かべれば、本当だということが分かります。
相手だって出来れば拒否はしたくないけれども、断らざるを得なかったのだ、と捉えることです。

下手な営業は優しくない

意地悪だから断るという人は多くない

世の中には確かに根っから意地悪な人やひねくれた人もいます。
けれども全体から見ればその数は少ないです。その数が少ないからこそ「あの人は意地悪だ」と言われるのであって、人間の大部分がそうなら誰もそんなことは言わないのです。

断る根拠を無理矢理作り出す心理

断らざるを得ない時は相手も残念な気持ちになっています。出来るだけ気持ちよく断らせてあげたいものです。
うまく断れないと、相手も強いプレッシャーを感じて必要以上に乱暴に(あなたとのつながりをなんとかして断ち切ろうとして)断ります。
そのようにさせるのは、半分はあなたです。
日常生活でも、何かあなたとしては乗りたくない話をしつこく持ちかけてくる人のことが、次第に嫌いになるという経験をするでしょう。
始めはその提案そのものを断りたいだけです。
しかししつこく言われ続けるとだんだん、相手の人間性や外見まで「イヤなやつだ」と思うようになってきたりします。
初めは「ちょっとうるさい」とか「けむたい」という程度だったのに、自分はあの人が嫌いだ。あの人の存在そのものが自分とは相容れないのだ。などと、次第にエスカレートしていきます。
そうやって、提案を強く拒否する根拠を自分の中に作ろうとしているのです。

下手な営業は人に優しくない

営業の場でも、同じです。
たとえば、あなたが一方的に話し続け、相手の意見や気分の変化を受け入れなかったら、相手は「追いつめられて」行きますから、そこから脱するために乱暴に断ります。
営業は相手を身動きならない片隅に追いつめるためにするものではありません。

そのようなつもりがないのにそうなってしまうなら、それはビジネス上の技術として、あなたの営業が「下手」なのです。
つまり下手な営業は人に優しくありません

営業として上達しようと思う時、このことをちょっと思い出してください。あなたが上達すれば、あなたも相手も嫌な気持ちにならずに済むのだということを。
そして、おいしくご飯を食べてください。

まだ続きます。

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4月 092011
 

かなり多くの営業さんがアポ無しでお出でになります。
以前から不思議でならなかったのですが、これはなぜなんでしょう?
膨大な「無駄足」が発生していると思うのですが…。

書店の多くがまだ完全週休二日制ではないし、アルバイトやパートさんの複雑な出勤体制の隙間を埋めるように互いの出社日決めることも良くあるので、担当者が特定の曜日が定休日であるというケースはむしろ少ないかもしれません。
訪問する書店を沿線別でスケジュールを組んでいたりするというような事情もあるとは思いますが、アポ無しではどうしてもすれ違いが多くなります。運が悪いと何ヶ月もすれ違ったままになってしまうこともあります。
これが嫌で、現役の書店員だった時代に自分のスケジュールをインターネット上で公開し、それをご覧になって訪問を決めていただこうというのが、昔々このサイトを始めたきっかけだったくらいです。

版元の営業さんの側としては、たとえ書店の担当者が不在でも、完全に無駄足ではないとは言えます。書店を廻ることで現場の状況を知ることが出来ますから、何かしら得ることはあるわけです。
しかし、書店の担当者の側としてはお会いできなければ結局得られるものはほとんどありません。注文書などを残していっていただいても、「お勧めです!」というようなメモを添えていただいても、直接お話しを伺わないと判断が付かないという場合も非常に多いです。
出来れば、やはりご訪問いただく時には直接お会いしたいものです。

担当者の権限は大きい

直接の担当者が不在の時、同僚の方や上司の方に受注の承認をもらうという場合もあるでしょう。
誰が見てもある一定数以上売れることが確実と分かる著者やテーマの場合はそれでもあまり問題はないかもしれませんが、残念ながらそういうケースはそう多くはありません。微妙な判断を要する仕入れはやはり直接の担当者が決断すべきものです。

書店の中で担当者の権限は事実上大きいです。
店長などの最高責任者が版元の営業さんに「いいですよ、入れましょう」と承認を出した場合、それは自動的に部下である現場担当者への指示・命令になると考えるのが当たり前のようではあります。
しかし、実際にはいざ品物が入荷してきてから店内でちょっとした騒ぎになるというのは良くあることです。「聞いてないよ」というわけです。

この「聞いてないよ」は感情的な対立やコミュニケーションの失敗という、社内問題の面もあります。
しかし現実問題として、各担当者は自分が管轄する売り場を、空間的にも、(何月になったらアレを…というような意味で)時間的にもどのように使おうかと、全体としてとらえて計画しているものですから、そこへいきなり外部からポーンと何かを放り込まれても困ってしまいます。
店内で言い合いになるならまだしも、頑固な担当者の場合には自分自身が承認したのではない入荷品は無言のままこっそり返品してしまうこともあります。無条件に全てたたき返す、という人も、実際にいます。

書店が分野別の担当制をとっていることがほとんどなのは、本という商品が非常に種類が多く、それらを適切に組み合わせて売り上げを作って行くには深く、継 続的な知識が必要だからです。ある程度以上の坪数の書店では日々リアルタイムで動いていく現場への判断は、肩書きがなんであれ、直接の担当者が責任を負う のが当たり前です。そのような責任を負っているからこそ、場合によっては上司が承認した仕入れを反故にすることもあるのです。
いささかわがままで、行きすぎの場合もあるでしょうが、このような担当者の責任とそれに伴う権限は、基本的には尊重すべきものです。

アポを取りませんか?

最悪、直前になって「あと1時間くらいで伺いたいんですが」という電話でもけっこうです。
以前からお話ししているように、書店の店頭は予測不可能なタイミングで忙しくなってしまうことも多いですが、同時にかなり融通も利きます。アポを入れてくれるなら仕事を調整してゆっくり話せるという場合もあるかもしれません。
書店の担当者にとっても営業さんにとっても、何も損はないと思いますが?

※ご注意:一部の記事は書かれた時期が古いために現状と合わない場合があります
この文書の趣旨」でもご紹介しているように当コーナーが本にまとまったのが2008年(実際に原稿をまとめたのは2007年暮)なので、多くの記事はそれ以前に書かれています。
そのため一部の内容は業界の常識や提供されているサービス・施設等、また日本の世間一般の現状と合わない可能性があることにご注意下さい。

4月 082011
 

常備は可哀想

常備は欲しいけれど、どのセットも希望するよりも冊数が圧倒的に多い、という場合は多いです。
少なくとも、私が実際に経験した全ての店舗ではそうでした。

版元さんの側には一定のランクの品目まで常設展示してもらう。その展示にそもそもそぐわない店舗には無理においてもらわなくてもけっこうである。というような考えも当然あるでしょう。
これが高飛車であるとは、私個人は、思いません。なぜなら常備は版元さんの社外在庫なのですからね。
そういった意味合いでは、展示義務を守れない書店は無理に常備をとるなというのは正論です。
公然と語られることは少なくても、展示しきれない常備の一部を早期返品してしまうことはかなり日常的に行われていますし、中にはそれ以上のことをはっきりと意識しながらやっている場合もあります。

書店さんを糾弾しようなどというつもりはありません。なぜなら、版元の営業さんの中にも明るく堂々と「入りきらなかったら返しちゃっていいですから、とりあえず常備入れてください」とおっしゃる方もいるからです。
常備はそのような扱いを受け続けているのだ、という事実があるというだけです。
常備は可哀想ですね。

回転率の悪さ

常備は補充をしない限り書店に対して請求が立たないわけですから、その点から見ればたとえ常備の中に入れ替えるまで一度も売れないものがあっても文句を言うには当たりません。
そもそも非常に有利な条件で商品を貸すのだから出来るだけバラエティに富んだ品目を出来るだけ多くの潜在読者の目に触れるように見本として展示してね、と いう意味合いが常備には含まれています。その筋で行けば売れる/売れないにかかわらず「出会いの可能性」を優先するべきです。

しかしながら、限られたスペースの中で出来るだけ売り上げを立てなければならないという書店側の事情から見ると、これはいささか困ってしまいます。家賃などの固定経費のある部分をその売れない商品がずっと占有し続けている、ということになるわけです。
そして常備の品目の中には必ずこのようなものがあります。半年経っても一度も売れない…とうとう一年間一度も売れない…最悪のものになるとスリップも常備 カードも見事に挟み込まれた時の状態のまま、つまり一度も誰もその本を開いてみたことさえない、というものも出てきます。
年々経営が苦しくなる書店側としては、さすがにそこまでの商品を律儀に置き続けることは難しいということになってきます。そこで、多くの場合長くても半年くらいで「見切り」をつけて常備であるにもかかわらず抜き取り返品をしてしまうということも起こってきます。

常備同士のぶつかり合い

ある版元さんの常備が上記のような状態であるだけでなく、複数の版元さんの常備同士のぶつかり合いもあります。
そもそも1社だけでも展示しきれないことがある上に、書店は普通同ジャンルの常備を複数版元さんからもらっていることが多いので、ますます展示しきれなかったりします。
次善の策と称して、ある版元さんの常備が届いたらそれより前から入っている同ジャンルの別の版元さんの常備を削る、最悪の場合全部返す、ということまで行われているわけですから、これは自社の常備だけの問題ではありません。

書店はなぜ常備を入れるのか

そこまで言うなら(あるいは、そこまでのことをしてしまっているのなら)そもそもなぜ書店は常備を入れるのか?と、そろそろ腹が立ってきた方もあるかもしれません。

新刊配本が必要なので

常備と新刊配本が密接に連動している版元さんは、今でも少なくありません。
リスクの大きい新刊ばかりではなく、地味ではあっても確実に売り上げになる既刊を大切に扱ってね、という版元さんの意向は理解します。そもそも普段から基 本的な品揃えをして顧客を開拓・維持していないところへ新刊を出すのはリスクが高すぎるという判断にも、同意は出来ます。
しかし、常備と新刊配本の関係を厳しく考えるあまり、わけの分からない堂々巡りに陥ってしまうこともあります。
「新刊配本をいただけないでしょうか」
「常備が入っていないと難しいですね」
「では常備をいただきたいのですが」
「売り上げ実績がないと差し上げられません」
「… …。」
ここまでひどくはなくても、新刊配本が欲しいという理由だけで実際には必要ない常備を入れている書店は少なくありません。
もう少しゆるやかに対応していただけないものかな、とは思います。

特定ジャンルを充実させたいので

これはある意味では書店側の甘えでもありますが、特定のジャンルを充実させたり、新しいジャンルの顧客を開拓したりしたいが、あまり大きなリスクは負いたくない、という場合があります。このような場合、可能ならば常備をもらえれば書店はとても助かります。
また、特定ジャンルや特定版元さんの売り上げ良好書を一気に取りそろえることが出来、また、一点一点自分で仕入れをした場合よりも補充などの管理が楽であ るという面もあります。さらに言えば、特定のジャンルについて詳しい知識を持った担当者が社内にいない場合でも品揃えや補充の判断に関して大失敗をするこ とが少ないであろう、という期待もあります。

経営の負担を減らしたいので

これは繰り返して説明するまでもない理由です。
ただし、現場の担当者のレベルではこのことを真剣に考慮している場合は比較的少ない、というのも、現実です。

選択常備が良いか?

上記のような問題を未然に防ぐためには、選択常備が一番良いかもしれません。
その店で必要とする品目を、その店で必要とする冊数だけ常備として契約すれば、入りきらないから返す、というような問題は発生しません。そもそも「必要なものを、必要なところへ、必要な量だけ送る」というのは、流通が絡む全てのビジネスの基本中の基本です。
しかし選択常備を用意するのは版元さんにとって大変負担が大きいです。
また、書店の担当者が自分の店にとって必要な品目はどのようなものか的確に把握できていなければ、そもそも意味がありません。
版元さんにやって下さる意志があり、書店の担当者がきちんと自分の店を把握しているのであれば、これがベストに近い選択だと思いますが、いささか版元さん側の負担がアンバランスに大きすぎるかな、という気もします。

長期委託の活用

選択常備に替わる方法として、思い切って常備をやめて数ヶ月単位の長期委託に変更するというやりかたもあるでしょう。
数ヶ月単位の長期委託は、常備のように1年以上の契約ではないので、世の中の動きに比較的素早く追従できるというメリットもあります。基本的に常備品目の 選定は前年度の実績に基づいて行われるので、常備契約が終わる頃には選定された時の流行や世の中の興味の対象から大きくずれてしまっている可能性もありま す。

これは必ずしもその時その時の流行にぴったりフィットするものだけを品揃えすべきだ、という意味ではありません。発行から長い年月が過ぎても確実に売れ続けるものも間違いなく存在しますし、そもそも時々の流行を追うだけでは新たな顧客を開拓することが出来ません。
「今流行っている」ということは「まもなく廃れていく」ということとほとんど同義である場合も非常に多いわけですから、流行にぴったりフィットするものだけを品揃えするのはとても危険なことでもあります。

しかし、ある程度短い期間で合法的に見直しのチャンスがあった方が、より良い、と思います。
長期委託品は常備とは違い書店の在庫になりますが、あえてそのリスクを選んで要望してくる書店さんには、応えてあげて欲しいと思います。

※ご注意:一部の記事は書かれた時期が古いために現状と合わない場合があります
この文書の趣旨」でもご紹介しているように当コーナーが本にまとまったのが2008年(実際に原稿をまとめたのは2007年暮)なので、多くの記事はそれ以前に書かれています。
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4月 072011
 

なぜそれを平台に展示するのか

既刊を積極的に勧めるでも少し触れていますが、新刊だから平台に展示するのが当たり前だとか、新刊こそを平台に展示すべきで既刊は棚でよいというような形式化した考え方は、一旦疑ってみなければなりません。
なぜ人は新刊に興味を示すのか?
それが物珍しいからです。
「価値があるから」とか、ましてや「良い本だから」ではありません。今まで世の中に存在していなかったものがそこにあるという物珍しさがあるから、それを確認しようとするのです。
良い本なのかどうかなどは、物珍しく思って手に取ったあとの話です。

カエルが、動いているものしか見えないというある意味実に効率追求型の目を持っていることを知っている人も多いでしょう。どんなにおいしそうなエサが目の前にあっても、それが動いていなければ見えないのです。
自分が食べるべきものは大抵は動きながら自分の視界に入ってくるのであって、それはつまりそれまでの世界との差がある時だけ反応をすればよいということです。とても合理的です。

新刊は、新刊というものだから価値があるというわけではなく、新しい(新奇である)から強い反応を引き出せる可能性が高い。そこで、新奇なものがあるということを告げ知らせるために広告を出したり、書店の目立つところに展示したりするわけです。
既刊は、古いから価値がないわけではなく、すでにそれを知っている人の割合が必ず新刊よりは多いから新奇さという点では劣る、というだけです。何らかの工夫を加えてそれに新奇さを演出できれば新刊に近づくことが出来ますし、新刊には無い別の利点も持っています。
すでに内容を知っている人々の評価が蓄積されているというのは、既刊の当たり前の利点ですが、新奇さを演出するという点に着目すると(最後に述べますが)別の見方もあります。

売れなくなったら外せばよいのか

書店員さんなら皆知っていることですが、平台のある場所で売れなくなったら(あるいは初めから売れなかったら)外して返品をすればよいというものではありません。
その前に必ずカエルの顔の前で振ってみることです。
ずっとそこにあったものが無くなったら、無くなったということ自体が新奇なのです。平均的な身長の人が平台を見下ろした時に自然に視野に納める範囲から少し外れた場所へ移動させれば、あったものが無くなったという世界の変化を示すことが出来ます。わざと必要以上に山積みして、次の日にすぐ大量にストックに 隠せば「もしかするとこんなに売れたのか?」という世界の変化を演出することが出来ます。

全くジャンル違いだけれども購買層は合っているかもしれない場所へ移動してみるというも、当然試すべきことです。
そもそもジャンルなどというものは「暫定的」なものですし、ベストセラーになったものの非常に多くははじめに想定していたジャンルや対象読者以外での売り上げを合算して成り立ったものです。

いかにして出会わせるか

個人的な好き嫌いは別として、たとえば『ゴーマニズム宣言』が一般書としてではなくあくまでもコミックスとして出版され版元も書店もジャンルとしてのコミックスの場所に展示することに終始したら、おそらくあれほど早くブームにはならなかったでしょう。
逆に、今でも内田春菊の名作コミック『南くんの恋人』が文庫で出版されていることを知らない人がたくさんいます。青林工芸舎から単行本が出ていますがあまり出回っていないので『南くんの恋人』という作品の存在そのものを知らない人もいます。

いかにして本と人を出会わせるかということが、まず、大切なのです。
それだけが大事だとか、何でもかんでも新奇さを演出しておきさえすればそれだけで全てO.K.だというわけではありませんが、「いい本なんだけどねぇ」とため息をついて首を振る前にやるべきことは沢山あるということです。
うみのさかな&宝船蓬莱の幕の内弁当』 という怪作の「うみのさかな」がさくらももこだということはかなり知られてきていますが、実はこの本にはさくらももこ、吉本ばなな、宮本正隆など豪華なんだか変な組み合わせなんだか分からない人々が参加しているということをちゃんと知っている一般人はどのくらいるでしょう。
ああ、今となっては、実に新奇だ(笑)
既刊には別の利点があると先に述べたのは、たとえばこのようなことも一例です。

※ご注意:一部の記事は書かれた時期が古いために現状と合わない場合があります
この文書の趣旨」でもご紹介しているように当コーナーが本にまとまったのが2008年(実際に原稿をまとめたのは2007年暮)なので、多くの記事はそれ以前に書かれています。
そのため一部の内容は業界の常識や提供されているサービス・施設等、また日本の世間一般の現状と合わない可能性があることにご注意下さい。

4月 062011
 

カバの、三角の、激しく動く、しっぽ

自然保護は大切だと思います」と漠然と主張しても、それを聞く方は、反対はしないまでも、あくまでも一般論として冷静に「そうかもしれない」と受けるとめるだけです。

野生動物を守るべきだと思います」という少し具体的な主張に切り替えた場合はどうでしょう。
聞く人それぞれの中に、自分の好きな野生動物のイメージがそれなりに存在している可能性が高いですね。
ですから単なる一般論ではなく、少しは具体的な問題として受け止めてもらえるかもしれません。
しかし、まだまだです。まだ漠然としています。

カバを保護しましょう」という主張に切り替えてみます。
事例はとても具体的になりましたが、一方ではカバのことを良く知らない人々にとっては、かえって思い描くことが難しくなってしまったという問題が出てきます。
それまでは野生動物というくくりで、自分が思うところの野生動物(たとえばアザラシの子供、イリオモテヤマネコ、オオカミ、野生のパンダなどなど)を具体的に想定していたのに、カバ?いや…よく分からないけど。
アザラシの子供ならかわいいから保護してもいいかもしれないけど、カバはよく分かんないから興味ないよ。
…と、具体的にしてみたがためにかえって興味を失わせる可能性も出てきます。

カバの、三角の、激しく動く、しっぽ

カバといえば、私が真っ先に思い出すのは、普段は目立たない三角のしっぽです。
巨体の後ろにちょこんと下がっていて、あること自体うっかりすると気付かないくらいの、あのしっぽ。
カバは糞をした時あのしっぽを、ゆったりとした印象からは想像も付かない素早さで激しく振り回して糞を細かく飛び散らせる、という事を知った時の驚き。
それはまた、一体何事かと…。
どうやらこれはオスがなわばりを主張するためにやることのようですが、それにしてもやり方が強烈です。

…。
さて、カバがどのような動物であるかを図鑑的な意味では全く説明はしていませんが、このまま次に、今現在カバがどの国でどのくらい生息していて、その増減はどうであるか、という統計資料の話にいきなり入っても、大丈夫です。
なぜなら、聞き手の頭の中にはカバの激しく動くしっぽのイメージが残っているので、とにかく今相手が話しているのは「激しく動くしっぽで糞を飛び散らせる巨体の動物」の事だということは、実にはっきりとしているからです・・・それが、どんなものであれ。

最も強いイメージは細部にある

最も強いイメージは細部にあります。たとえそれが全体像を把握させるためのもの、つまり通常の「説明」に役立つものではなくても、です。

釈然としないかもしれませんが、あなたが誰かに恋をした時の記憶を思い起こしてください。片思いでも、ね(笑)
常に浮かんでくる、相手の「細部のイメージ」がありませんか?
指だったり、目だったりするかもしれません。
髪の毛が耳にかかっては落ちるというイメージかもしれませんし、襟元からのぞく鎖骨のくぼみというきわめて限定されたものかもしれません。
遠くからでもすぐに分かる(と自分では信ずる)独特の癖のある歩き方や、あるいは笑い方、しかも笑いを納める一番最後の瞬間の独特ののどの鳴らし方、かもしれません。

抱きついた時の肩胛骨の形という、言葉では説明しにくい、しかしあなたにとってはこの上なく大切な、触感かもしれません。
全身をくまなく平均的に思い浮かべるということは、めったにないはずです。
最も強烈なのは、細部です。
最も愛しいのも、細部です。

たったひとつの、強いイメージ

これは前回、『外国人のように』で述べたことにも通じます。
あの牧師さんは「神を信ずるか?」という、きわめて結論を出しにくく、それに関して会話を始めるのが困難なテーマを、私に把握させる必要がありました。
それを、at heart という言葉と胸部に軽く触れるという動作によって、あたかもその問題の核心は人間の胸部や心臓部分に存在しているかのような、きわめて限定された、具体的なイメージを与えています。
そのイメージが正しいのかどうかは、言ってしまえば、問題ではありません。
その細部の具体的なイメージが、様々なことに取り組むきっかけになっているからです。

この例のもうひとつの大切なポイントは、複雑でとらえにくい問題をひとつきりのイメージに集約させるということです。

「お父さんは星になったんだよ」と夜空を見上げるという、今ではギャグとしてしか使われなくなった故人を偲ぶやり方があります。
とても陳腐に思えるかもしれませんが、この場合は、正しいのかどうかに関係なく、夜空の星という強くてはっきりと目で確認できるひとつきりのイメージを示すことに意味があります。
多分お父さんは星にはいません。
しかし、キラキラと輝くひとつの星をじっと見つめることで、亡くなったお父さんにまつわる様々なことを考えたり、さらにはお父さんが亡くなったあとの自分の人生をどうするのかということを考えたりするための、安定した出発点をつかみやすくなるのです。

納得できない?
ではあえて、とてもむきつけな例をあげてしまいましょう。
墓標が存在していなくても故人の思い出が失われるわけではありません。
墓標の下という限定された場所に個人の魂が永久にとどまっているわけでもありません(魂の存在を信ずるとして)。
しかし、墓標があった方が残された者は心理的にあきらかに「対処しやすい」のです。
ひとつに集約されたイメージは、物事を考えたり判断したりするための足場を作ります。

経験してもらうための、イメージ

単に「説明」するだけでは伝わらないということ、また、商品がどのようにすぐれているかを述べるだけでは人を動かさないこと、をこれまで何度か言ってきました。

これは「相手の感情に訴えかける」という良く言われる話とは、少 し違います。
確かに感情が動かなければ人は行動はしません。
しかし、単に怒らせたり笑わせたりしても、それだけではその感情は直接何かと結びついたものではありません。
相手に経験してもらうことが必要です。
だからこそ世の中にはたくさんの「試供品」があり、「一ヶ月無料お試し期間」があり、化粧品売り場ではお試しメイクをしてもらえます。

直接経験させることが難しいものである場合には、出来るだけ詳しく説明する…
のではなく、
経験を想像してもらうことです。
どうやって?

カバの、三角の、激しく動く、しっぽです。
保護するために今すぐ何らかの行動を起こすべきなのは、あなたの目の前で激しく動いているそのしっぽで糞を飛び散らせている、何か巨体の生き物です。
脊索動物門 哺乳綱 偶蹄目 カバ科
学名 Hippopotamus amphibius ではありません。

頭の中でシャッターを切る

  • 最も強いイメージは細部にあります
  • ひとつに集約されたイメージは、物事を考えたり判断したりするための足場を作ります

すぐれた写真のキモが、トリミングの仕方やクローズアップの仕方にある場合が多いのと、全く同じです。
何を撮ったかは同じでも、トリミングで何を捨てたか、何に焦点を当てたかで、その写真が訴えかけてくるものは大きく違ってきます。
何かを相手に分かってもらいたい時、どうしても強く感じて欲しい時、それに向かってどうシャッターを切るか、と想像してみましょう。
上手く撮れたら、それをそのまま相手に見せましょう。
「説明」しないで。

※ご注意:一部の記事は書かれた時期が古いために現状と合わない場合があります
この文書の趣旨」でもご紹介しているように当コーナーが本にまとまったのが2008年(実際に原稿をまとめたのは2007年暮)なので、多くの記事はそれ以前に書かれています。
そのため一部の内容は業界の常識や提供されているサービス・施設等、また日本の世間一般の現状と合わない可能性があることにご注意下さい。