ふと思ったのだけれど(というよりずいぶん前から漠然と感じていたのだけれど)「文芸書」って「専門書」の一小分野だよね。
文芸書が売れなくなったというようなことをずっと前から繰り返し聞かされてきて、要するにそれは文芸書が今はもう専門書の範疇に入ったからなんじゃないか、とふと思ったわけ。
専門書というものの非常に雑な定義をしておくと、ある特殊で狭いテーマに関心がある人々にだけ売れる本。
実際に世に出る前にどのくらいの需要があるかある程度判断出来るので、うまくいけば必要とする人々にはほぼ行き渡り、必要としない人々に無理に売りつける必要がない範囲で採算をとれるように計画出来る(あくまでも、うまくいけば)。
文芸書が売れなくなったというようなことをずっと前から繰り返し聞かされてきて、要するにそれは文芸書が今はもう専門書の範疇に入ったからなんじゃないか、とふと思ったわけ。
専門書というものの非常に雑な定義をしておくと、ある特殊で狭いテーマに関心がある人々にだけ売れる本。
実際に世に出る前にどのくらいの需要があるかある程度判断出来るので、うまくいけば必要とする人々にはほぼ行き渡り、必要としない人々に無理に売りつける必要がない範囲で採算をとれるように計画出来る(あくまでも、うまくいけば)。
文芸書が売れないのは、文芸に関心を持つ人が減ったから。
単に数が減っただけでなく、まるで死に絶えつつある伝統芸能のように、その内実や楽しみ方を知る人が減り、生活の一部分という存在からフェードアウトしつつあるから。
この状態から脱却するためには売る方法を考えるのではなく、文芸が実はいかに楽しいものであるか、どうやって楽しんだらよいのか、という普及活動から始め なければならないかもしれない。でも、それだけでは「○○保存会」のようにそれに関わっている人々の間では異様に盛り上がっているけれど関わっていない人々にはちっとも影響を与えていない、という薄ら寒い有様になるので、どうしてもスターが必要でしょうね。本当に書く力があって、そのうえ伝統の一部を破壊したりお約束を破ったりできるくらいどうしても自分がやりたいことを持っている人が本を書かなければ無理。
そうやって愛好者の集団を育てなければ、そもそもジャンルとして成り立たなくなる。
専門書というのは一般的には背後に研究者とか熱烈な愛好者とかの一定の集団が存在していて成り立っているわけだけれど、専門書の一分野として文芸書を見た場合、もうほとんどそういう集団が存在しなくなっているわけよ、つまり。
それで売れるわけがない。
「じゃあ文芸書はもう一部の限られた好事家のものになれ、と言ってるのか」という反発を感じる人もあるだろうけれど・・・うーん、もういいじゃない、安価で手軽なお楽しみを担ってきた部分は。今はそこら中にそういうものがあるんだもの、オペラのチケットが馬鹿高いけど好きな人は今でも熱心に行くよ、という ような状態でいいじゃない。