久しぶりに書店の夢の見た。
いや、そもそも書店で働いていた間も職場の夢は5回とは見ていないだろうから、非常に珍しく、という方が正しいかも。
「書店の経営って難しいよね」と同僚と話している、というただそれだけの短い夢だった。
実際、書店の経営は難しい。どんな商売でも簡単であるわけはないけれど、極端に言うと自主的に仕入れを全くしなくてもある程度は商品が供給されるとか、多くのものは返品して再現金化出来るとか、そういう一見恵まれた条件があるにもかかわらず難しい。昔、各店舗の現場店長が取次の請求書を全てチェックしてか ら本社経理へ回すというルールだったところで働いていたことがあるので、経費を全て支払ってなおかつ黒字にするのは楽ではないということが身に染みている。
好調な売り上げが立っている月でもえてしてそれは仕入れが増えていることにもつながり実際の黒字幅はとても小さいとか、下手をすると単月では赤字になって いるとか、まあつまり、書店は常にその程度のぎりぎりの綱渡りしかしていないという感じでもあった。そういうことに気づいていたので(今思うと接客業としていかがなものかとも思うが)、レジカウンター内に常に返品を置いておいて客がとぎれがちな時間帯にはレジに入りつつ返品もするということをお約束にして いたこともあった。
…とまあ、そんな話はべつにとても珍しくもないのだが、そもそもなぜ今更そんな夢を見たのかわからない。
自分にとって書店員時代というものが「経営が難しい商売をしていた」という印象しか残っていないわけでもないだろうけれど、ある年数がすぎた以降は「調整」に終始したなぁとも、思う。社内を少しでも円滑にするための調整的行動であったり、取引先との調整的行動であったり、仕入れや展示であっても理想や新機軸より調整。
うーん、こういうと「安全パイ」のみねらっていたようにもとれるけれど、「これが理想だ。この思いつきはすごい」という、ある意味何の保証もない自分勝手な思いが先にあってそれを実践するのではなく、先に「顧客に対して。経営的に。社内業務の現実性を」というようなことを考えた上で、必要であれば新しいことも考えるし、理想さえ「売り物になるなら使う」というシニカルなところへ移行していったように思う。
ビジネスとして間違っていたとは思わないけれど、実のところ自分自身の資質には合っていなかったとは思う。なにしろ、単なる世間知らずのわがままというのが本来の自分だから、いささか無理をしていたな、と思う。
自分に似合っていないのに不思議とどの職場でもそういう行動をしがちというのも、自分本来の性質の一部らしいが、どうもこれは「逃げ」の一種なのかもな。
全部が全部そうだとも思わないが、微妙に「逃げ」が混じっていないとも言い切れない。