ごく最近気付いたのだが、自分が頭の中で思い描いている自分の姿と実際の姿が近頃かなり似てきたと思う。
長いこと、鏡や写真を見るたびに「自分はこんなに目がつりあがってはいないはずだ」とか「こんなにわざとらしい笑みを浮かべないはずだ」などと思ってきた。長いこと、そう、少なくとも三十代の頃から。
ということは、なんと私はずっと、漠然とながら20年以上も老けこんだ後の自分を「しっくりくる自分の姿」として思い描き続けてきたらしい。
変な奴だ。
長いこと、鏡や写真を見るたびに「自分はこんなに目がつりあがってはいないはずだ」とか「こんなにわざとらしい笑みを浮かべないはずだ」などと思ってきた。長いこと、そう、少なくとも三十代の頃から。
ということは、なんと私はずっと、漠然とながら20年以上も老けこんだ後の自分を「しっくりくる自分の姿」として思い描き続けてきたらしい。
変な奴だ。
ごく若い頃、たとえば二十代の頃に、もう少し成熟した感じに憧れるなどということはあるかもしれない。
しかし、三十代になっても四十代になっても一貫して「違う」と想い続けてきたらしいので、変なやつだと思うのだ。四十代になったら「いつまでも若いつもり でいたけど、老けたなぁ」と思うとか、そういうことがあっても良かったんじゃないか。自分はもっと若々しく見えるはずだと思い込んでいた、というようなこ とは大いにあり得たはずだと思うのだ。
しかし、そうは思わなかったらしい。
自分の今の精神的・肉体的な状態は、悪いとは言わないが、正直なところさほど良い状態であるとも言えない。
だから「齢を重ねて人生の充実期に」みたいなことはない。(そもそもその手の言葉の99%は歳をとって心も体も以前ほど積極的になれなくなってしまったことを安定や満足と言い換えて自分を騙していることだと思っているので、信じたことはない)。
じゃあ今の自分の、あきらかにいささか老けた自分の外見や雰囲気の何が自分を納得させているのか、そのへんが分からないのだ。
実際の自分が、とうとう思い描き続けてきた自分に追いついたのだとすると、これから先は鏡や写真を見るたびに逆のことを想うようになるのかもしれない。「もっと若々しいと思っていたけれど老けたな」とか。
もっと老けるというのは常に未来に実現の可能性があるが、もっと若くなるということは二度と可能性がない。絶対に可能性のないことを期待したり、そのために自分を騙したりするようにはなりたくないなぁ、と思う。