情報の多様性が無ければ馬鹿な本ばかりしか売れない

投稿者: | 2011年4月24日

というのはいろいろな面で言いすぎだけれど、実際これだけ多くの本が出版されていても、世間にその存在が知られているものは本当に少ない。予算が付かない という根本的な問題は理解してはいるが、それでも広告費をどのように使うかという点についてはもっと様々な試みをしてみて欲しいものである。
昔から影響力が大きかったのは事実だけれど、最近は TV で取り上げられた(紹介していた、言っていた、ちらっと見た等々)というケースの影響がものすごく大きい。それはそれでいいのだが、問題はどんどんそれだけになりつつある、ということだ。

そうなると、必然的に TV に取り上げられやすい本、あるいは TV に影響力を行使できるほど資金力やコネクション力が強いところの本ばかりしか問い合わせがないという状況になっていく。確かに、その本は売れる。しかし、それ以外の本が全く売れないのである。
あまりに単純な見方をすれば、TV に取り上げられた本は勝者でその他は敗者だということになるが、本という商品の性格からしてそれはとてもゆがんだ競争の姿だ。
いろいろな本を取り上げようとする試みをしている TV 番組や雑誌も存在するが、十分に成功しているとは言い難い。なぜなら(私の個人的な意見だが)それを売ろうとするからだ。
誤解を恐れずに言ってしまうが、本を紹介するときそれを売ろうとしてはいけない。単にそれを賞賛し、いかに自分がそれを楽しんだかを語り、勧めるだけにとどめるべきなのだ。

商売と直接結びつかない本の紹介が存在して欲しい。
昔々の『本の雑誌』はかなりそのような性格だったが、今ではメジャーになりすぎた。
『ダビンチ』は、最初からメジャー狙いがすぎて面白くない。なによりも、有名人を起用してその勢いで煙に巻くという方針がいけない。メジャーであるということは常に、すでにわずかに陳腐化し始めており、時代の最先端から遅れ始めているということなのだ。 消費行動と照らし合わせると、その辺りが一番数が多く売れるというのは事実ではある。従って、これらのメジャーなものを否定しない。存在してくれて良い。 しかし、メジャーとは実はつまらないのだ、ということを業界内の人間は常に意識していなくてはいけない。かすかな腐敗臭が漂っているのだ、ということから 目をそらしてはいけない。