先日、tumblrにクリップし続けた風景写真のポストが2000枚を越えた。1000を越えたのが2010年9月11日だったので、そこからおよそ8ヶ月かかった計算になる。
まあ、淡々とやり続けているのだけれど、それでもやっぱり微妙に選ぶものが変化してはいる。
たとえば以前は、ここに示したような電柱ありの写真(そしてこれがちょうど2000ポスト目なのだが)などはほとんど選ばなかった。道の写真を選ぶことは比較的初期からあったけれど、電柱入りは許容していなかった。
要するに以前は人工物が入り込むのをかなり制限していたのだけれど、最近は場合によっては許容するようになった。(いやそもそも道だって人工物なんだけれどね)。
えんえんと大量の写真を眺め続けていると、みんながやりたがることというのがあきらかにあるということが分かる。
たとえば道に座り込んだり寝転んだり(しかも9割方被写体は女性)とか、夕日や朝日をバックに跳びはねるのを逆光でとか。確かに数回は面白く感ずることもあるけれど、あとはもうひたすら「またか」と思ってしまう独創性のなさ。
その一方で、個人的には思ってもみなかったけれど確実に存在する「一派」が興味深かったりする。たとえばトラクターを思いっきりロマンティックに撮影する一派は確実にいる。個人的な収集対象から外れるので一度も採用したことはないが、この一派の情熱と技量はなかなかのもので、かなり高い確率で非常に良い写真だったりするのがまた微笑ましい。
ある程度予測がついて、やはり存在した「一派」は鉄塔組かな。高圧送電線の鉄塔とか、アンテナ塔とか、そういう鉄骨むき出しの塔が好きでたまらない人々。特に送電線の鉄塔はそもそも山間など自然が丸ごと残っている中に連なることが(機能からして必然的に)多いので、独特のコントラストが出る。上手い人だと鉄塔がまるで神話の中からにじみ出た巨人のように見せる。
いつか鉄塔組もコレクションに加えてみたいとは思っている。
そういった「一派」とは別に、もうひとつ発見したこと。
始めのうちは偶然なのかと思っていたが、音楽に打ち込んでいる人の写真はいい味を出していることが多い。まあ、多くの場合それはいわゆるバンドのメンバーあるいはクルーなので、そもそも日常的に旅から旅と動きまわり、そのために必然的に風景写真も多くなるということではあるだろう。
それにしてもステージ写真と「ロード」の写真の雰囲気の差は大きく、見ていると脳の中に青が染みてくるような、情動と静謐に満ちた写真が幾つもあったりする。必ずしも綺麗だったり整っていたりするわけではないし、どこかの街の路をただスナップしただけだったりすることもあるけれど、平板ではない。
その確率の高さは、偶然とは思えない。音楽活動にかかわり続けていることによって、何か日常世界を視る感性が、ちょっとだけ普通ではなくなっているような気がする。
この辺り、上手くとらえきれていないのだけれど、もっとたくさんそういう写真を見続けたら、何か理解できるかもしれない。