1月24日にtumblrにクリップし続けた風景写真のポストが3000枚になった。
1000ポストから2000ポストになるまでにおよそ8ヶ月かかったのと同じく、今回も丁度そのくらい。いろいろあったっけれど、これは淡々とペースを崩さずに続いている模様。
左の写真が丁度3000ポスト。
2000ポストから3000ポストに至る間に、少し状況が変わってきたかな、と思うことがあったので、ちょっと書いてみようかと思う。
(※ちなみにこれまでのTumblr関係の記事は「Tumblr」のタグで参照できる。そんなに多くないのですぐ読めます)。
もちろんFacebookやTwitterには流していたけれど、それ以上これといって宣伝的な行動もしないままずっと続けてきた。宣伝的な、というのは、たとえばサービス連携させて自動でFacebookやTwitterに「一回」投稿される以外に意識的にも繰り返し投稿するとか、自分が本当に気に入っている投稿をしているユーザー以外もとにかくフォローすることで自分の存在を知らせるとか、そういうこと。
これだけを言うとなんだか「控え目な人」を売りにしているちょっと嫌な人のように思われかねないけれど、そもそもどんな気持ちでTumblrのポストを続けてきたかは「tumblrのポストが1000を越えた」に書いたので、ここには繰り返さない。
要するに、そもそもは自分のためだけに始めたわけで:
写真5枚分の坐禅かな。
と上記記事では言っている。
さてそんなわけでほとんど全く宣伝的な行動をしないで続けてきたので、何かがどのように広まっていく可能性があるのか、ということについて、結果として割合に作為のない一例になったかもしれない。
1000ポストごとに8ヶ月くらいかかっているので、全体でおよそ24ヶ月、丸2年くらいかかって3000ポストに到達していることになる。
最初の頃は、ほとんど全く誰にも注目されなかった。
単純に、それだけ。
2000ポストになっていく途中で、友人やネット上の知人が少しLikeしてくれたりReblogしてくれるようになり、その結果、その人々のフォロワーの目にも少しは触れるようになった。でも、まだ非常に限定的だった。具体的な数字で言えばLikeとReblogをまとめての「リアクション」数(自分は元々の英語サイトの用語どおりnotesと呼ぶのが好きだが)で二桁いけば多い方で、50にはまず行かない、という程度だった。
それでも当時は、二桁の人が反応してくれていることにとてもびっくりしたりしていた。
Tumblrにはタグごとにおすすめポストがあり、それはどうやら(どういう身分でなのかはいまだに知らないけれど)何人かのキュレーター的な人が選んでいるらしいのだが、ある日そのおすすめポストに取り上げられるということがあった。
その時、一気に何十人もがLikeやReblogをするのを初めて体験して、かなりビックリした。全体数もさることながら、短時間に一気に来る、というのが、いかにもネットだなぁと。
そのような感じで一気に100notesを超えることが間をおいて何回かあり、一番多い時が500notesを初めて越えたんだと思う。
でも、実はそれでもまだある種の境界線を超えていなかったらしい。それに気付いたのは、ある日とうとう1,000notesを越えた時だった。
それまでも一気に来るし、全体数もそれなりに多いし、という経験を何度か繰り返していたけれど、1,000notes越えをしたら一気に何人も新たなフォロワーが出来るようになった。
それまでは、LikeやReblogをしてくれてもある意味「その場限り」で、フォロワーになってくれる人は非常に少なかったのだが、1,000notes越えをした頃から、反応してくれた人々内の何人かがフォロワーになってくれるようになった。
フォロワーそのものが増えると、なんだか普段のリアクションも底上げされて、以前はリアクションがゼロであることのほうが圧倒的に多かったのに、今は少なくとも1リアクション以上はある方が多い、ということになってしまった。
こういう経緯というのは、面白いくらい典型的な
「それまで殆ど知られていなかったけれど、
↓
ちょっとしたきっかけで知られるようになり、
↓
知名度が上がったら日常的に注目されるようになった」
という動きだと思う。
さてそこで、これは「地道にコツコツやっていれば良いものはいつかは認められる」という話かというと、ちょっと違う。
そういう可能性を全否定はしなけれど、情報伝播力をもった特定の人(あるいは場所)が介在しないと、そうそう簡単には「多くの人に知られる」ことなんて起こらない。それはもう、実に明らか。
ある程度の以上のリアクションが一気に来る時はオススメに取り上げられていることの方が圧倒的に多い。
もう一つ。
知る人(この場合はフォロワー)がある一定数以上になると、ある種勝手に、連鎖的に情報が伝搬されていくようになる。逆に言えばある一定数以下に知られているだけでは、その範囲内でどんなに高く評価されていても、多分広まらない。
また伝搬は「目立っているものに注目が集まってそれがますます目立つようになり、それ以外のものとの差が極端になっていく」という、これも典型的な形を示す。
記事の最後に現在のランキングを示してあるが1位が1,500notes以上なのにたった10位に行くだけで100notes未満になるという極端さにもそれがはっきりと現れている。
さらにもう一つ。
多くの人に注目されるようになるよりも以前のもの(この場合は投稿した写真だけれど、多分、自作作品とか仕事の業績とかでも同じ)が、遡って注目されることはほとんどない。
今数百リアクションを受けているとあの写真やこの写真と、たとえば1年前のあの写真やこの写真が10倍100倍のリアクションの差を引き起こすほど質に違いがあるとは思わない。もちろん年々選び方が洗練されて来ているとかそういう可能性はある、なにしろ3,000回もやってきたわけだし。
とはいえ、100倍もの違いを引き起こすほどのものだとはとうてい思えない。
結局、人々は自主的に努力して過去の業績に遡ってくれることは、まず無いということだ。
さて、以下が今日記事を書いている時点での、私のTumblrポストのランキングだ。
最後に一言。
実はけっこう多くの人が似たような経験をしているだろうと思うが:
なぜこれがこんなにうけたのか私には全然わからない
※ランキングを調べるのにNotes Rankingを使い、さらに結果を表示するソースそのものも一部改変して利用させていただいた。