最近、書かなかった記事

投稿者: | 2012年12月4日

書きかけたんだけれど、結局やめたという記事が実はこのところずいぶんある。
表面上のテーマはいろいろで、最近出版業界(というか出版業界内マスコミ)が盛んに取り上げるアノ人やアノ書店のことであったり、アニメのことであったり、ウェブサービスのことであったりする。否定的に語ろうとしたものが多いが、かならずしも全部が否定的な内容だったわけでもない。

さて、なぜ自分はそういうアレコレを書きかけては下書きとして保存し、結局数日後には公開しないことにして捨てるということを繰り返しているのかなぁ、と思った。
「まあ結局は、好き嫌いだしなぁ」というわりとみもふたもない理由になりそうだな、と気づいた。
たとえば業界内マスコミが盛んに取り上げる(要するに好意的に取り上げるわけだが)アノ人やアノ書店に対して、私はかなり反発を感ずるし、それが業界の将来を拓いていくとは決して信じないわけだが、じゃあなぜそうなのかということを延々と(一見)論理的に書き綴って、さて、はたしてそれで誰がどうなるのか、などと思う。
昔だったら(具体的に何年前だったらなのか分からないのだが)きっと、必死で最後まで書き切り、自分の否定的な意見をとにかくそれなりに説得力のある形にまとめただろうと思う。しかし、最近はそれをやっている最中に「いやでも多分、それは自分は嫌いだ、という論理では証明できない何かを大いに含んでいるしなぁ…」などと思い、だったら単に「私は〇〇は好きではない。以上」で終わりだなぁ、などと思ってしまう。

そもそも賛成にせよ反対にせよ、なにかを他人を説得しようとするほどの勢いで語る人、というものそのものに、もう気分的についていけなくなってきている。
何も知らず、知ろうという努力もせず、ただ好悪だけを表明している人間というのはさすがにバカすぎてひとかけらも認めたくないが、その一方でそれなりに知り、努力もして、それを他人に押し付けようと(という言い方が悪ければそれが正しいものであると説得しよう、でもいいし、単に共感をあつめて一緒に行動しよう、でもいいけれど、そういうことを)する人間も、素直に「偉いな」とか「頑張ってるな」とか思えなくなった。
知れば知るほど、人の価値観なんてそれぞれなんだということが分かるはずなんだからほっとけばいいじゃないか、などと思ってしまう。人の価値観がびっくりするほど多様性に富んでいるということを知るのではなく、何が正しいか、とか、どうある「べき」かということを学んだというつもりになっているなら、それは変じゃないか、とだんだんと思うようになった。

ここまで書いてきたこともすでに「そう思わない人も当然沢山いるだろうなぁ。いて当然だな」などと思う。
それじゃあ何ひとつみんなで力を合わせてやっていくことが出来ないじゃないか、と言われれば、まあそういうことになりますねえ、としか答えようがないし。

そんなわけで、ここで時間をおくと、この記事も公開しないで捨てることになりそうな気がするので、文章を整えたりしないでさっさと表に出しておくことにする。