スティーヴン・キングを読み返す

投稿者: | 2013年4月6日

なにがきっかけだったのかもう忘れてしまったけれど、スティーヴン・キングの作品はほんとうに面白いのか、ということが気になった。
より正確に言うと、これまで沢山のキングの本を楽しんで読んできた、はず、だが、今この歳になって読み返してもやはり本当に面白いのか、ということが気になった。
そこで、他の本の読書の合間に、初期作品から順々に組織的に読み返しはじめた。

そして、気づいた。

「呪われた町」とかの頃までのキングって、そんなに上手くない。「シャイニング」もそう。
あまりにも普通のアメリカの田舎の日常の描写を丁寧に重ねることでかえってじわじわと異常性へのスリルが高まる、というのがキングを評するときの定番で、手法としては事実その通りなのだけれど、この頃のキングは実はまだそれに習熟していない。
ズバリ言ってしまうと、そのあまりにも普通のアメリカの田舎の描写が、あまりにも普通で退屈な時がある。無駄にかさばっている。

キングをたくさん読んできたとはいえ、もちろん私は一冊も原書では読んでいない。
だから厳密に作家としてのキングを分析的に評価する資格はない。翻訳の質に左右されるという要素も加わってしまう。
でもキングのほとんどの作品は名翻訳者である深町眞理子さんが手がけたものであり、数冊の範囲でその翻訳の質が大きく変わるとは思えない。よって、作品の質に感じられる変化は、おおよそはキング自身のものだ、と考えても大丈夫だろうと思う。

「ファイアー・スターター」になると、急に良くなる。
今回読み返すまで実は忘れていたが、チャーリーが生み出されるきっかけとなった彼女の両親の過去が、しばしばカット・バックとして入ってくるが、これが話の流れを混乱させずに読ませるというだけでも実に大したもので、この頃キングは作家としてはっきりレベルが上がったんだな、ということが如実に分かる。

さて、まだこのままキングの読み返しを続けていくつもりで、きっともうひとつくらいは面白い発見があるだろう、あるといいな、とは思っている。
しかし、飽きるかもしれない。いくらキングであっても、一人の作家を読み続ければ、飽きる時は来る。
だから、とりあえず初期作品を読んだところで、一旦記事にしておいた。

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