なにも生み出さずに生きることは出来ない

投稿者: | 2013年7月13日

ここしばらく、ぼんやりと考えていることがある。
「苦労そのものに価値はない」とか「何かを手に入れるために苦しみがなければならないという考え方は単なる思い込みだ」とか、そういう類の発言。一見、正しい面もありそう、に見えるけれどなぜか素直に頷いてあげられない。それこそが思い込みに囚われたかわいそうな人ですね、とか言われそうだけれど。

全部ではないが、苦労しなくたって何かを手に入れてもいいんだ、と主張する人が手に入れた何かは、実は別の人が苦労して作ったり、見つけたり、築きあげたりしてきたものだ、という場合もあるはずなんだが、そのことに対する感謝や尊敬が感じられないんだよね、そういう主張をする人々って。

それはまた違う話だろ、と思う人もいるかもしれないけれど、かなり前
スマホが人間をダメにする | 瀧口範子 | コラム&ブログ | ニューズウィーク日本版オフィシャルサイト
に対して、反対意見がかなりネット上に出ていたことを思い出す。
まあ、記事のタイトルに煽られて条件反射的に反発している人も多かったが(そりゃもちろんスマホそのものはべつに人間をダメにしない)、そうではなく、リアル店舗をショールームとして使う「ショールーミング」について、今の時代そうなって当然だというような意見がかなりあった。

そこは、時代とは関係ないのよ。
リアル店舗を構えるには相当の経費と労力が注ぎ込まれるわけで、それをタダで使われることに拒否姿勢を示す店があっても、それは店として当然の行動「のひとつ」だ。
古臭いと否定しさるなら、そもそもショールーミングをするな、という話になっても反論してはいけないわけだ。ショールーミングしたくても、街にひとつもリアル店舗は無い、というのがショールーミングを肯定する人々がもたらす未来であっても不思議じゃない。
まあ、現実には当分来ないと思うが、そういう時代が来たら今ショールーミングを肯定している人々は「不便だ」とか平気で言い出しそうなんだよな。

そもそもリアル店舗という商売の形態はある時代までの技術的・文化的制限の中で作られてきた特殊なものであって、リアル店舗を構えることで収入が得られるという仕組みは今後減っていく、とか、店舗というものは必然的にショールームとしての役割しか果たさなくなり、店舗はその場所以外で収益を得る仕組みと結びつかない限り存続は難しい、というような議論をするのはべつに反対しない(Amazonなどは随分前からそう考えていると思う)。
そういう考察もあり得るだろう。
でも、俺が便利だから他人の苦労や出費は知ったことではない、というレベルの話は、聞くに値しない。

生み出すことはしないで、便利に消費することだけに浸って生きるのは、怖いよ。
何もしなければ何も生まれなくなる。

アフィリエイトで食ってます、というある種の人々への微妙な反感も、同じだな。
アフィリエイトは無から金を生み出しているんじゃなく、誰かが作ったものや、誰かが生み出した金を「移動」させているだけなんだよ。
世界中の全員がアフィリエイトで暮らすことは出来ない。だれかがモノを作り、だれかがそれを実際に金を出して購入しなければ、成り立たないんだよ。