“Charles Rennie Mackintosh – Scottish Musical Review 1896” by チャールズ・レニー・マッキントッシュ – watercolour. Licensed under Public domain via ウィキメディア・コモンズ.
以前はずっと、アール・ヌーヴォーがたいそう好きだった。
どのくらい好きだったかと言うと、かつて書店社員だった頃、毎月の全員のシフト表を作る時に背景にアール・ヌーヴォー風の装飾をわざわざ描き込んでいた時期があった、というくらいに好きだった。
頭を抱えてひそかにため息をついていた社員やアルバイトがさぞ沢山いたことだろう。手元に一枚でも残っていればスキャンして黒い過去を公開し、皆さんにも頭を抱えてもらいたいくらいのものだが、残念ながら、無い。
それ以前から漠然と興味を持ってはいたが、はっきりと意識するようになったのはオーブリー・ビアズリーを知ってからだ。アール・ヌーヴォーには非常に分かりやすくて有名なスターが何人かいて、グラフィック・アートではビアズリーがもちろん代表的な作家のひとりで、わたしも御多分にもれずとりこになったわけだ。
初めてアール・ヌーヴォーという言葉を知ってまもなく、実はそれはArt Nouveと綴るのであり、そのままの意味は面白みも何もないと知った時ちょっと拍子抜けしたものだったが、まあそれはそれとして。
正直なところ、さらに熱心に勉強するほどまでには至らなかったので、単なる「そういうものが好きな人」にとどまっている。
さて、アール・ヌーヴォーにつづいて1920年頃からアール・デコが流行したわけだけれど、長いこと、私はこれらをあまり好きではなかった。
(うーんなんだか変な翻訳文みたいな日本語だが、うまく直せない)。
工業製品がたまに獲得する機能美のようにそれ自体が持っている性質が形として表に現れてきたものではなく、無理矢理付け加えたりかぶせたりした、意味のない単なる飾りに思えたからだろう。
時に「下品」としか言いようのないレベルのものさえあるなぁ、と思っていた。
だいたいのところそんなふうに、アール・ヌーヴォーは「いい」、アール・デコは「いまいち(というか、そっと見ないふりをして通り過ぎる)」と思ってきたのだけれど、最近ふと、アール・ヌーヴォーは「ちょっとくどいよなぁ…」、アール・デコは「スッキリした面白みがあるよね」と思うことが多くなっているのに気づいた。
中南米の都市にいきなりアール・デコ調の建築物があるのを見かけたりすると、ばかばかしいと思いながらも思わず顔がほころんだりする。ああいうのは、けっこういい。
なんなんだろうな、これは。
自分の中で何が変わって、受け止め方が変わったんだろうか。
キッチュな面白みを若くて真面目だった頃より受け入れるようになったとか、ゆるキャラの存在を笑って受け入れるようになったとか、そういうこととも関係しているような気はする。
そんな気はするが、はっきりとは、分からない。
とりあえず、アール・デコ調の自転車とか出てきたら買うかどうか考え始めそうな気はする。