人並みにいろいろなSNSにアカウントをもっているけれど、最近それらをどう使い分けたらいいのかよく分からなくなってきていて、なんとなくなげやりな気分になってきている。
そこで現状どう使っているのかを自分で確認してみるためにだらだらと書き出してみたのが以下の話。
ちなみにこの話には何ら結論はないので、読み終わっても「有益な示唆が得られ」たりしないです。あらかじめ、言っときます。
(なお、以下はあくまでも一個人として所有しているSNSアカウント群について、一個人としてどう行動しているかという話であって、仕事で扱っているアカウントはまた全く別の考えを持っていたりするので、そこんとこは一応了解しておいてください)。
FacebookとTwitter
Facebookは、わりと「公人」くさい使い方をするよう心がけている。たとえば
みたいな。
それに対してTwitterは、仕事中の自分自身への相づち的ななものまで流すことがよくある。
うーん、あと3,4箇所個別の要素に指定や調整をかけてやれば、最低限はもうなんとかなるんじゃないかな。…じゃないかな(期待値)。
— 石塚昭生 (@ELIZA_akio) February 1, 2016
だからFacebookとTwitterの投稿はほとんど同じだけれど、Twitterの方がほとんど他人が読んでも意味が無い投稿も含んでいるので、投稿数は多い。
その他に実はTwitterには「神経痛・関節痛・腰痛など、とにかく痛かったらツイートするための専用の別アカウント」をもっていたりする。
昨日からずっと肘関節や腰が痛い。天気や気圧と連動していないような気がするんだが、今晩雪が降るかもしれないそうだから、まあ合っているのか。実は。
— 痛くて泣けますセンター(INC) (@_inc_) February 6, 2016
そういう意味では、やっぱりTwitterをFacebookよりもプライベート寄りに使っているんだろうな、自分は。
Instagramは長いことどう使うつもりか、自分でもよくわからなかった。けれどもいつの間にか「どこかへ外出したらなんとなくその記録を残す」みたいな使い方になってきた。
それはそれでいいかな、と思っている。見ている人が面白いと感ずるかどうかはかなり疑問だけれど。
https://www.instagram.com/p/BBR7IoVoL4e/?taken-by=akio.ishizuka
Tumblr
Tumblrについては、以前に何本か記事を書いた。
Tumblrのタグをつけてある記事を読むとわかる。
ネット上で見つけた風景写真をひたすら投稿し続けているけれど、それはなんとなく自分の精神安定剤がわりなんだろうな、という話。
今は風景写真用のアカウントとステンドグラスや窓の写真用のアカウントを持っている。いまではステンドグラスのアカウントの方が投稿も多いけれど、多分「精神安定剤がわり」という主旨はあまり変わっていない。
Pinterestのボードはいまだに一番用途が不明確。
実は上記のTumblrのステンドグラス用アカウントの方の写真とほぼ同じものを、時間的にはずっと早くこっちにPinしている。見つけたものを先にひたすらこちらにPinしていって、後日(場合によってはすこし選別して候補から外して)Tumblrへ再投稿している。
この関係性にはあまり積極的な意味は見いだせていないけれど、TumblrとPinterestではフォローしてくれるユーザーがなんとく違うので、まあそれはそれでいいかと思って続けている。
実はPinterestのユーザーの方がTumblrのユーザーよりも趣味の主張がはっきりしていて、個性が明瞭、という面がある。もちろんこれはボードで細分化出来るという仕様によるところが大きい。
Tumblrの方は、誰かが見つけてきたコンテンツが面白い、ということの方が強く、Pinterestはそのユーザーのセンスや嗜好が面白い、ということの方が強い感じがする。
だから、自分がPinterestを使うということに関しては曖昧なままだけれど、閲覧するためとしてはやめないでいる。
Google+
そして、Google+がどうにもよく分からない。運営方針そのものがずっと迷走を続けているせいもあるかもしれないけれど、自分でもどう使うかさっぱりきめられない。
実はTwitterはフォローしているアカウントが増えすぎかけていてTweetDeckでがっつり管理しないと気軽に流し読みしたりできなくなってきているという面もある
TweetDeckに自分が設定したカラムが27列あることを知る(今更だけど)。複数アカウントに関わっているとか、特定絞り込み検索結果を見逃したくないとか理由はいろいろあるけれど27列は多いな。キモいw
— 石塚昭生 (@ELIZA_akio) February 2, 2016
そこでGoogle+では有名サイトやニュース系サイトのアカウント少数フォローして「電車の中で流し読みしてなんとなくネットで何が起こっているか雰囲気をつかむ」みたいなことに使うようにはなっている。
ただあくまでもそれは、たまたま活用できていなくてフォローしているアカウントも少なかったので、少ないということが偶然プラスに使われているだけ、という状態にすぎない。
あんまり「交流」とかしない
SNSであまり積極的に「交流」とかしない。Twitterに@ツイートが来たら答えることが多いしFacebookにコメントが付いた時も同様だけれど、Twitterは不定形な情報をひたすら集めて眺めることの方にどんどん傾いているし、Facebookは逆にお知り合いの動向をなんとなく確認するためにあるような。
Instagramではそもそも「交流」を想定していない。
Tumblrでは、ひたすら画像しか投稿しない、リブログしない、という自分の中で勝手に決めている方針があって、テキストを使わないので理論上は言語の問題に阻まれること無く世界中の人と交流できると妄想している。そしてその交流もLikeやReblog(自分はしないけれど)で「反応を示す」ことだけで行われてもいいのではないか、と思っている。
まあ、ものすごくみもふたもなく言ってしまうと、SNSやはてなブックマークなどのソーシャルブックマーク、ブログのコメント欄などでの論評や意見表明や議論があまりにも嫌いで「無言で手を振る」だけでもいいじゃないか、という気分の実験でもある。
画像だけだと背景となる文化や生活環境の違いでありとあらゆる解釈が可能になり極端な場合自分は「好きだ」とか「綺麗だ」とかいうつもりで投稿していても「おそろしい」とか「身震いする」とかの意味で評価されてReblogされたりすることもあり得る。そこを「議論」したいとは微塵も思わない。それはそういうもので、そういうことが起こっていくのを自分がどうこうするべきものでもなく、それでいいと思っているからこそ、むしろテキストを使いたくない。
で、多分Pinterestもそういう、テキスト交流しないという使い方に近いんだろうと思うけれど、上にも書いたように今ひとつ使い方の腰が定まらない。
そしてGoogle+となると、全然どうしたいのかわからない(笑)