タスク管理というのは、よりよく仕事をするとか、より多くするとか、そういうことのためにするものじゃない。
何かをしなければいけないということを忘れるためにする。
わかっている人は沢山いるけれど、時々忘れてしまう人も、やっぱり沢山いる、自分も含めて。
もうね、なんか口調をこうおちゃらけた感じで今回は書いてみるけど、仕事したくないわけです。できればね。
誰だってそうです。食っていくためには厳しく働くのが当たり前だとか言ったってね、やたら厳しい環境で生きているはずの北極圏のアザラシだって、まあ食うために海に潜ってかなりせっせと泳ぎまわったりはするけど、よく流氷の上で昼寝してたりしてるわけです。
あれを見るたびに、あーなんか野生ってお相撲さんみたいだなとか思う。いやあれですよ、激しく運動して、たっぷり食って、昼寝して、っていうサイクルで体が作られるのって、一見ダラダラしてそうなのに見事な運動能力を保持している野生動物とおんなじなんだな、と。
必要な時は激しく働くけどあとは昼寝する。これが生き物の自然だな、と。
ぐるっと話が寄り道してるけれど、つまり、仕事は結局するんだけど、可能な限り不必要な時にはやりたくないという話です。
で、肉体労働は実は人間そんなに辛くない。
いや、それはね過酷な肉体労働に従事しているみなさまは当然辛いです、すみません。
ただまあ、基本デスクワークという場合、本当は肉体的にはそんなに辛くなくて、辛いのは頭。
それも「この仕事が難しい」というのは、頑張ってやるしかないのでそういう話じゃなくて、「あー、あれやらないといけないんだよな―」とか「あれについていつまでに結論出さなきゃいけないんだっけ―」とか、そういう諸々が積み重なって、なんだかいろんなことがあって大変だな―という漠然と重しがいつも頭の上にある感。
あれが一番よくない。
一番消耗する。機嫌が悪くなったりするし、うっかり忘れていたことが何か発覚したりするとものすごい罪悪感と「ダメだ、おれはダメなやつだ」自己嫌悪感で体調まで崩しかねない。
そこでタスク管理が登場するわけです。
タスク管理は、忘れないようにメモしておこうとか、そういうことじゃ不足。
あらかじめすべきこととそれにまつわる参照情報とすべき時期を外部の仕組みにセットしておいて、そして心おきなく、全力で忘れる。そのために、やる。
やることが列挙してあるとか、優先順位が割り振ってあるとかだけでは、タスク管理ではない。
いつ、何時間実行して、必要なら、それをどのくらいの間隔で何回繰り返すか、まであらかじめ決めてあって、初めてタスク管理と呼べる範疇に入る。
「あー、これ社内に一回知らせるだけじゃ周知できないだろうなぁ」みたいなことがあったら、もうその瞬間に「これから毎週何曜日の何時にくり返し告知し、それを四回くりかえす」とか、「最初に簡単に告知して、2回目はその三日後により詳細な資料をそえて告知をおこない、…」みたいなことを全部作ってしまう。
なにごとも最初に予想したとおりには行かないからあとで修正してもいいんだけど(「やってみたら30分じゃおわらないじゃーん、ダメ―、次の予定は一時間枠とるように修正しよう」とかそういうのはどんどんやっていいんだけど)とにかく、始めにあたかも「自分さんという他人に指示出しするかのように」全部決める。
そして、そのことを忘れる。
そういうことを(仕事そのものを、じゃない)効率よくやるために様々なタスク管理ツールがあって、ツールそのものは自分の感覚になじむものならなんでもいいと思う。
忘れると、すごく楽になる。
忘れちゃいけないアレとアレがあるなぁと頭のなかで何度も思い返しながら目の前のことをやるという、本来人間には向いていないマルチタクスを自分に強要してしまっているのが、そもそも大きな問題なので、とにかく忘れられるように準備することに集中する。
仕事のことだけじゃなくて私生活でも似たようなことあるな―、とも思う。
ちょっといろいろあって、今の自分は遠くにいる複数の肉親のあれこれをあれこれしたり、あれこれ気遣ったり、あれこれ確認したりしなければいけないこともある。そして、そういう私生活のことって、仕事よりもさらに曖昧で「何月何日何時締め切りでコレをやる」などのことはないけれど、しかし「近いうちに必ず、なんらかのアクションをする必要がある」みたいなやたら曖昧だけどすんごい重要というような感じのことが多かったりする。
これをずっと気にしている状態はきつい。正直考えたくない。仕事したくないのと同じ。
で、まあこれを言い出すとなんて冷たいやつだと言われるかもなぁと思うけれど、こういうこともタスク管理的に扱ってしまったほうが結局、その行動の結果を受け取ってもらう相手のためにはなるな、と思ったりする。
結果が大事というのは仕事上でよーく言われることだけど、いやそれ以上に私生活で大事だよ。仕事はあやまったり、別の何かで(お金とかでさ)解決したり、最悪全力で逃走したりはできる。やっていいかどうかは別として、できはする。
でも私生活とか血の繋がった身内とかのことってそういうことで「解決したことにする」という手が効かないことが沢山ある。当たり前だよね、そりゃ。子どもがいる人なんかそんなこと私に言われるまでもなくよーく分かってる。
だからほんとに、結果が大事というのは仕事以上に重い場合がある。
だから、「あーどうしようなー」と悩み続けているけどそのまま結局何ヶ月もなにも実施しない・できない、というようなことになるくらいなら、タスク管理に放り込んで「最初の行動はこう」「次は最初の行動の結果が得られた時に、修正をいれて、こう」みたいにして、そして一日の大部分は忘れていたほうがまし。
ひとつ、まだじゅうぶんうまくやれてないな、ということがある。
それは「じっくり時間をかけて考えないと正しい答えが出ないとわかっていることを、タスク管理の中に入れられるか」ってこと。
水曜日の午後3時から一時間検討することを二回繰り返す、的なやり方では無理で、できれば一旦考え始めたらありとあらゆる方向から疲れ果てるまで、3時間でも4時間でも考えないと無理、というようなものは、確かにある。
実は自分がこれをやる時に一番楽な方法は、少数の人とその話題について延々と話す、ということで、話しながら考えるほうが整理もされ、アイディアも出やすい。ああそれ世間では昔ブレスト(ブレーンストーミング)って言ってたやつですね。
でも、いつでもそう出来るわけではない、当然ながら相手の都合もあるしね。
だから一人ブレーンストーミングみたいなものを、タスク管理の中にどうやって持ち込むか、というのが今のところうまくできてないことだね。
やっぱりこれやらないと、いくら結果を出すことが大事といっても、なんだか薄っぺらいものが出てきて自分でもオイオイなんだこれとか思っちゃう時がある。じっくり時間をかけて煮込まないと出てこない味というのはやっぱりあるんだよね。
今は、紙とペンをかかえて自分のデスクを離れてしばらくそこに自分を「放置する」ってやりかた(なんか一種の「缶詰め」?)を時々取り入れることにしている。
メモを書きながらずっと考え続けるんだけど、ある程度終わりまで考えたら、メモを頭から書き直しながらもう一回考える。そしてさらに必要だと思うメモの2ページ目だけを破り捨ててもう一回考えてメモを作り直す…みたいことを繰り返しやる。
このやり方みたいなものをもっとタスク管理全体に中になじませられたらな―、と思ってる。
アザラシが餌食ってあとは昼寝してる、という正しい結果を出すために工夫するのがタスク管理。そのために、あたかも「自分さんという他人に指示出しするかのように」計画する。
餌を一定時間内により効率的に捕獲するとか、そういう方向を目指すためにあるわけじゃないんだよな。少なくとも、それを求めるとなんか変なことが起こると思う。
さて、最後にもうひとつ。
忘れて眼の前のことに集中するためにいろいろ工夫するわけなんだけど、これどういうわけかある程度以上ちゃんとやりはじめると、またもやなんだか辛くなってくる。あたかも「自分さんという他人に指示出しするかのように」という容赦の無さで数が増えてくると理不尽に銃撃を受け続けているような気分になってくることがあるんだよね、撃っているのは自分なんだけど。
顔が深刻ぶってきて、怒りながらタスク消化に取り組んだりするようになる。
これは、いけない。
怒りや、恐怖をエネルギーにして何かを押し進めるのは良くない。
一時的にはたしかにパワーが出る、多分動物の本能に近い感情だから。でも、あまりまともな判断はできないし、なによりもおっそろしく消耗する。
だから私は毎朝自分に
明るく悩め 笑って考えろ
というメッセージが自動的に届くように設定してある。
悩まないわけにはいかないけれど、深刻ぶる必要はない。一生懸命考える必要はあるけれど苛立って怒りながら考えてもろくなことにならない。だから「うーん、こまったなー、申し訳ないことになっているなー」とか言いながらヘラヘラしていたりする。「いやーむずかしい、難しすぎてやっぱりわからないねぇ」とか思いながら笑っている。
そうなんですよ、不謹慎だな―と眉をひそめる人もあるでしょうが、結果が良くなければどんなに神妙に、暗い顔で頭を下げていたってダメなわけですよ。
怒りや恐怖は一時的には力出るけど長持ちしない。笑いはね、エネルギーが自動補充されるみたいに、わりと長持ちする。
怒りや恐怖はぎゅーっと絞り込んでいく力なので鋭いけど視野は狭いし方向転換しにくい。笑いは絞りきれてなくて抜けちゃっているからあんまり鋭くないけど視野は広いし気づいた方へわりと簡単に動ける。
そして、そんなことは本当はないのかもしれないけれど、仕事には明るくやった仕事と暗くやった仕事の、色が着くような気がする。それが染みているような気がする、ひそかに。
だから、不謹慎に、がんばって笑ってる。