太宰の表紙で考える

投稿者: | 2007年8月20日
太宰「人間失格」、人気漫画家の表紙にしたら売れて売れて : 文化 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
新聞サイトはけっこう早く記事が消えてしまうから一部引用しておくか。

太宰治の代表作「人間失格」の表紙を、漫画「DEATH NOTE(デスノート)」で知られる人気漫画家、小畑健さんのイラストにした集英社文庫の新装版が6月末の発行以来、約1か月半で7万5000部、古典的文学作品としては異例の売れ行きとなっている。
太宰「人間失格」、人気漫画家の表紙にしたら売れて売れて : 文化 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

えー、ほんとかよ? と言ってみたいところだけれど、これは間違いなく本当だと思う。
なにしろ私自身が最近電車の中で「んー? こんな人が『人間失格』なんて読むのか」という現場を目撃して不思議に思ったことがあったので。
偶然目撃するくらい相当に広まっているということなんだろう。

ちなみに、こんな人が…というフレーズに、子どもの頃からたくさんの本を読み続けてきた自分というおごりが混じっていることを否定しない。また、元 書店員として人をある程度パターン化した客層として捉えるくせがある(それにとらわれてはいけないと常に戒めつつも)ことも否定しない。そのことを正面 切って認めてみると、まさに自分が「こういう内容の本は」とか「太宰にふさわしい装丁は」などの固定観念にとらわれていることがよく分かる。

で、ここで「出版社は固定観念にとらわれずに本の装丁を考え直すべし」という話をしたいのかというと、違う。

固定観念にとらわれて、それに基づいて行動している方が楽だ、ということもついでにちゃんと認めた方がいいな、という方向へ進んでみる。
毎回ゼロから考え直すのはものすごく大変だし、下手をするとちっとも行動出来なくなる。経験から最適解を予測して行動するということを否定してしまうと、とても創造的になれる可能性はあるけれど、単に混乱の中で立ち止まってしまうだけになる可能性もある。
なんというか、自由な発想を称揚する人々の多くはその辺かなり無責任なんだよな、という気もする。
どちらかというと混乱してしまって創造的になれないどころか、日常生活にさえ支障をきたしてしまうようになる人々の方が圧倒的に多いという事実を無視する 傾向がある。しかも実のところ、自由な発想は文句なく善であるという固定観念を押し通してみたいからやっている、それによってどれだけ多くの人が傷ついた り混乱したりしても気にしないというだけだったりもする。

本当はそういうことを分かってはいるけれど、仕事のために、あるいは与えられた役割のために、割り切ってやっている人々というのはかなり沢山いて、その場合はまだ罪が軽い(というか情状酌量の余地はある)。
自覚しないでやる人が、一番困る。どうにも、困る。

…なぜこんなことを書き始めたのかと思ったが、多分、昔の自分は多少そういう傾向があったなぁという同族嫌悪なんだろう。
「どうしてそんな風にしか考えられないんだ、もっとこういう風にも考えてみな」と言う時、多くの場合は、ひとつの固定概念から別の固定概念に鞍替えさせようとしているだけなんだよな、という苦さ。