Facebook国

投稿者: | 2009年3月30日

昔々、私がはじめてインターネットというものを使い始めて、わけもなくちょっと興奮していた頃、「インターネットは国境というものを無意味にするのではないか」などと、何かすごいことを思いついたように考えたりしたものだった。
それからもう何年も経ち、インターネットがある、インターネット上で何かをする、ということが当たり前になりすぎて「インターネットは○○」というような考え方自体を全くしなくなった今日この頃。

偶然、Facebookのユーザー数が非常にのびている、という記事を(実のところあまり興味もなく)ぼーっと見ていたが、1億5000万くらいという数そのものに目を引かれた。あのね、日本の現在の概算の総人口が1億3000万弱。つまり、Facebookのユーザー数は日本国の全人口より多いわけ。
昔々、夢というか、妄想のように、インターネットの力はやがては国境を、とか考えていたのが、実はFacebookというソーシャルネットワークサービスがいつの間にか、ある一国の人口を超えるという形で乗り越えちゃっていたらしいというのが、びっくりというより、脱力だった。
そうかそれでダボス会議にFacebookの代表が関わったりするわけだよな、と過去のニュースの意味を今さらのように理解したりする。質がどうだとかいう議論以前に、1億以上という圧倒的な数は、これはもうひとつのなんというか既成事実だよな、と。
これはFacebook国なんだ、と。

なにが「脱力」だったのかということをもう少し言っておくと、つまり、かつてはインターネットというのは声なき庶民の意志とか意見とかを既成の枠に とらわれずに発現させるメディアになり得る、みたいなちょっと肩に力の入った見方が一部に存在していたわけだ。生まれついたときからインターネットがあるのが当たり前だった世代の人々には「はあ?」という感じの話だろうけれどね。
Facebookを使っているほとんどの人はおそらく、誰か友達を見つけたいとか、友達と楽しいおしゃべりをしたいとか、うまいこと儲けばなしを見つけた いとか、そういう本当にごくごく日常的な、実生活に根ざしたことしかしていないだろうと思う。そして、物理的な土地の境界線で作られている「国」で暮らし ているほとんどの人も同じ。なにもすごいことはなくて、ただ楽しそうで便利そうな所に人が(物価が安くて治安がいい土地に人が自然に集まるみたいに)集まってみたら日本の人口以上になってしまいました、というだけなんだよね、という普通さがね。

インターネット上の勢力図とかいうんじゃなく、Facebook国やMySpace国(ここも1億以上ユーザーがいる)というふうにみてみると、ちょっと面白いなと思った。