『虐殺器官』を楽しめなかった話

投稿者: | 2011年1月22日
虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA) 虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)
伊藤 計劃 早川書房
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褒めている人があまりに多いので文庫化されたこの機会に読んでみた。
でも、残念ながら、私には楽しめなかった。

Amazonのレビューなどを参照すると『虐殺器官』は割合に、中間的な評価が少なく★五つで傑作と讃えるか★二つ以下で厳しくけなすか、という極 端に評価が割れる傾向があるようだ。私も★での評価を求められたとしたら二つ程度だと思うし、辛口の人々と似たようなことを書くような気がする。
たとえば、アイディアに驚きがなく、主人公を含めて主要登場人物に存在感がなく、特にジョン・ポールの人物の重みの無さは呆れるほどで、一見重要(そう な)議論の転回点に挟まれる「お前知ってる? ホントはxxxxはxxxxなんだぜ」的なエピソードが一般に視聴できるテレビドキュメンタリーやネット上 のニュースサイトを名乗る薄味の情報レベルだったりするのが拍子抜けだったり…と挙げていけばきりがない。

こういうふうに書いていくと「いやそもそもあれは人間の死に繰り返し直面しているにもかかわらず精神的に成熟できないように管理された状態の中にい るという事自体が重要な設定だということを分かっていない」というような反論を受けることもあるだろうし、「自分も少しも良い作品とは思わなかった云々」 といった同意をされることもあるかもしれないが、私が読み終えてから考えこんでしまったのは、ちょっと違うことだった。
昔、世界最高の短編作家の一人と信ずる(長編作家としてではない)ヘミングウェイの短編集を人に薦めたら、数日後にものすごくあっさり「うん。でも好き じゃないです」と言われて愕然とした経験があるが、そういうものだと思う、本というのは。固定された絶対的な評価基準というのはほとんどあり得ない。一人 ひとりの、その人自身のそれまでの経験や人生の岐路の細かな選択やたまたま生まれ育った歴史のある一時期の影響や、そういうものと本が、その人の中で共鳴 しあえるのかどうかで本に対する評価が極端に変わってくることがあり得る。

『虐殺器官』を読み終えて、自分がこの本をちっとも楽しめなかったと分かった時に思ったのは「あぁ、もしかすると私は世界に対する漠然とした、しかしなんだか絶対的な絶望感というものを共有してないのかな」ということだった。
うまく言えないけれど、これはエヴァンゲリオンを楽しめないと気付いた時にもちょっと感じたことだった。怒る人もいるかもしれないけれど、クラヴィス・ シェパードって碇シンジにちょっと似てない? まあ、ちょっと強引か。碇シンジの世界と人生に対する深い絶望感に全く共感できなかったんだよなぁ…。

『虐殺器官』の中で痛覚マスキングをされているために「痛いことは分かるが痛みは感じない」みたいに、深く絶望していることは分かるがその絶望感を共有することは出来ない、というのが、要するに読後感だったということだ。

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