チーム力維持のための「余裕」について

投稿者: | 2011年4月24日

余裕という言葉は近年の日本ではだんだんと悪い意味合いで使われることが多くなってきている。
少なくともビジネスの現場では「おや、余裕だね」と非難や揶揄のニュアンスで使われることが圧倒的に多い。余裕があるということは、悪いことなのだ。まだそこには別の仕事を詰め込めるはずだ、という非難の意味合いがあり、物事がじゅうぶんに効率的でない、というわけだ。
前回、効率追求がもたらす破綻と、引き起こされがちな一種の詐欺について述べたが、同じ事の別の側面も見てみよう。前回述べたことはある個人の良心が効率追求とぶつかり合うケースがしばしばある、ということだったが、実際には効率を追求しすぎることはチーム(つまり複数の人間で作る集団)にも害がある。

理屈をこねる前に、具体例を。
近年書店の営業時間はどんどん長くなる傾向がある。営業時間を延ばせば単純にある程度の売上げ増が望めるからだ。もちろんその背景には一般の日本人の生活 時間帯がバラエティに富むようになったために、現実に需要がある、という事実はある。私自身にしても夜7時や8時にあらゆる商店が閉店してしまったら現実 に生活していけない。だから単にヒステリックに長時間営業に反対するつもりは、全くない。
ある一定面積の店舗は、たとえ営業時間が延びようともある一定の人数で運営していけるように見える。大きくゆずっても、アルバイトを数名増やして延長された時間分のレジ要員を確保すればよく、少なくとも社員数を増やす必要はないように見える。
本当に、そうだろうか?

架空の例だが、元は午前 9 時から午後 7 時まで営業していた店舗に社員が 4 人おり、原則として早番 2 人、遅番 2 人でそれぞれ拘束 8 時間で働いていた、としてみよう。早番は午前 9 時に出社し、午後 5 時に退社する。遅番は午前 11 時に出社し、午後 7 時に退社する。
営業時間が午後 10 時までに延長された結果、早番は午前 9 時に出社し、午後 5 時に退社し、遅番は午後 2 時に出社し、午後 10 時に退社するようになる。
午後 2 時から仕事を始めるという普通の生活からするとややイレギュラーな生活時間帯がどうであるか、というようなことはこの際一切無視する。ある時間帯に店舗に 存在している従業員数が減っているために、一人一人のある時間帯での負担は実は若干増えている、ということさえ、今回は無視する。

では、何か問題が残っているだろうか?この時本当に起こっている問題とはなんだろうか?
閉店時間が午後 7 時だった時には早番の社員と遅番の社員が同時に存在している時間帯が、6 時間あった。閉店時間が午後 10 時なると、これが 3 時間しかなくなる。しかも、遅番も早番も同時に存在している間にそれぞれの休憩をとるのが望ましいので(社員が店舗にいない空白時間を作るべきではないの で)この 3 時間の間にそれを詰め込むことになり、結局現実に顔をつきあわせて働いている時間は 1 時間しかない。閉店時間が午後 7 時だった時には、顔を合わせない休憩時間を 2 時間挟んでもまだ 4 時間もあったのに、どう計算しても 1 時間しか無くなるのである。
社員全員が揃っているたった 1 時間の間にあらゆる伝達や引継を行わなければならなくなれば、どうしてもミスが増える。単純にそれだけで、チーム全体としての仕事の質は確実に落ちる。
そういうことは伝達方法を新たに工夫することで防げ、という主張もあるだろう。確かにそのとおりで、ある程度は防げる。
それどころか現場では実際に、やむにやまれずお互いが勤務時間外であることを知りながらしばしば携帯メールで連絡を取り合って必死でこの問題を、自主的に 補っているのである。昔は勤務時間外に連絡を取り合うというのはよほど緊急で重大な問題が発生した時に限られていた。いまでは日常茶飯事である。(ついで に言えばこのメール料金は、本来は業務のための経費であるにもかかわらず、個人の持ち出しである)。
さて。
それでもまだ、どうしても失われる重大なことがある。

失われるのは技の伝達である。
もう少しビジネス用語のふりをして言えば、OJT が事実上破綻する、ということだ。
そもそも職場は、わざわざ OJT などともっともらしい用語を持ち出さなくても、先輩から後輩へ、あるいはある特定の分野に関して優れた能力や知識を持っている同僚が互いを補い合うように して働くことでチーム全体として、あるレベルを保っている。決して個人が持つ能力の単純な足し算ではない。
普段は目立たないかもしれないが、じっくりとご自分の職場での一日を振り返ってみれば誰にでも分かる。自分は決して完全に一人きりでは仕事をしていない。 半ば無意識のうちに、互いに助け船を出し合ったり、ヒントを与えたり、あるいはそのものズバリの回答を(些細なものではあっても)投げ与えたりし合いなが ら全体としての仕事を遂行している。この目立たない効果が失われるに従ってチーム全体としての仕事の質は落ちていく。

近年書店人の質が落ちたと良く言われるが(そしてそれはまぎれもない事実だが)、それは個人が努力をしなくなったとか企業の方針として示される水準レベル が低下した、といったこと以外にも、無意識に行われていた OJT が出来なくなった結果チーム力が落ちた、という面も大きい。
このように正面切って取り上げると単純な話で面白くも何ともないかもしれないが、実際にはこのダメージは目を逸らすには大きすぎる。そして、残念ながら、この問題を改善する工夫を正面切って行っているところは皆無に近い。
問題の原因がどこにあるのか、素直な目で見つめ直さないために本当に気付いていない、という場合もあるだろう。気付いてはいるのだが、目を逸らしている場合もあるだろう。チーム力はある一定以上の人数が、ある一定以上の時間現実に同じ場所にいなければ失われていくものだ、という真実がどうしても信じられなくて、何か代わりの方法でなんとかなるのではないか、と間違った希望だけを抱き続けている、という最悪の場合も、あるだろう。
チーム力についての真実は、人間が空を飛べないのと同じくらい真実なのだが。