結婚記念日なので何もしない

投稿者: | 2012年7月7日

月曜日のセミナーの下準備をするつもりだったけれど、結婚記念日だったことを昨日思い出したので今日は仕事はしないことにした。

結婚記念日が7月7日なのは全くの偶然という話は以前にどこかでしたような気がするけれど、滅多に忘れないので悪くない。
先日妻と話していて多分来年が銀婚式らしいと分かった。銀婚式。25年ですよ。長い。
「知り合った」のは更に前で、私が高校3年になったばかりの頃なので、おそらく35年以上の付き合いになる。特に私の方は、初めて会った瞬間にばかみたいに一目惚れして、それ以来ずっと彼女のことを考えて生きてきたので、感覚的にはその時から数える方がしっくりくる。
これまた、長い。

引越しや父の転勤が多くて、幼稚園以来学校は全部途中で転校した。それになんだか慣れてしまって、昔の友達と連絡を保とうとする努力もけっこう早くにやめてしまったので、私にはいわゆる幼馴染は一人もいない。小学生以来の付き合いの友人がいるなどというのは、私にはなんだか想像もつかない。
それどころか、中学校の時の同窓生も、高校の時の同窓生も、一人も今どうしているか知っている人がいない。
引越しなどで土地を移ると同時に人間関係まで含めてばっさり入れ替えてしまう、というような(必ずしも良いとも言えない)リセット癖がいつしかついてしまったのか、大学時代の同窓生でもやはり消息を知っている人がいない。大学はさすがに親の都合は関係なく自分でコントロール出来たはずなのだから、自分がある程度選んでそうしたわけだろう。

小学生の時の夢が考古学者になって砂漠の果てで黙々と穴を掘ることだったり、月面の砂漠で人生を終わることだったり、後に成人して香港の街角を歩いていてだれも私のことを外国人として特に注目していないことに気付いた瞬間の孤独感と圧倒時な開放感が今でも忘れられなかったりするのを思い返すと、必ずしも「父親の転勤が多くて」という環境のせいばかりではないかな、とも思う。
持って生まれた性格もあるんだろう、多分。
明るくて、騒がしいくらいおしゃべりで、転校すると「石塚君がいなくなって静かになってなんだかさびしいです」とか手紙で言われていた子供が、なぜそんな孤独な世界を望んでいたのか分からないが。

そんなわけで、私にとっては実は妻が幼馴染に一番近い、ということについ先日気付いた。
なるほど、そうだったのか。
他はすべて忘れたり捨てたりしたのに、妻との関係だけはずっと手放さなかったんだな、と気付いたらちょっと笑えてきた。
自分の人生にとって、そんなに大切なものだったのか。

なるほど、それはすごい。