『海街diary』はほんとうに面白いんだろうか

投稿者: | 2012年12月18日

umimachiネット上ではけなしている記事を見つけられないといっても大げさではないほど評価が高い、吉田秋生の『海街diary』シリーズ。
これから、自分は微妙に納得がいかないという話をしますから、このシリーズを愛してやまない人はどうか読まないように。
 
あ、さらに言っておくと、この記事を書いている時点では3巻までしか読んでいないので、その範囲内で感じたことだという保留付きです。
年明けくらいまでに最新巻まで読むだろうと思うので、その時違う感想をもったらあらためて書くかもしれません。
 
 
一巻目を読んで「いやー吉田秋生も丸くなったなー、ストーリーも人物の描き方も」と思った。
いや、声に出して、言った。
土地や一部の人物が重なる『ラヴァーズ・キス』を知っている身としては、ショックなくらいだった。

「いい話」だというのは認める。「よくできている」ことも認める。
でもなぁ、私は吉田秋生にそういうものを描いて欲しいとは思っていなかったんだよなぁ、というのが多分すべてだ。もちろん吉田秋生は自分が描きたいものを描くし、私は自分勝手に「こうあってくれたらいいな」と思っているだけで、結局これは評価というレベルの話ではないということは分かっている。
でも、もう一度言うけれど、私は吉田秋生にこういうものを描いて欲しいとは思っていなかった。
ちょっと屈折させたサザエさんの世界みたいなこの作品に、どうしても全面的には納得出来ない。

だってなあ、『ラヴァーズ・キス』の藤井朋章があんな軽い扱いをされてしまうのは納得がいかないよ。
挙句にはてに海街diaryの中で心をかよわせる様が描かれる相手がすずだけなんだよ。
もちろん彼は、たかが高校生だ。
だからすでに30歳にもなろうという主要キャラクター達からすれば言うまでもなくガキだ。
すずと一緒だ、ほとんど。
冷静で、現実的なバランス感覚からするとそれで正しいんだと思う。『ラヴァーズ・キス』の世界の方がもちろん不自然だったんだ。

でもなあ、べつに私は吉田秋生にそんなバランスがとれた世界を描いて欲しいとは思ってないんだよな。
『ラヴァーズ・キス』を読んだことがない人にはあの藤井朋章というキャラクターはほとんど意味不明だろうと思う。そして、意味不明のまま、かる~く通りすぎて去っていく(彼は島へ渡ってしまっていなくなるからね)。
もしかして吉田秋生は『ラヴァーズ・キス』の頃の世界観を否定したいのか、と勘ぐりたくなるほど徹底した「大したことない」扱いだ。
ちょっとそれはないんじゃないかなー、と思った。
勝手にかつてファンで、勝手にある傾向の世界を描いて欲しいと思っていただけの、ただのオジサンだけれど、やっぱりちょっとだけ、それはないんじゃないかなー、と思った。
いや、否定してもいいんだよ。
でもじゃあわざわざ藤井朋章を引っ張り出してきて絡めた挙句にかる~く流すんじゃなくて、大人の目から見たら君の人生はこうだったんだという(少し残酷でもいいから)ちゃんとケリをつけてあげればよかったのに、と思う。

『海街diary』を読んでいて一番もやもやするのは多分その辺りなんだと思う。
うん確かに人生ってそんな感じだ。描き方もうまい。バランスもとれている。
でもじゃあそれで何がどうなるっていうのか。
何も、どうにもなりはしないのがリアルな人生だ、と言い切るまでは突き詰めないこの微妙なふんわり感。
それが、私にはどうしても駄目なんだと思う。

『海街diary』を「文学的」と評している人々も見かける。
いやいや。こんなにふんわりと予定調和なものを文学だと思っているなら、あなたは思わず悪夢を見てしまうような本当の文学を読んだことがないんだよ。
なにもストーリーや描写が残虐で夢に見るとかそういうことじゃないんだ。カフカやナボコフをちゃんといくつも読んでごらん。いつかほんとに悪夢を見るから。
文学を突き詰めると、行かなくてもいい人生の底を突き抜けてしまうし、美しさは突き詰めると優しさとは縁もゆかりもないところまで行くもんなんだよ。

まあ、私もけっしてそこまで自分が行くことはできないと分かっているから、こんな駄文しか書かないんだけど。
人生はいろいろ苦いね。

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