新聞が読みにくい

投稿者: | 2012年12月30日

数ヶ月前業界関係の新聞を読んでいて「読みにくいなぁ」と、ふと思った。
それから少しして、偶然一般の全国紙を読んで「やっぱりとても読みにくい」と思った。
昔々はそんなことは思わなかった。ごく普通に読んでいた。

新聞のレイアウトは、実は相当に変わっていると思う。
一枚の紙に限界までびっしりと文字を詰め込むために工夫に工夫を重ねた結果なんだろうな、ということは想像できるけれど、やっぱり相当に変だ。
一行が妙に短いうえに、どこからどこへ段落が繋がって行くかというのが、かなりおかしい。紙の新聞を読むという行為そのものに慣れていないと、段落の続きがどこにあるのかしばしば分からなくなるだろうと思う。
自分が「読みづらい」と思った理由のひとつがまさにそれだった。
もう随分前から紙の新聞の購読をしなくなったので、子供の頃からずっと蓄積されていた紙の新聞を読む技術をついに忘れてしまったのかもしれない。

私のように紙の新聞があって当たり前で、それ以外のものが存在しないという時代を生きてきた人間であっても、長年毎日それを読むという習慣をなくすると読めなくなるのだとすると、ひょっとしていわゆるデジタル・ネイティブなどと言われるような世代で、そもそも子供の頃からほとんど紙の新聞を読む習慣がなかった人の内けっこう多くが、紙の新聞は意味不明のレイアウトで読みにくくてしょうがないとうんざりしている可能性もある。
複数の新聞社が(Web公開版ではなく)端末に落として見られる有料の電子版を始めていて、そのほとんどは「紙面を再現」している。しかし、これはひょっとして駄目なんじゃないだろうか、と余計なお世話だけれど心配になる。
紙の新聞を読み続けてきて、あの変態的なレイアウトに無意識についていけるほど慣れている層じゃないと、わざわざ電子版を読みにくくしているとしか感じないかもしれない。

この話に、これといった結論はない。
でも少なくとも(これだけの歴史があるものに対して決めつけるのはためらわれるけれど)、新聞紙面のレイアウトが優れているわけではない、と今は思っている。
習慣と訓練の結果としてほぼ無意識に受け入れてきたけれど、まさにそこ、習慣と訓練をしていたのは読者である自分の側だったのか、というのがちょっと新鮮な驚きだったのだ。