何もしたくない気分の時には、YouTubeのアカウントに非公開で作ってあるColdplayのリストをひらすら聴く。
「Viva La Vida」級の大ヒットした曲はたしかにいいが、たとえば「Gravity」とか「O (Fly On)」などもいい。
世間的には、もうColdplayはある種大御所になってしまってそろそろ新鮮味も面白味もないという評価なのかもしれないが、力尽きそうになっている時に私が聴くものとして、まあ悪くはない。
いろいろあって十二指腸潰瘍が悪化して毎日々々胃が痛くて泣きそうになっていたが、病院で薬をもらって一週間くらい経ったのでだいぶましになってきた。
おかげで酷暑が続く最近だけれど、まだ倒れていない。
この程度の気温で酷暑とか言っていると某暑い国にいる友人に笑われるだろうけど。
いい加減FacebookもTwitterもアカウントを消したい。しかし、Facebookには抜けられない連絡網としてのグループがあるし、最も手軽な緊急連絡手段としてTwitterのDMがあるし……などなどの理由で、こっちがいきなりにアカウント消したら困る人もいるんだろうなぁという、主に社会のしがらみとして、アカウントを消せない。
ソーシャルネットワークというのはもともとネット上のつながりだけを示す言葉ではなかったが、一周回って、もはやそれ自体がソーシャルネットワーク ≒ 社会のしがらみになってしまったので、なかなかに気分が悪い。
さらに自分が目にするタイムラインは自分で編集できるという、一見素晴らしい、しかしきわめて不自然なSNSサービスの仕組みのおかげで、インターネットがもたらすことに成功したかもしれない一人の人間に全世界が開かれるという夢は消えた。それどころか人々はむしろどんどん小さく心地よい高度なカエルの井戸づくりにはげめるようになった。自分が知らない、ちょっとでも気に触る他者には言葉の爆弾を投げつけておいて即座にアカウントをブロックできるようになった。
この方向へ進み続けるなら、普通に自分が街を歩いていても気に入らない光景は目に入ってこないようにリアルタイムで消してくれるゴーグルが50年待たないでもできるだろう。そうしたら、小学生には通学時には必ずそのゴーゴルをかけさせましょうというような話がきっと出てくる。
うんざりだな。
知っている。
いわゆるSNSサービスのタイムラインという概念とその編集機能が出てくるずっと前から、インターネット上の自分の領地を自分の望むもの以外では決して汚させまいと強く望んでいた人々がたくさんいたことは、知っている。自作のサイトに批判的なコメントを寄せる人間はきわめて無礼で、自宅の庭にゴミを散らかしていく人間のように厳しく叱責されねばならないという思いでネットと付き合ってきた人々がたくさんいたことは、知っている。
そのような人々の潜在的な熱意 ≒ 圧力がネット技術活用の方向に影響を与えなかったとは思わない。だって、SNSサービスを作る企業は当然それを使ってもらい、高く評価してもらいたいわけだから、人々の望むことをするよね。
だからSNSサービスそのものが悪いのではない。人間の欲望が非常に簡単に拡大できるようになっただけ。
そもそもソーシャルネットワークサビスがうんざり気味でアカウント消したいと私が思っているのも、SNSサービスをそういう使い方をするようなった自分の社会との関わり方を反映しているだけなので、文句を言うべきものでもない。
そういうぬるい泥沼のような状況にはまり込んでいる状況には、うんざりではあるけれど。
つまるところ、今私はいろいろ疲れて、いろいろうんざりしているというだけの話で、インターネットだのSNSだの話は一見もっともらしい八つ当たりにすぎない。
誰かが一見もっともらしいけれど、なんだか妙な熱意をもってなにか(思想だの、組織だの、政治だの、行政だの、世間だの、流行だの、お隣さんの生活態度だの)を批判する時なんて、だいたいがそんなもんだ。