どうでもいいことをもっともらしく語る

投稿者: | 2018年8月12日

マウスは結局ホイール付き3ボタンで必要十分だとか、最近のOSなら特別カスタマイズしなくても不便というほどではないとか、そんなことを誰でもやがて納得するようになるのだが、その理解に至るまでには5ボタンでかつどのボタンもカスマイズできる専用ドライバがついたものをつい買うとか、まずWindowsのレジストリのバックアップのとり方を覚えるところから始めるとか、さまざまにばかげた若気の至りをやり尽くすものだ。
当たり前のことを理解するようになるというより、バカの沼から足を抜くのに時間がかかるとでも言おうか。
その先には、やっと平穏な日常が待っている。
その一方で、これだけ生きてきてまだ、初めての経験でささやかな衝撃を受けたりもする。

若い頃からずっと、やむなく携帯本体を買い換える時以外いわゆるキャリアのショップ店頭というものに行ったことがなく、その後MVNOのSIMでしかスマートフォンを使わなくなり、おそらくこれまでの人生で3回くらいしか足を踏み入れた経験がなかったわけだが、先日自分の用事ではなく親の回線の変更手続きのためにdocomoショップに行った。
けっこう長い時間待っている間、年配客にショップの店員が、スマートフォンでGメールのやり取りをできるようにしてほしい、娘とメールのやり取りをしたいのでと言われて、黙々と全部設定をしてやっている姿を見て、docomoってすごいんだな、とつくづく思った、いろんな意味で。
設定完了しましたと店員が告げたあとの最後のやり取りがまた、なかなかだった。
客「あの、迷惑メールとかすごいんじゃ…」
店員(かぶせ気味に)「Gメールは優秀だから全然大丈夫ですよ」

チェ・ゲバラはきっと自分の容姿が見栄えのするものだということを、一生意識していたと思う。
ゲバラの写真をみるたびに、ついそう思ってしまう。
そのことが、彼のことを考えるときにいつもつきまとって、どういうわけかいつも歯の隙間に挟まってしまう焼きホタテの身のように、私の注意をそらす、革命や、思想や、生や死から。

私はガラパゴス諸島へ行くべきかもしれない。
まだ知らない世界があることをdocomoにさえ教えられたからな。