前回のまとめと今回のお話し
電子メールはウェブサイトと連動させることで表面には見えない部分で最も力を発揮する、ということを前々回までに述べました。
また、いわゆるメールマガジン形式の配信に関して、工夫すべきことや注意を払っておくべきことを、前回述べました。
今回は、日常のコミュニケーション補助としてのメール利用についてのお話しです。
「法則」はありません
まず最初にお断りをしておきます。
個人対個人のケースがほとんどとなる「日常のコミュニケーション」の場合には、メールマガジン形式の配信で述べたようなある程度汎用的な「法則」のようなものは、ありません。
商用に限らないごく一般的なメール利用での注意点やマナーを守ってさえいれば、あとはケースバイケースであるというのが実際のところでしょう。
たまに「これさえすれば絶対」的なハウツー本を見かけます。
信じないでください。
それは発信者が楽をしようとすることにつながるだけで、現実の効果の程はきわめて疑わしいものです。
どのくらいの敬語を使うべきかなどは相手とどのくらい親しいのかによって大きく変わりますし、「この一言で始めれば必ず読んでもらえる」などというフレーズも、相手がそれぞれなのですからそもそもあり得ません。
メールマガジン形式など一対多を想定した情報発信は紙のダイレクトメールと同じで、かなり高い確率で開封されずに捨てられる危険性があります。その危険性については前回述べました。
それに対して、個別の、一対一を前提にしたメールのやりとりの価値は、今更言うまでもなく、血肉を備えた相手と直にコミュニケーション出来ることにあります。
メールマガジンに掲載した情報に対して反応が無くても、それと全く同じ内容を特定の人に説明すると反応が得られることもあります。
メールマガジンに使われていてフレーズではピンと来なかった、より詳しく知らないと判断できないと思ったが問い合わせるのが面倒だったなど様々な理由があり得ますが、それらは全て「人はそれぞれに違う」ということに集約されます。
メールマガジンと個別のメールの関係は、ダイレクトメール配布と個別訪問営業の関係と、基本的には一緒です。ただ、時間や地理的な距離の制約を比較的受けない、という点が異なるだけです。
相手に「合わせる」という勘違い
このような話になるとどうも「相手の好みや欲求に細かく合わせるほど良い」という、一見正しいようで間違っているお題目が出てきます。
やがて「相手が黒と言えば白も黒」的なお追従に墜していくこともよくあります。
本当に必要なのは相手に合わせることではなく、相手を尊重することです。
そういうものなんだ、という当たり前の受け取り方
あなたが男の長髪は好きではないなと思っているとします。
相手が男の長髪はとてもかっこいいと思っているとします。
「そうですよね。男はなんといっても長髪ですよね」と言わなければ相手は喜ばないのでしょうか?
そうではなく、この人は男の長髪が好きであり、そういう価値観を持って人生を生きてきた人だ、ということをただ素直に認めればよいのです。
あなたがもし、男性がみんな長髪であることが当たり前で、見事な長髪を持つことが良いことと思われている民族の元を訪れたなら、おそらく、自分が好きか嫌いかに関係なく、それはそういうものなんだなということ自体は認めるでしょう。
自分も長髪になろうとは一切思わなくても、その人々はそういうものなんだということは納得できるはずです。
では同じことがなぜ普段暮らしている日常の中では出来ないのでしょう。
あなたが無意識に自分の価値観を相手にも押しつけようとしているからです。その価値観は相手にも受け入れられるはずだという勝手な甘えがあるからです。
受け入れられないとなると「男というものは」とか「日本人なら」とかといったわけの分からないナショナリズムを持ち出してまで説得しようとし始める人も少 なくありません。しかもそういう人は大抵、ついこの間まで日本の多くの男性が長髪であったばかりかその上に額から頭頂部にかけてを剃り上げるという奇妙き てれつな髪型をしていたなどということは都合良く忘れていたりもします。
ナショナリズムは人格尊重の欠如
あなたは「日本人なんだからみそ汁を毎日飲むのが正しい」などという主張をされたいですか?
あるいは逆に「みそ汁を毎日飲みたいんだ」と言った時に「日本人ならそうですよね!」と言われたいですか?
あなたは、あなたがそういう人間なんだということをただ丸ごと受け入れてもらえれば、それでいいのではありませんか?
相手にもそうすればよいだけです。
過剰なお追従と過剰なナショナリズムは、根は同じものです。
利害関係にある相手には呆れるほどに追従をし、一方では身内や部下には自分の偏見を押しつけてはばからないという不思議な人をあなたはどこかで見かけませんでしたか(笑)
そういう人はべつに「卑劣」であったり「二重人格」であったりするわけではありません。
自分自身をも含めて、人格を尊重するということを学ばないままに生きてきたあわれな人だというだけのこと です。
書き文字の魔力
本来メールのやりとりに限らないこのようなことをあらためて持ち出したのは、メールが書き文字のコミュニケーションだからです。
文字には魔力があります。
書いた本人の意図を超えたものが伝わってしまう場合があるのはもちろん、書いている本人自身さえ文字の魔力に引きずられて書くつもりがなかったことを書いてしまうことさえあります。
上記の文章を、微妙に変えます。
文字には力があります。
書いた本人にそのつもりがなかったことまで裏読みされる場合もありますし、書いている当人も文字の勢いで思わぬことを書くこともあります。
さらに、変えます。
文字には呪力とでもいうべき強い力が秘められています。
書いた本人の意図を超えたものが伝わってしまう怖ろしさがあるのはもちろん、書いている本人自身さえ文字の呪力に魅入られて憑かれたように思いもよらぬことを書き綴ることさえあります。
三つの文章は、大体は同じことを述べています。
しかし、最初の文章に使われていた「魔力があります」という言葉を「力があります」に変えることにより、二番目の文章は「含み」が少ない、冷静で日常的な文章に近くなっています。
逆に三番目の文章は(少し不自然ですが)最初の文章にそれとなく感じられる含みを「呪力」という言葉を持ち出すことで前面に押し出しています。「秘められて」「怖ろしさ」「魅入られ」「憑かれた」などの表現を多用することで、もはや日常からはかけ離れた主張になっています。
書き文字によるコミュニケーションに馴れていない人ほど、ふとした瞬間に上記したような文字のわなに自分自身ではまりこんでしまうことがあります。そして、大抵はそのような場合、出来上がってくる文章そのものが勝手に、何らかの非常に偏った「主張」を響かせています。
もう一度繰り返します。
コミュニケーションは主張でもお追従でもありません。
お互いの人格の尊重です。
きっかけをつくる
訪問した書店でもらった名刺にメールアドレスがあれば、帰社後必ずお礼のメールを出しておく。
訪問予定数日前に、当日在籍しておられるか確認メールを出す。
新刊案内などの一斉送付のメールマガジンを出したあと、これはと思う書店担当者にさらに個別にメールを送る。
ある特定の人が興味を持ちそうな情報や話題を見つけたら、こまめに連絡する。
メールのやりとりを開始するためには何かきっかけが必要です。
上記のようなあらゆる機会を見つけて、メールを送ってみると良いでしょう。ただし積極的な反応が無くても気にしないことです。
大体、お礼のはがきに返信があることなどめったに無かったでしょう?メールは返信作業が簡単に出来るというメリットがあるのでたまには返信がもらえることもある、程度に思っておく方がよいのです。
これらのメールはあくまでもメールコミュニケーションを始めるための「きっかけ」です。「ネタふり」くらいの気持ちでかまわないでしょう。
返信がもらえた方とはうるさがられず、しかし忘れられない程度の間隔でメールのやりとりを途切れさせないようにします。
重要な話題を受け取ってもらいたい時のために、心の敷居を低くした状態を保っておくことが主目的ですから、むきになって毎日のようにメールを送る必要はありません。
どのくらいの間隔がよいのかということは、相手がどのくらいのタイミングで返信をしてくるかということで大体見当が付きます。
数時間と経たずに即刻返信をしてくるような人なら、おそらくメールコミュニケーションということにきわめて積極的で、プライベートでもかなりメールを使いこなしておられるでしょう。
2~3日後に返信が来るような人であれば、返信をしてコミュニケーションを続行する意志は持っているが、メールの重要度があまり高いと思ってはいないかもしれません。
忙しいかどうかはあまり関係ありません。非常に多忙でも常に即刻返信をする人もいます。要はその人の生活や業務の中で、メールの優先順位がどのくらいの位置にあるのかという違いです。
メールの利点を活かす
内容が文書として残せる
この点を有効活用しているケースが実はまだ案外少ないです。
挨拶や雑談に終始する場合がまだまだ多く、具体的な仕事上のやりとりの方が少ないかも知れません。
「電子メールで受注したものの処理は電話受注に準ずる」などの社内的な慣例が確立していないところもまだ多い、ということも関係しているかもしれません。
書店からのメール文面は不定形で、その後の社内処理に利用しにくいというような問題があるのであれば、たとえば「署名」の一部分として「ご注文があれば下記へご記入の上ご返信下さい」などとしてテンプレートを強制的に添えてしまう、というアイディアもあるでしょう。
書店さんがそれを利用してくれるなら、その部分をコピーしてプリントアウトやデータ処理へ回す、という使い方も出来ます。
もう少しスマートなやり方はもちろん、注文入力フォームをサイト上に設けておいて、そのURLを常に告知しておくというやり方です。
話が若干それますが、以前「常備寄託の契約はがきが戻ってこないことが非常に多い」という不満というか非難を版元さんからお聞きしたことがあります。
契約であるいじょう、もちろん非は書店側にあります。しかし、たくさんの紙ベースの書類を管理するのが負担だ、苦手だと思っている人が多い、というのは、残念ながら事実です。
メールに正式の契約としての機能をどう持たせるかという点では未解決の問題も沢山ありますから今すぐ常備契約をメールやネットですませられるようにしよう、というわけにはいきません。
しかし通常のセットやフェアなどの相談・受注程度は、書類ベースからメールベースへ移行しても問題がないのではないか、と思います。
検索がしやすい
上記とも関係しますが、保存した情報を簡単に検索できるという特徴は、なかなかに便利です。メールでのやりとりがそのまま簡易的なデータベースでもあるわけですから、何月何日に、正確にはどういう表現でどういうやりとりをしたかということが簡単に調べられます。
私が原則としてメールを一切捨てないのはそのためです。ダイレクトメール的なものや、一定期間が過ぎると意味が無くなる速報的なものは別ですが、特定の方とのやりとりは何千通になっても保存します。
自分がいつ、どのようなフレーズで、何について発言したかということが正確に分かれば、ついやってしまいがちな自分自身の「いいわけ」をおさえることにも効果があります。
間違った発言をしている、あるいは誤解を招く表現をしているというような場合、はっきりとそれが分かるわけですから、素直に謝罪したり、誤解を解く努力をしたりすることがしやすくなります。
電話の場合は全ての会話を録音でもしておかない限りなかなかこうはいきません。「言った言わない」になってしまうこともありますし、「そういう言い方はしていない」という言いわけも頻発します。
相手の都合の良い時に読んでもらえる
即時性がないという点で電話の方を好む人も多いでしょうが、あなたがかける全ての電話が本当に即時性が必要なものですか?
単に、あなたの側が今知りたい、今返事がもらえれば自分の仕事の都合がいい、というような理由で気軽にダイヤルをしていませんか?
電話には電話なりの、他の手段では置き換えられないすぐれた特性が沢山あります。使い分けることを考えるべきだ、というだけのことです。
返信や引用がしやすい
慣れてきたらこの利点をより活かせるようにあらかじめ考えてメールを書くということもしてみると良いでしょう。
相手のフレーズを引用しようとしても、何行にも何行にも渡って段落というものが無く、しかもその中で話題があきらかに変わっている、という文章に出会うことがあります。
引用文は改ざんしないのが原則ですから、こうなるときわめて引用がしにくくなってしまいます。
メール文を書く段階であらかじめ話題ごとに段落わけをしておくように努力をすれば相手にいらぬ苦労を強いることもありません。
そのような文章が「不自然」で「美しくない」という心理的な抵抗を感ずる方もあるでしょう。その気持ち自体は正しいです。メール用に特化された文章は、確かに伝統的な美意識からすれば、細切れに過ぎ、ぶっきらぼうです。
ただしメールは書物や伝統的な手紙のように読むものではなく、あくまでも「利用」されることを前提にしたものだと、考え方を切り替えてください。
電話で「貴下ますますご健勝のこととお喜び申し上げます」などと会話を始めないのと同じことです。
メール利用の基本的な注意点
件名は具体的に
件名には「内容が推測できること」を書く、「あいさつ」は本文内に書く、という原則が守られていないケースをしばしば見かけます。
要するに件名が「こんにちは」とか「お世話になっております」になっているケースが多すぎる、ということです。
それの何がいけないのか分からないという方はあまりいないと思いますが、一応説明します。
メールは送信者名や送信メールアドレスで相手を判別し、件名で内容を推察して今すぐ読むべきかどうかを判断します。
どれもこれもが「こんにちは」では、いちいち内容を読んでみないと重要度や緊急度が推察できません。
また、ビジネス上の取引などが一連のメールのやりとりで続いている場合には「Re: 件名」としてまとめるのが普通なので、もともとの件名が「こんにちは」ではどうにもなりません。
どうしても丁寧な印象を強く与えたいというのであれば、挨拶の言葉などは本文に書いてください。件名にはあくまでも、メールの内容(依頼の主旨、なんについての連絡か、等々)を推察できるものにしましょう。
返信はメールソフトの返信機能で
あきらかに特定のメールに対する返信であるのに、新規メールというケースにも時々遭遇します。
メールソフトの返信機能は単に件名が自動的に(多くの場合は)「Re: 元の件名」になるというだけの機能ではありません。このメールはどの特定のメールに対する返信かという情報そのものが、メールに埋め込まれます。
最近のほとんどのメールソフトは、メールを「スレッド」で表示することが出来ますが、この時に利用されるのもこの情報です。
メールの表示を「スレッド」にするのか「日時順」にするのかというようなことは個人の自由です。しかし少なくとも「スレッド」表示を利用している人は、当然埋め込まれていると期待される情報が無いと、スレッドでメールをまとめることが出来ずに非常に混乱します。
返信はメールソフトの返信機能で行い、必要と思うならば件名は手作業で変更するようにしてください。
ひとつしかメールアドレスがない相手先への配慮
中小の書店では、店舗単位でひとつのメールアドレスしか持っていないというところもまだ少なくありません。
店舗内の特定の個人とやりとりする場合には、件名や本文冒頭に必ず相手の個人名を添えるという配慮をしましょう。
当たり前の話、と思われるかもしれませんが、実は意外とこれがないメールは多いです。
いきなり「この間はどうもありがとうございました」などと話が始まり、最後まで行っても一度も対象者名が出てこない、というケースです。自分の名前や署名はあるけれど、誰に宛てたものかは書いていないのです。
最悪の場合、内容を全て読んでしまわないと誰に宛てたものなのか判断がつかない、ということもあり得ます。
また、メールソフトの機能を利用して、各人別のサブフォルダに自動的に振り分けるような活用法を実践していても、そもそも振り分けの条件に使えるような情報が含まれていなければどうにもなりません。
相手のメールアドレスが「共用アドレス」であると分かっている場合には、件名そのものに「○○様:先日の会合でお問い合わせいただいた件」などと相手の名 前を添えてしまうか、あるいは、本文冒頭に必ず「○○様こんにちは、××です」のように挨拶として相手の名前を添えるようにします。
そうしておけばメールソフトの機能で振り分ける条件として利用も出来ます。
たとえそのような機能を使っていないとしても、件名か、内容を読み始めてしまう前の本文冒頭で、誰に宛てたメールか目視で確認も出来ます。
時と共に、一人一人が独立したメールアドレスを持っているという環境は増えていくはすですが、現状ではまだそうなっていないところも多いということに配慮してください。
可能であればCCの利用法を示す
書店と版元で特定の個人同士が親しくなっていけば、当然メールで急な依頼をしたりする場合も出てきます。
しかし、この時版元さんの側がたまたま出張などで社内にいない時は、メールが何日も読まれないままになるという可能性もあります。
そのような場合に備えて、あらかじめ「緊急を要する用件の場合には××宛にCCを指定しておいて下さい」とお願いしておくのは、かなり有効な手段です。
CCは同僚の方の誰かのアドレスでも、存在していればたとえば営業部全体を示す(eigyo@××などの)アドレスでも良いでしょう。
こうしておくことによって、たまたま該当者が自分で対処を出来ない状況であっても、社内の他の人間が対処することが出来ます。
ただし、社内でもあらかじめCC付きのメールが届いた時にはどのように処理をするという約束が行き渡っていなければなりません。
また、書店に対しては「そのように利用した場合にはCCに指定された者がメールの内容を全て読みますよ」ということを、念を押しておいた方が良いでしょう。
このお話はもちろん、書店さん側のケースして読み替えることも出来ます。個々人がアドレスを所持していて、上記のような対処の仕方が可能であるなら、そのような相談を版元さんとしておくのは役に立つでしょう。
添付ファイル名を明示する
勝手に添付ファイルを送りつけてはいけないというのは常識ですが、同意が成立している場合でも、メール本文内に添付したファイルの名前を書き添えると、より良いでしょう。
「○○○.zipとして添付しました」などとファイル名を明示しておけば、それとは違う名前のものがくっついていればウイルスやワームかもしれないとあらかじめ警戒することが出来ます。
ファイル名を明示しても、そのファイルそのものがウイルスに感染していないという保証にはなりません。しかし、そのファイルは相手が意識的に添付したものだということまでは確信できます。
常に添付ファイル名を書き添えるというふうに振る舞っていれば、不幸にもウイルスに感染したメールを送ってしまった時にも、「おや、○○さんはいつも添付ファイル名を必ず書くのに今回は?」と相手が気付いてくれる可能性も、わずかながらあるでしょう。
ですからこれは「相手がウイルスやワームに感染することを防ぐことに関して実効性がある」というよりは、一種の気遣い、というレベルのお話しです。
無差別のメールは勧めない
これまでの話の中に、何らかの手段で入手したメールアドレスに無差別にメール営業をする、というケースが含まれていないことを奇異に思った方もあるでしょう。
つまりまだ直接に知り合っていない書店や書店員個人に対して、何らかの営業をするためにメールを一斉に送りつける、というやり方についてです。
そのようなやり方も一定の反応があるかもしれないと認めないではありませんが、私個人はどちらかというとお勧めしません。どんなに丁寧な文面であったとしても、相手のことを知らないままに送らるメールはスパムメールです。
手間はかかりますが、いちいちの書店について実際に調べた上で、共通でよい部分以外は全部書き換えるというのであれば、認めます。
書店のWebサイトがあるのであればそれをよく調べて「御社は××でいらっしゃるようなので、興味を持っていただけるかと思い…」などと、メールを送った根拠を明確にするようなことをするのであれば、ということです。
悪意を持って行っているわけでもなく、中にはその情報なり提案なりを必要としている人もいるかもしれないのだから、そこまで神経質になる必要があるとは思えないという反論もあるでしょう。
営業をする前に相手のことを知る努力をするのは当然です。飛び込み営業であっても、現実に目の前で反応をかえしてくれる人を相手に話をしながら、相手のことを知ります。
メールという手段が簡便だからといって、そのような営業の基本を投げ捨ててもよいとは、私は、思いません。
話が一番最初に戻ります。
そのようなメールは相手の人格を尊重していないのです。
今回のお話しの全ては、そこにつきます。
さて。
将来また同じテーマを別の見方で取り上げる可能性はありますが、とりあえず電子メールに関する一連の記事は、2004年6月時点としては、今回はこれでおしまいです。
※ご注意:一部の記事は書かれた時期が古いために現状と合わない場合があります
「この文書の趣旨」でもご紹介しているように当コーナーが本にまとまったのが2008年(実際に原稿をまとめたのは2007年暮)なので、多くの記事はそれ以前に書かれています。
そのため一部の内容は業界の常識や提供されているサービス・施設等、また日本の世間一般の現状と合わない可能性があることにご注意下さい。