ともに喜ぶ

投稿者: | 2011年3月29日

「ありがとうございます」は微妙な気持ち

次に書店を訪問してみたら、前回受注していった平積みやフェアが良く売れよたと、と知らされる。
こんな嬉しいことはありませんね。
もちろん、売れた書店自身も、嬉しいです。

多くの営業さんはそんな時「ありがとうございます!」とおっしゃいます。
正しいです。書店の店頭で自社の本を売ってもらったのですから、当然ですね。
けれども(少なくとも私個人はそうだったのですが)、この「ありがとうございます」を言われてなんと答えていいか分からないような気持ちになる時がありま す。嫌だとか、間違っている、という意味ではありません。こそばゆいような、自分にはその言葉を受け取る資格がないような、微妙な気持ちです。
これは、何でしょう?

支持が得られただけ

自分が売ったのではなく、たまたまたくさんの支持が得られただけだ、という気持ちです。
実際に本を買う決断をしてくださったのは、一人一人のお客さんです。「お客さん」という抽象的な人間はいませんから、より正確に言うと、書店を訪れた様々 な人々のうち何人もの方々が、この本(このフェア)は良いと支持をしてくれて、それにお金を払う価値があると判断してくれて、(実際にお金を払うという行 為をして)「お客さん」になってくれた、ということです。
ですから、自分が貢献をしたのは、書店に立ち寄る人々に対して多くの支持が得られるような提案をした、あるいは、版元の営業さんからの提案を良いものであると判断してそれを提供する決断をした、という部分だけだ、という気持ちになることがしばしばあります。
予測していたよりもずっと売れ行きが良かった時や、リスクの大きい企画だと考えていた時などには、特にそういう気持ちになります。

商売としてやっている以上、良く売れたということは成功です。そうなるように商品の仕入れ・展示に工夫をしたということは、商人としての成功です。だか ら、それに関してごちゃごちゃ考える必要はない。胸を張って「私が成功した。私がえらい」と受け止めればよい、という正論もあるでしょう。
確かにその通りなのですが、では全てが自分の力で、自分の計算したとおりに動けば成功できるのでしょうか?

おそらくそうではありません。むしろ自分の計算をこえてしまったところで何かの力が働いて初めて、成功というものがやってきます。
「ありがとうございます」という言葉は、だから本当は買ってくれた人々に対していうべき言葉かもしれません。有り難い(なかなかおこらないことをしてくださって感謝します)という、言葉がもともと持っていた意味そのままです。

ともに喜ぶ

こんな時、誰かに言ってもらいたい言葉は:
よかったですね!
です。
もちろん自分も努力をしたけれど、あなた(版元さん)の商品や提案が無ければそもそも成り立たなかったし、何よりも完全に予測しきることは出来ない多くの人々の支持というものが加わって初めて起こった事です。
出来た、のではなく、起こった。
その時まずしたいことは、関係者全員でともに喜ぶことです。

チャンスを見つけて、書店さんに「よかったですね!」と言ってみてあげてください。
相手がとくに仕事熱心な方だったり、あるいはフェアの企画を一緒に考えた方だったりすれば、きっと喜んでくれますよ。

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この文書の趣旨」でもご紹介しているように当コーナーが本にまとまったのが2008年(実際に原稿をまとめたのは2007年暮)なので、多くの記事はそれ以前に書かれています。
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