メインの平台へどんとお願いします

投稿者: | 2011年4月3日

いきなり個人的なことを言いますが、私は書店に入ってすぐの平台が嫌いです。
ほとんど見ません。
少なくとも、最初に見るということは滅多にありません。
まずもって、人の出入りが多くて落ち着かないのが嫌です。
それに大抵はそのあたりにはどの書店へ行っても在庫しているベストセラーが延々と並んでいるので、私のように趣味の偏った本読みにはあまり関係なかったり します。目的のものがはっきりしていて、その本は明らかにそこにあるだろうなという場合だけ、最後に渋々立ち寄ったりします。
長年本屋の内部で働いたせいで、どこにどんなものがあるか大体の勘が働くようになっているとか、とにかくもう本というものに対してスレているとか、そういう特殊事情も、もちろんあります。
まあ、そういう偏屈な本読みもいるということをふまえた上で(笑)、ちょっと平台のことを考えましょう。

入ってすぐの平台が最高とは限らない

入ってすぐの平台、メイン平台・正面平台などと称される場所を、不特定の人が一番多く見るというのは一般論としては、正しいです。
書店員のように、ほとんど毎日書店の内部にいて入荷してくる新刊を見ているというのは、非常に特殊な環境です。どんなに本好きであっても一般の方はそこま で早く・詳しく新刊をチェックすることはありませんから、メイン平台は「最近はどんなものが人気なのだろう」「あの作家の新刊は出たのだろうか」というよ うなことをざっとチェックするための場所としては、手軽で有効です。
ですから、そこに展示されていれば比較的多くの人の目に触れる可能性が高く、露出という意味では有利です。

けれども、あなたが力を入れて売りたいと意気込んでいるその本にとって、そのメイン平台がふさわしいかどうかはまた別問題です。
本の内容によってはある特定の興味を持っている人々に狭く深くアピールした方が効果的な場合もあります。
また、不特定多数に広くアピールした方がよいのものであっても、メイン平台の過酷な環境を避けて、棚前の平台を選んだ方が有利な場合もあります。

メイン平台の過酷な環境

メイン平台の過酷な環境とは、単に他の多くのベストセラーや新刊のと競争しなければならない、という意味だけではありません。多くの場合あの平台のくくりは「新刊」「ベストセラー」「話題の書」でしかないのでそこには統一感というものは全くありません。
あらゆるジャンルがごたまぜな上に、それぞれが「最新刊!」だの「何十万部!」だの「○○で絶賛!」だのと叫んでいるという、1メートルおきに客引きがてんでに声を挙げている歓楽街もかくやというような環境でもあるのです。

活気があり、露出度が高い場所なのは事実ですが、同時にいささか騒然としてがさつな場所でもあるわけです。
メイン平台を選ぶな、と言っているのではありませんが、この本はそのような環境の中へ置くのが本当にふさわしいのか?ということは、ちょっと考えてみましょう。

小説であるとか、自己啓発書であるとかの場合には「過酷な環境」にあえて挑んでみる価値は十分あります。
しかし、たとえば人文書などは、もうちょっと落ち着いた場所、ジャンル別の棚前の平台などを選んだ方が、特定ターゲットの読者に確実に把握してもらえるという場合もあります。
そもそもそのようなテーマの本は手軽に手に取りやすい小説や自己啓発書の大群の中に混じると、どうしても地味な存在になります。
最悪の場合メイン平台からはじき出された時点で返品所へ直行させられてしまう可能性もあります。
また、そのようなテーマに対して想定される読者は始めからジャンル別のコーナーの方を(「先に見る」とまでは言いませんが)じっくり見る傾向もあります。

平台が最高とも限らない

平積みが書店での展示方法の最高ものだとも限りません。
ある程度本屋というものになれている人にとっては、平積みは新刊やベストセラーのためのものだ、という認識が出来上がってしまっていることも多いでしょう。
もっと言ってしまえば「どうせ『売れ線』のものばかり」という認識です。そしてこの場合の『売れ線』という言葉には、やや侮蔑的なニュアンスが含まれる場合もあります。
「自分も食べたくなる時はある。でも、ジャンクフードはどこまで行ってもジャンクフードだ」みたいな感 じですね。

すると逆に、本屋になれている人ほど自分に興味がないはずの「場所」「ジャンル」の平積みは非常におおざっぱにしか見ない、ということも起こります。想定する特定の読者層に対しては、あえて平積みに挑戦したがためにかえって気付いてもらえなくなる可能性も 出てくるわけです。
そのようなことを考え合わせると、ものによっては平積みにこだわらず、ジャンルの棚の中に表紙を見せる形での展示を選んだ方が、信頼感や注目度が高まる場合もあります。

個別性をどう強調するか

気付いて欲しいことは「メイン平台の方がいいのか/違うのか」という単純な話とは、実は違う、ということです。
「メイン平台はやっぱり力がある」でもないし、「メイン平台は思ったほどは良くないらしい」でもない。
問題の本質は、どうしたら他の本とはっきり区別して気付いてもらえるのか、ということです。
書店や出版社など業界内部で働いている人々にとっては本はひとつひとつ独立したものです。日常的に慣れているということもありますし、自分たちの商売のネタだから自ずと注意力が高まっている、ということもあります。ある本を他の本と区別して把握することに慣れています。
しかし本を実際に買ってくれる人々の多くは、そうではありません。

…こういう言い方をするとむしろ一般の読者の方から、おいおいバカにするなよ、本好きの私はちゃんと本を把握しているし、新刊だって出ればすぐにちゃんと見つけるよ、と怒られてしまいそうです。
あなたが男性だとしましょう。
奥様や恋人と一緒に婦人服の店へ出かけたとしましょう。
特別に強い興味を持っていたり、訓練を受けていたりしない限り、婦人服の店に入っていった時、展示ラックにあるスカートをひとつひとつ個別のものとしては認識できないでしょう。おそらく、スカートがあるな、色が違うな、長さが違うなという程度でしょう。
女性の多くはもっと詳しく区別が出来るでしょう。
店員のほとんどは、さらに素材やパターン(型紙の意味でのパターン)、価格帯、サイズのバリエーションなどを把握して、一点一点を全く個別のものとして認識しているでしょう。
どこまで個別のものとして認識できるかということには、このように環境や立場によって大きな差があります。
さてしかし、あなたも奥様や恋人が常々好んでいる色やデザインに近いスカートを見かければ、それは個別のものとして認識できる可能性は高いです。

本も同じです。
一般論として、来店客の多くは、本を一点一点個別のものとしてじゅうぶんには認識できません。常日頃自分が強い興味を持っているテーマや作家については高 い注意力を持っていますから、本好きになればなるほど「自分は本を把握している」と信じています。ある本好きの個人にとっては、それで全く不都合はありま せん。自分に興味のない分野まで含めてあらゆる本を把握したところで、実際問題として全く意味がありません。
しかし、商売を行う立場からは、それだけでは不足です。
「普段気付いてもらえている範囲」以外にも気付いてもらって、初めて売り上げが「伸びる」ことになります。
業界の内部で働いている人々が勝手に期待しているほどには、本は個別のものとして認識されません。書店員さんなら「目の前にちゃんとあるのになぜ見つけられないの?」と思うようなお問い合わせを受けた経験が必ずあるはずです。
それは、お客様にとっては、個別のものとして認識できない展示法だったからです。
ある本をどこへどのように展示するかという問題は、つまりその本の個別性をどうやったら強調できるのか、ということです。
ある本にとって個別性を強調するのに一番有利な場所や方法は何かという根本的な問いかけをきちんとすれば、場合によってはメイン平台を候補から外すこともあり得る、ということです。

メインの平台へどんとお願いします

ある本をどこへどのように展示するかには、このように様々な意味があります。
「一番いい所でお願いしたいです。メインの平台へどんとお願いします」
と、言ってかまいません。
ただし、その発言が出た時書店員は、この営業さんは、上述してきたようなことを全て分かった上であえてその平台への挑戦を望むつもりで言っているのか、それとも、単純にメイン平台最高!としか思っていないのか、ということを考えます。
どうなんだろう?と思わずしげしげと相手の顔を見てしまったりすることもあります。
しげしげと見られた時、胸を張ってもう一度言える営業さんになってください。

※ご注意:一部の記事は書かれた時期が古いために現状と合わない場合があります
この文書の趣旨」でもご紹介しているように当コーナーが本にまとまったのが2008年(実際に原稿をまとめたのは2007年暮)なので、多くの記事はそれ以前に書かれています。
そのため一部の内容は業界の常識や提供されているサービス・施設等、また日本の世間一般の現状と合わない可能性があることにご注意下さい。