なぜそれを平台に展示するのか
既刊を積極的に勧めるでも少し触れていますが、新刊だから平台に展示するのが当たり前だとか、新刊こそを平台に展示すべきで既刊は棚でよいというような形式化した考え方は、一旦疑ってみなければなりません。
なぜ人は新刊に興味を示すのか?
それが物珍しいからです。
「価値があるから」とか、ましてや「良い本だから」ではありません。今まで世の中に存在していなかったものがそこにあるという物珍しさがあるから、それを確認しようとするのです。
良い本なのかどうかなどは、物珍しく思って手に取ったあとの話です。
カエルが、動いているものしか見えないというある意味実に効率追求型の目を持っていることを知っている人も多いでしょう。どんなにおいしそうなエサが目の前にあっても、それが動いていなければ見えないのです。
自分が食べるべきものは大抵は動きながら自分の視界に入ってくるのであって、それはつまりそれまでの世界との差がある時だけ反応をすればよいということです。とても合理的です。
新刊は、新刊というものだから価値があるというわけではなく、新しい(新奇である)から強い反応を引き出せる可能性が高い。そこで、新奇なものがあるということを告げ知らせるために広告を出したり、書店の目立つところに展示したりするわけです。
既刊は、古いから価値がないわけではなく、すでにそれを知っている人の割合が必ず新刊よりは多いから新奇さという点では劣る、というだけです。何らかの工夫を加えてそれに新奇さを演出できれば新刊に近づくことが出来ますし、新刊には無い別の利点も持っています。
すでに内容を知っている人々の評価が蓄積されているというのは、既刊の当たり前の利点ですが、新奇さを演出するという点に着目すると(最後に述べますが)別の見方もあります。
売れなくなったら外せばよいのか
書店員さんなら皆知っていることですが、平台のある場所で売れなくなったら(あるいは初めから売れなかったら)外して返品をすればよいというものではありません。
その前に必ずカエルの顔の前で振ってみることです。
ずっとそこにあったものが無くなったら、無くなったということ自体が新奇なのです。平均的な身長の人が平台を見下ろした時に自然に視野に納める範囲から少し外れた場所へ移動させれば、あったものが無くなったという世界の変化を示すことが出来ます。わざと必要以上に山積みして、次の日にすぐ大量にストックに 隠せば「もしかするとこんなに売れたのか?」という世界の変化を演出することが出来ます。
全くジャンル違いだけれども購買層は合っているかもしれない場所へ移動してみるというも、当然試すべきことです。
そもそもジャンルなどというものは「暫定的」なものですし、ベストセラーになったものの非常に多くははじめに想定していたジャンルや対象読者以外での売り上げを合算して成り立ったものです。
いかにして出会わせるか
個人的な好き嫌いは別として、たとえば『ゴーマニズム宣言』が一般書としてではなくあくまでもコミックスとして出版され版元も書店もジャンルとしてのコミックスの場所に展示することに終始したら、おそらくあれほど早くブームにはならなかったでしょう。
逆に、今でも内田春菊の名作コミック『南くんの恋人』が文庫で出版されていることを知らない人がたくさんいます。青林工芸舎から単行本が出ていますがあまり出回っていないので『南くんの恋人』という作品の存在そのものを知らない人もいます。
いかにして本と人を出会わせるかということが、まず、大切なのです。
それだけが大事だとか、何でもかんでも新奇さを演出しておきさえすればそれだけで全てO.K.だというわけではありませんが、「いい本なんだけどねぇ」とため息をついて首を振る前にやるべきことは沢山あるということです。
『うみのさかな&宝船蓬莱の幕の内弁当』 という怪作の「うみのさかな」がさくらももこだということはかなり知られてきていますが、実はこの本にはさくらももこ、吉本ばなな、宮本正隆など豪華なんだか変な組み合わせなんだか分からない人々が参加しているということをちゃんと知っている一般人はどのくらいるでしょう。
ああ、今となっては、実に新奇だ(笑)
既刊には別の利点があると先に述べたのは、たとえばこのようなことも一例です。
※ご注意:一部の記事は書かれた時期が古いために現状と合わない場合があります
「この文書の趣旨」でもご紹介しているように当コーナーが本にまとまったのが2008年(実際に原稿をまとめたのは2007年暮)なので、多くの記事はそれ以前に書かれています。
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