書店とマルチメディア商品

投稿者: | 2011年4月24日

なぜ消極的なのか

メールマガジンを読んでいただいているある方から、書店店頭でのマルチメディア商品の扱いが、量としても少なく、また品揃えもしばしばおざなりに見えるのはどうしてなのか、という主旨のご質問をメールでいただきました。
興味深いテーマと思いましたのでその方の同意を得て、個人へのお返事ではなく、今回のテーマとして書かせていただくことにしました。

確かにCD、DVDに代表されるようないわゆるマルチメディア商品が多くなってきています。しかし書店の店頭でそれらが「きわめて積極的に」扱われているとは言えないのも、残念ながら、事実でしょう。
そもそもそのような商品を置くことを拒んでいたり、たとえ置いてあってもいかにもおざなりで、自主的に選択して仕入れをしているとは思えないような状態のところも少なくありません。
なぜそんな状態なのでしょう?
どうしたらその状態が改善されるでしょう?

不幸な歴史

書店では、マルチメディア商品の返品作業では全て手書き伝票を書き起こさなければならないという時期がかなり長く続きました。
ことさらに言い立てるほどのことではないかもしれません。しかし人件費を切りつめる方向に徹底して動いている書店業としては、煩雑な返品作業に時間がとられるのは、大きな負担です。
自然と「マルチメディア商品は、できれば扱いたくない」という感情的な反発が強くなりました。
かつてあらゆる返品を手書き伝票で処理していたため、毎日のようにアルバイトの誰かを丸半日以上、時に丸一日、そのためにつぶしていた時代を覚えているような古株書店員などにとっては「過去の悪夢がよみがえる」ような気分だったりもします。

また、機械読みとりでの返品が可能になってからも、商品そのものが雑誌扱い、書籍扱い、マルチメディア扱いとバラバラで、コードを読み込ませてみてはじかれることで始めて気付き、その商品をいちいち脇にのけるということも頻発します。
商品コードを見れば分かるだろう、とか、そもそも納品を受け取った時にそれがどんな分類の商品であるか把握しているはずではないか、と思われる方もあるでしょう。
どこから見ても雑誌の付録にDVDが付いているようにしか見えないものが雑誌ではなかったり、プラスチックパッケージに収まったマルチメディア商品以外には思えないものがまれに書籍コードを持っていたりするので、現実の返品現場は溜め息に満ちています。

確かに納品された時にはそれがどんな分類の商品であるか、納品伝票に明記されています。
しかし「どこから見ても雑誌の付録にDVDが付いているようにしか見えないもの」を特設のマルチメディア商品コーナー(?)に隔離して展示するなどということは出来ません。それはあきらかに雑誌売り場に展示しなければなりません。
時が経って、やがて他の雑誌と共に一緒くたに返品作業所に戻ってきたとしても、誰も責めることは出来ません。

納品調整の難しさ

またマルチメディア商品はかつては、通常の書籍のようにサブジャンルを絞って納品希望をするとか、雑誌のように数号の販売実績で搬入数が調整されることを期待するということが、出来ませんでした。
マルチメディア商品を受け入れるとなれば辞書からアダルトものまで、なんでもを受け入れることになりました。
そしてどんなに大量の返品し続けても搬入数の調整がかかりませんから、受け入れ続ける限りまた大量の商品が納品されてきます。必然的に返品は増えます。そして返品作業が繁雑で嫌だという前段で述べた事態へまた突入する、という悪循環に完全に落ち込んでいました。
つまり、歴史的に書店では、マルチメディア商品は取り扱うことによるメリットよりもデメリットの方がずっと多い、というマイナスイメージがあったわけです。

時と共に改善されてきているのは、事実です。
ずっと昔のように、あらゆるジャンルを一緒くたに扱うというほどひどい状態ではありません。
しかし今でも、非常に曖昧なままだ、とも言えます。
しばしば「うちの店になぜコレが送られてきたのか?」「うちの店になぜアレが送られてこなかったのか?」ということがあります。そしてそれに対する、明確で論理的な答を聞いたことはありません。

期待と無知

また別の側面として、リスクと利益のバランスの問題があります。

いわゆる取次からの仕入れにせよ、独自のルートでの仕入れにせよ、置いてみたいと思えるようなタイトルはしばしば買い切りで、しかも期待するほど掛けが低くない、という現実がありました。
書店は普段、高めの掛けを「残念なことだけれど、返品が許容されていることの交換条件のようなものだから仕方がない」と思っています。
ですから、買い切りでの仕入れや独自ルートでの仕入れの場合には(マルチメディアを日常的に扱う業界での常識がどうであれ)、リスクに見合うと思えるだけ掛けが低いことを、強く期待します。

それが実に勝手な期待であるとしても、とにかく何か新商品を扱うかどうかを検討する時には、必ず低い掛けが期待できるかどうかが重要な判断材料のひとつにはなります。
思ったほど低くないことが分かると、高額の仕入れをすることに本当にメリットがあるかどうか…と、とたんに腰が引けてきます。
実のところ高額商品であるから腰が引けているのではありません。
リスクをおかして新たなカテゴリの商品に手を出すなら、本と同等の売り場面積でより高い利益を上げたいという野望があります。ですから、「安価で売りやすい」ものはむしろ歓迎していません。
販売価格が高額で掛けが低いという「うますぎる話」が望みです。

この辺でひょっとすると、頭を抱えた方もあるかもしれません。
そうです。実際問題として専業書店の現場のかなり多くの人は、たとえば音楽CDの仕入れ値が実はかなり高く、きちんと利益を出していくのはかなり大変だなどということは知らないのです。

書店で売れるものは限られている

実は書店にふさわしいタイトルが案外少ないという問題もあります。

返品作業や納品調整の問題でマルチメディア商品にマイナスイメージを持った歴史があることを述べましたが、マルチメディア商品が全体として売れ行き好調であったなら、そんなことは、実のところ問題ではなかったはずです。

かなりの「入店客数」を誇る商売である書店は、外部から見ると「あれだけの人が入るのだから、どんなものでも売れる可能性がかなりあるのでは?」と期待されるようです。
残念ながら、事実はそうではありません。
大人気のラーメン店に『広辞苑』を積んでおいてもおそらくさっぱり売れないのと同じです。

非常におおざっぱな言い方ですが、書店に来るお客様の多くは従来の書籍・雑誌の延長線上にあるものだけを求めます。
辞書、語学学習に関係するものはその代表例です。
ゲームやコミックス・アニメに関係するものなども一見いかにもマルチメディア的に動いているかのように見えるかもしれませんが、あくまでもそれは元になるコミックスやそのキャラクターの延長線としてです。
写真集の進化代替品とでも言えるようなジャンルも手堅い部類ではありますが、実は(モニタなどを設置していない店舗も多いので)「立ち読み」が出来ないために、本来期待できるかもしれない売り上げよりもブレーキがかかっています。

「分かっているならなぜモニタを置かない?」とイライラしますか?
今はモニタそのものも小さなものならかなり安いものがありますから、確かにおっしゃるとおりです。
場所を空けるのが怖いのかもしれません、無意識にせよ。
書店員はあらゆる場所を商品で埋め尽くすことに慣れています。単価が安めの商品を大量に販売しなければ経営が成り立たないので、商品がない空間を恐れます。
モニタを置くためにはその分商品を外します。外した商品から期待できたかもしれない利益を上回るものを、モニタを設置することで得られるのかどうか、疑心暗鬼になってしまうのです。

取次さんやメーカーさんの側には「おいしいとこだけ仕入れて他はいりませんというわけにはいきませんよ。普段から常時××タイトル展示してくれるとか、やっぱりそれなりに協力してくれなくては」という思いがあるだろうことは理解できます。
理解できますが、書店ではそれはちょっと無理かもしれません。
書店は単に「多くの人が集まる売り場」なのではなく、今の時代になってもあくまでも書籍と雑誌を売るところだからです。
一部の人が強く主張するように、そういう状態が時代遅れになりつつあるのだとしても、いまだに書店に来てくださるお客さんのかなりの部分は書店が書籍と雑誌を売るところであることを期待していることに変わりはありません。
古いものも新しいものも含めてたくさんのタイトルの中から映画DVDを探したければ普通はそれ専門の場所へ行くでしょうし、音楽DVDが欲しければやはりそれ専門の場所へ行くでしょう。
書店の店頭で「見かければ購入する」つもりでいるものは、あくまでも書籍と雑誌の延長線上にあるものが中心なのです。

積極的に扱ってもらうためには?

以上のことから、書店店頭でマルチメディア商品を積極的に展開してもらうにはどうしたらいいか、あくまでも現状では、ですが、かなり明らかです。

  1. 扱いやすくする
    可能ならば普通の書籍にしてしまうことです。
    あくまでも書籍にマルチメディア商品が「付録」として付いているという形にすること。本当はマルチメディア商品がメインでそれにほんの数ページの解説が付いているのが現実であっても、流通上は書籍にしてしまえば、書店はあらたな煩雑さに悩まされることがあ りません。
    書籍という形態があきらかにふさわしくない場合もあるでしょう。その場合には逆に、どこから見ても本や雑誌ではないとはっきり分かるパッケージングをすることです。
    取り扱いが面倒だという感情的な反発を出来るだけ回避するわけです。
  2. 書籍・雑誌の延長にあるタイトルを開発する
    これも単純です。辞書、コミック・アニメ関連などをすでに挙げましたが、地図でもいいし、料理などの実用書でもいいでしょう。
    「進化代替品」としての性格を持っていれば、書店に来るお客さんの抵抗は少ないです。
    一時期、材料そのものをパッケージしたビーズの本が過熱状態でしたが、あれも電子機器を利用する/しないという枠を外して考えれば立派な実用書の「進化代替品」でした。
    身も蓋もない言い方をしましょう。
    書店に求められているのは「ちょっと知的な暇つぶし」です。
    書籍・雑誌の延長ではないのに、知恵の輪が一時期よく売れていたのはこのためです。
    クラシック音楽や映画は確かに「ちょっと知的な暇つぶし」かもしれませんが、必ずしも書店におかれることが最も馴染む商品というわけではありません。
    その一方で、たとえば古典落語などはおそらく書店に馴染みやすいでしょう。
  3. ピンポイントの仕入れを許す
    書店向けにパッケージングを変えたり、書店向けだけに独自タイトルを開発することが無理だという場合も多いでしょう。
    その場合は、シリーズやグロスでの仕入れを強要せず、ピンポイントでの仕入れを許すことです。
    それが取次さんやメーカーさん側にとってメリットになるかどうか、という問題は確かにあります。でも(傲慢な物言いに聞こえるかもしれませんが)書店の店 頭に置かれることを期待するなら、そのような条件で自分たちが割にあうか秤にかけてみることが必要な場合も出てくるでしょう。

 

いずれ機会を改めて…

今回はあくまでも「もしも書店の店頭で積極的に扱われることを期待するなら」という方向からのお話しだけをしました。
ですから、書店側の無知や誤解、書店自身の業態の変化の必要性など、書店側の努力を必要とするはずの部分は、ほとんど追求していません。
そのあたりに不満や反感を感じた方々にはお詫びします。

いずれ機会を改めて、そのあたりのことも加えて書き直しや追記をするかもしれません。

※ご注意:一部の記事は書かれた時期が古いために現状と合わない場合があります
この文書の趣旨」でもご紹介しているように当コーナーが本にまとまったのが2008年(実際に原稿をまとめたのは2007年暮)なので、多くの記事はそれ以前に書かれています。
そのため一部の内容は業界の常識や提供されているサービス・施設等、また日本の世間一般の現状と合わない可能性があることにご注意下さい。