本は大量に売れるものなのか?

投稿者: | 2011年4月24日

大量販売が前提のシステム

雑誌の場合はひとまずおくとして、書籍は大量に売れることが大前提になって全ての議論がなされ、システムもそのように最適化されているように感じます。
しかし本当にそれは現実的なのでしょうか。
いや、我が社ではそんなことは考えていない。
少量の部数でもきっちりと効率販売することで黒字にするという方針なのだ。書籍の全てが大量販売を前提にしているという印象自体が誤解だ。
…という反論が当然あるでしょう。
そのような版元さんはおそらく私が直接知っている以上に沢山あるでしょうし、その態度は理解できます。いや、むしろ共感するくらいです。

10万部売れる本は気持ちが悪い

本は食料や飲料ではありません。
一冊一冊が、ある異なる世界観を伝えるものです。
私個人は、実は恋愛小説という類のものが非常に苦手ですが、しかしそれがサブジャンルとして半永久的とも思える繁栄を誇っているのは、おそらく恋愛という人生で非常に多くの人が共通して体験することに対して、様々な角度からの「視点」を提供するからです。
このことは実はノンフィクションに当てはめても基本は全く同じです。
ある事件なり歴史的事実なりをどのように見るかという「視点」を提供するものです。
つまり、人間というのは(おそらく本能的に)常に自分と世界の関わりを自省し続けるいきものであり、単に自分の人生を生き抜くことのみでは満足できないという不思議に異端的ないきものです。
このように考えれば、ある一冊の本(あるひとつの世界観)が10万人に「素晴らしい」と言われるのはちょっと気持ちが悪い状況です。
100万人ということにでもなれば、かなり不気味な様相を呈していると言っても良いはずです。
しかし、そのような本は「賞賛」されることがほとんどで「不健全だ」とされることはめったにありません。

ベストセラー前提が多様性を圧殺する

本は、可能ならば、どんな少数意見でも、それに共感する少数の潜在読者の手元に届くべきでしょう。
しかしそれが実現できていないのは、版元さんの志の問題ではありません。書店という、現状でもまだ主要な販売場所が、それでは経営を維持していけないからです。
1000部をきっちりと販売して経営を成り立たせてゆく版元さんというのは、じゅうぶんあり得ます。
2冊をきっちりと販売して経営を成り立たせてゆく書店というものは、残念ながらあり得ません。いきおいベストセラーを確保することに狂奔する方向へ行かざるを得ません。

ずいぶん昔、私は半ば冗談で「書店はカタログでもよいかもしれない」という発言をしたことがあります。
書店店頭には各1冊ずつしか商品が無く、それはすべて「見本」であるという形です。お客さんは「実物見本」を吟味するために書店へ立ち寄り、商品内容に満 足をしたら自宅へ送付してもらうなり店頭へ受け取りにくるなりの形で入手をする。ただし、入手は原則として24時間以内程度。
ひどく反感を持つ方も当然あるでしょうが、このようにするとベストセラーと言われるものに多大な場所を割く必要もストックを持つ必要もないので、相対的により少部数の販売しか期待できないものに対しても場所と経費をつかう余裕が大きくなります。
このアイディアの有効性はいささか疑わしい面もありますが、そのようなアイディアも含めて、本の「出版」ではなく「販売」に関して真剣に検討し直しても良いはずだとは思います。

ベストセラーそのものを完全に否定したり非難したりしているわけではありません。私だってたとえばパトリシア・コーンウェルの『検屍官』シリーズがベストセラーになることに、かつて一役買った読者の一人であることは間違いありません。
問題は、ベストセラーが存在することが前提になって全てのシステムが出来上がっていることの方です。
それは「不健全」です。