書店員だった頃、ふと思ったりしました。
「ベストセラー本というのは土嚢みたいだな」
土嚢(どのう)つまり、河が増水した時に堤防の上に積み上げたりするあれです。
ベストセラーはもちろんとても大切です。切らしてしまうと、堤防が決壊したように大変なことになってしまいますから、必ずせっせと積み上げます。
ある日、上流のどこかで「ベストセラー!」という警報と共にダムが決壊するわけです。
お客様が逆巻く奔流となって押し寄せます。
土嚢がじゅうぶん高く積み上がっていないと、販売機会損失・評判低下・時に面と向かってのクレーム等々の大災害が発生します。
ですから、書店員はかならずせっせと土嚢を積み上げます。
しかし、だからといって土嚢ひとつひとつに思い入れをする人もいないのと似て、必ずしも全てのベストセラーに深い思い入れを持つわけではありません。
堤防の決壊を防ぐために黙々と土嚢としてを積み上げるだけ、ということも少なくありません。
極論をすれば、ある本が「土嚢になった」と判断された瞬間に、何月何日までは毎日何冊在庫があるように補充せよというきわめて機械的な指示を与えて、昨日入社してきたアルバイトさんに丸ごと任せてしまってもかまわない。
土嚢化した本は「あればいい」のです。
… …。
えーと、たった今、出版社の方々、書店の方々、そして「私が好きだったあの本も『土嚢』呼ばわりするわけだな?」とムッとした一般の本好きな方々、合わせて200億人くらい敵を作ったと思います。
ある本がベストセラーになり「土嚢化」すると、その全てが嫌いになり、価値を認めなくなる、と言ったわけではありません。
元々好きだった本がベストセラーになれば、やはりその本は相変わらず好きです。
しかし、ベストセラーになった時から、その本は必要以上に手をかける必要がないものになります。
ベストセラー以外の方が大切
土嚢化した本は、ある意味で「純粋な商品」です。
正しい販売データ、在庫データ、そして流通との正常な連携が出来れば、それだけで仕事が出来ます。
どのようなペースで小売店である書店の店頭で減っていて、出版社の在庫とのバランスはどうか、入荷手配に要する日数はどれくらいか、という「計算」のみでほぼ対処することが出来ます。
勘や思い入れは、もはやこの段階ではほとんど関係ありません。
書店も出版社も、それ以外の本のために時間と手間を割くべきです。
以前も述べたように、ベストセラーだけで経営が成り立つほど書店経営は楽ではありません。
あるベストセラーを持った出版社さんはそれだけでしばらく経営が成り立つかもしれませんが、書店は無理です。某ファンタジー大作だけを販売して暮らしているという書店が一軒もないことを考えれば、そんなことは一目瞭然です。
自社で直営の書店チェーンを経営しているのでない限り、出版社さんはやはり小売りの場所が必要です。
そんな風に考えたことはあまりないかもしれませんが、小売りの場所を維持しておくためには、御社のベストセラー以外のものをどのくらいきめ細かく、効率よく売り上げてもらうかということにこそ力を注ぐ必要があります。
小売りの場所が縮小すれば、出版社さんは別の販路を見つけるか、直販でも利益が出るシステムを早急に作るかしなければなりません。
ベストセラー単品はいつかは必ず売れ行きが止まります。
ダムは修理され、警報は解除され、奔流は止まります。
そのあとには必ず「日常生活」が始まります。災害に立ち向かって力を合わせた人々もそれそれの仕事に戻り、見事な采配ぶりを見せた村長も村道の修復にいくら予算を割り振るかといった細々として頭の痛くなるような業務に戻っていきます。
しかし、それらが地道にきちんと続いていなければ村は破綻します。村が破綻すれば、次の氾濫には決して対処できないでしょう。そもそももうその時、村はないかもしれません。
書店はベストセラーを売る場所ではなく、日常を地道に生き抜いていく村のようなものなのです。
売れなくなったポテトチップスが展示されているわけ
実は最近はもうコンビニでポテトチップスはあまり売れていない、ということを知って、ちょっと驚きました。
実際ポテトチップスそのものはあまり売れていないのだけれど、かつてポテトチップスをよく買っていた世代が今はそれなりの年齢になって客単価が高い購買層 になっている。そのような客層がコンビニエンスストアに来店し続けてくれるように、今でもそれなりの棚面積に展示し続けている、ということのようです。
効率化の権現のように思えるコンビニエンスストアも、ベストセラー商品を機械的に上位から並べているだけでは経営が成り立たないという証拠です。
私個人は昔からポテトチップスはほとんど食べませんが、しかしどうもその「世代」とはまさに私の年齢前後の世代だと思われます。
「ああ、世の中の流れを理解していなかったな」とちょっと反省しました。そういえばかつてあんなにもあったポテトチップスのTVCMも最近はほとんど見かけなくなったなぁ、などと今更のように気付いたりもしました。
多分のこの「世代」は、今でもポテトチップスを買い、ついでに雑誌を買ったり、食玩を大人買いしたりしてコンビニエンスストアの経営に貢献しているのでしょう(笑)
土嚢化したベストセラー本以外の部分に手間と時間を割くべきというのは、たとえばこういうことです。
ベストセラー商品以外に何をどう展示するか、どのように「組み合わせ購入」を誘うかなどの方が大切なのです。
間違った効率化や拡販戦略を押しつけない
ベストセラー以外の商品、もっと言えば他社同士の商品を組み合わせる自由と責任はもちろん書店のものです。
その全てに出版社も全面的に関わらなければならないというのであれば、ボランティアで書店経営に参加させられるようなものです。たまったものではありませんね。
市場そのものを拡大するとか、顧客の質を高めるとかの高邁な目標でそのような行動を積極的にするつもりがあるのであれば、もちろん大いに歓迎します。(皮肉ではありません)。
しかしこれは、皆がそうすべきである、と強要するものでもありません。
版元さんに一番力を入れて欲しいことは商品を作ることです。それをないがしろにしてまで他のことに協力するよう求めるのは本末転倒です。
ただ、ベストセラーに目がくらんでそれだけを「10面積みしてください」とお願い行脚して回ったり、「売り上げランキング上位xx位以外ははずしてください」と自信満々の効率化を説いて回ったりはしないで欲しい。
それではポテトチップスを捨てることになるのです。
いずれは「ポテトチップス世代」ももっと歳をとって、さすがにポテトチップスは買わなくなっていくでしょう。
おそらくコンビニエンスストアの本部では、この世代に向けて次はなにを展示すべきか、あるいは、この世代に代わる別の客単価が最も高くなる購買層はどのような人々で、その人々に向けてどんなものを展示すべきかということを、すでに真剣に検討しているでしょう。
書店も日常やっていること(やるべきこと)は同じです。
なんとかして今を生き抜き、未来も生き抜けるように考え、悩み、実験し、商品構成のバランスを変え…そしてまたそれを果てしなく繰り返します。
こういったバランスの調整は実に難しいものです。また、常に微妙に移り変わっても行きます。
全く悪意はなくても結果として、書店がこのような調整や実験に取り組むことのじゃまをすると、最後には自分たちの首を絞めることになりかねません。
ベストセラーは災害です
ベストセラーがなぜ生まれるのか、私には分かりません。
ベストセラーになったものは、出版された時点でターゲットにしていた女性層から男性サラリーマン層へと客層が広がったとか、特定のパターンに当てはまるタイトル付けがなされていたとか、様々に後付で分析してみることは出来ます。
しかし、その「成功法則」に沿った別の本が必ずまたベストセラーになるわけでもありません。
なぜその本がベストセラーになれなかったか、欠けていた要素はなんだったのかを、また後付で分析することも出来ます。全ての要素は揃っていたけれど重版配本と広告掲載のタイミングを見誤ったことが決定的な失敗だったかも、などと。
しかし結局、単に「よく売れる」のではなく土嚢化するほどのベストセラーになるものは、私の能力ではとうてい予測しがたい、というのが正直なところです。
本という商品が、初版分は事実上市場調査を兼ねたテスト品であるという側面も、分からなさに拍車をかけます。
ごく一部の雑誌などを除いて、あらゆる本はぶっつけ本番のテスト販売なのですから、そういう意味ではずいぶん無謀な業界です。
書店の店頭は販売場所というよりメーカー展示会になってしまう危険を常にはらんでもいます。
ベストセラーは計画的に作ることが出来る、と言う人もいます。
そうかもしれません。
しかし私には分かりません。
「ベストセラー!」という警報は、しばしば誤報だったり、意図的な誤報だったりします。身構えていると、結局ダムは決壊しない。
出版社さんがベストセラーを望むのは自然で当たり前です。実際にベストセラーが発生するなら、それは書店も望むところです。ですから、計画的にベストセラーを作ろうとすることを否定するわけではありません。
しかし、繰り返して言っておきますが、書店はベストセラーを売るために存在しているのではありません。
「そもそも本とは…」といったような情緒的な側面を抜きにしても、収益構造として、ベストセラーだけを売るために存在できるようにはなっていないのです。
ベストセラーは(良い結果をもたらす場合が多いとしても)一種の災害であり、大ベストセラーになった本は土嚢です。
そればかりを待ち望んだり、やたらと土嚢を入手することばかりに狂奔したりすることは、いずれは業界全体を荒廃させます。
※ご注意:一部の記事は書かれた時期が古いために現状と合わない場合があります
「この文書の趣旨」でもご紹介しているように当コーナーが本にまとまったのが2008年(実際に原稿をまとめたのは2007年暮)なので、多くの記事はそれ以前に書かれています。
そのため一部の内容は業界の常識や提供されているサービス・施設等、また日本の世間一般の現状と合わない可能性があることにご注意下さい。