ゾンビランドサガを観て自分の傲慢さを知る新年

投稿者: | 2019年1月1日

年末に2018年を振り返るとか、新年に2019年の抱負を語るとか、なにかそういうありがちなことをしなければならないような気もしたが、やりたくなかった。
2018年はとても大変だった。
自分にはコントロールしようのないことが、コントロールできないタイミングで勝手に起こるのが人生で、それに対処する人間は結局のところ自分しかいないというまったく当たり前のことを、この歳になってからあらためて思い知って、ちょっと人生観が変わりそうなくらい大変だった。
今しなくてもいいことは可能な限りあと送りにしていつも余裕を残す、と言えばば少しもっともらしいけれど、とりあえず怠惰な人間だった私が、今やれることはできるだけ今やってしまおうと少しだけ思うようになってしまうほど、大変だった。
でも、そういうことを長々と書き連ねたくなかった。

それなりに人気のようだったが時間も気持ちの余裕もなくて全く見ていなかった『ゾンビランドサガ』を、AbemaTVでまとめて観た。
たいへんによくできいる。
作画はきれいだし、ちょっと笑ったり、ちょっと泣けたり、というバランスもいいし、ローカル密着を持ち込むのもいい。
感心した。でも、なんだか手放しで「好きだ」とも言えない微妙な気持ちが残った。
とてもよくできてはいるけれど、そこからはみ出していないなぁ、と。

そう思った時「あぁ、これ『海街diary』に対して思っていることと同じか」と思い当たった。
とてもよくできていて、とても高品質だけれど(そりゃあ吉田秋生なんだから当然だ)、本当はもっとやれることがあっただろう、という思いは結局最終巻まで変わらなかった。

書店で働いていた年数が長く「『素晴らしい本だ』を主張できるのは売り上げた奴だけ」とか「『いい本屋』と言われながら倒産したら地域に対する責任は果たしていない」と本気で思っている。
そのくせ個々の作品に関しては、それが売れることとのバランスを上手に取っているように思えるとき(それが意識的であろうと無意識であろうと)非常に点が辛くなるという矛盾した態度もずっと変わらない。
きっと私はずいぶん傲慢なんだろうな、と思う。
なにかを生み出す人たちには常識を超えてほしい。それで「売る」ことに苦労させられるのは商売人の本望。とでも思っているんだろう。
もう、自分では売る立場ではないのだから、そもそも何様のつもりだという話ではあるが。

『ゾンビランドサガ』はまだどこかへ突き抜けていける可能性がたくさん残っているので、つかみは成功したんだからがんばってほしい。
たえちゃんの過去はまだいっさい触れられていないから、その辺に斜め上行くなにかをもちこんだりとかしてほしいしね。

いい歳してそんな新年どうなんだというのは、まあ、来年まで保留。