Google Keepで日記

投稿者: | 2019年1月20日

Google Keepは、悪くはないけれど正直使いどころが微妙、という感じになりがちなサービスのように思う。
いやもちろん「そんなことないよ、すげーいいよ」という人もいるだろう。
手軽にメモがとれるし、削除ではなくアーカイブしておけるし、URL入れれば可能な限りサムネイルを取りに行ってくれるし、付箋のように色分けできてしかも色そのもので検索できる。ラベルも使える。画像ファイルも貼れる。チェックボックスつきリストが作れる。そしてリマインダもセットできる。別のGoogleアカウントのKeepと共有を許可することが出来る。…と機能を列挙してくると、なんだかすごく便利そうなんだけれどね。
じゃあもうこれ一本でなんでもやるよ、と言いたくなるはずなんだけれど、「なにを?」ということになる。
つまりこのサービスは何のために使えば一番便利なのか、手になじむのか、微妙にわからない。

そんなわけで私自身、比較的長期間参照することになるだろうな、という資料的なメモを残しておくことと、スーパーに買い物に行く時にチェックリストを作ることにしか使ってなかった。
買い物のチェックリストを作るのには、わりと便利。リストをドラッグ&ドロップで簡単に並べ替え出来るから、とりあえず思いつくままに書いていって、そのあとで野菜なら野菜でひとまとめに並べ替えたりね。

最近ふと思いついて、Keepで日記をつけてみた。
PCからでもスマートフォンからでも(つまりはほぼいつでも、どこでも)、さっと呼び出して書けるので、思いのほか良い。

その日何時に起きたのかとか、何を食べたのかとか、どうでもいい些細なことの方が数年経って読み返すとなんだかリアルにその当時の自分が蘇るということがある。何かを考えたり、分析してみたり、ということもまあ無意味ではないけれど、時間が経つと案外どうでもよかったりする。どうせ限界のある能力の人間がいくらその時々に立派なことを考えたつもりだったり、深く分析してみたつもりだったりしても、ただ時が経ったというだけで自分自身でも簡単にあらが見えたりするものだ。
それよりも、日々何を食べて、どこへ行き、何をして、帰路のコンビニで何を(思わず)買って…みたいな記録は、時間が経つと面白い。
歴史書も嫌いではないけれど、一次資料にあたるとある中世の下級貴族の毎日の食事だの愚痴だの金の苦心だのを、何百年を隔てて読むとなんともすてきな気分になるものだ。
そういう意味で、淡々としたつまらない日記は大事だと思っている。

思っているけれど、昔のように今さら紙のノートや日記帳に手書きはしたくない。その一方日記アプリと称するものは、どれも妙に無くてもいいような機能やデザインが多いうえに、ひどいものになるとデータを汎用的なデータ形式でエクスポートできないものさえあったりして、これまた使いたくない。ただテキストが書けて、必要ならたまに撮った写真が貼り込めればそれでいいだけなんだよなぁ…
と思っていたら、あ、それKeepでできるわ、と。
よけいなことはしない。純粋にテキスト。検索くらいはできる。軽い。
実はKeepでじゅうぶんだった。

Twitterアカウントをカップルが共有するという、えー…まあ、当人たちが楽しければいいんじゃないですか、というものもあるけれど、Keepで交換日記できますよ。共有を許可しておけば、交換日記がほぼリアルタイムで相手に届くというラブラブ仕様ですよ。

GoogleがKeepのサービスをいつまで維持してくれるかな、ということだけが懸念といえば懸念。この辺はインタネットサービスの宿命だけれど、Googleはアカウントごとにほとんどのサービスのデータを出力できる仕組みを提供しているからそんなに心配していない。