外国人のように

投稿者: | 2011年4月5日

ある牧師さんの言葉

まだとても若かった頃、私は非常に真面目でした。
いや、本当です。
街を歩くとめったやたらと宗教がらみの人に声をかけられてしまい、おまけに思わず真面目に受け答えをしてしまうというくらい真面目でした。

18歳のある日、ひとりの牧師さんに町なかでいきなり「カミヲ シンジテ イマスカ」と声をかけられました。
唐突だったせいもあり、私は真面目に悩み始めました。
特定のある神様を信じているこということはない。
しかし、世界が何か神のようなもの全く抜きで存在しているともなかなか思えない。
さてどう答えたものか…。
私が悩んでいると、その人はにっこりと微笑み、静かに私の胸元に手を触れて
at your heart?
と言いました。

at heart というのは、内心は, 心底では、あるいは、気持ちの上では、という意味のフレーズですが、その瞬間の私に分かったのは heart という単語と、相手が微笑みながら私の胸に触れたということだけでした。
それでも、相手が言いたいことはじゅうぶん分かりました。

宗教がらみで声をかけられたほとんどのことは、もう何も覚えていませんが、この時のことだけは今でも時々思い出します。
たったあれだけのことで、瞬間的にコミュニケーションが成立したという驚きだけが、鮮やかな記憶に残ったからでしょう。

テクニックより以前に

さて。
ある宗派の修行として若い人々が声をかけて歩く姿はよく見かけますが、あの人は違いました。服装からしてあきらかに、すでに正式の聖職者でした。そんな人 が町中で声をかけていたというのも少し珍しいですが、それだからこそプロフェッショナルの力があった、ということかもしれません。

しかし、それは「テクニック」というものとは、少し違うと思います。
率直に、一番伝えたいことを、いかにして相手の心に送り込むか、という最大限の努力の結果が「微笑む」「胸に軽く触れる」「at your heart?」というたった三つの要素に凝縮されていました。
日本語はあきらかに下手でした。
もっと上手なら、at your heart? と言う代わりに日本語で何かもっと上手いフレーズを言ったかもしれません。
それでも私に何かをなんとかして伝えたかった。

これはテクニック以前の何かです。
工夫や洗練が積み重ねられて、やがてテクニック(つまり使い回しできる道具)になっていくかもしれませんが、この段階では違います。
そもそもテクニックを身につける前に、自分が何かをどうしても伝えたいという強い気持ちがあるのか、あるとすればそれはなんなのか、ということをあらためて自省してみてもいいのではないかと思います。

外国人のように語る

あなたが外国人である。あるいは、あなたが外国人に対して、語る。どちらのシチュエーションでもいいですが、そういう仮定で考えてみましょう。
あなたは今海外からやってきたばかりで日本語がおそろしく下手なのに、それでも日本人に対して何かを営業しなければいけない。
あるいはあなたは日本人だけれども、日本語がほとんど出来ない外国人に対して何かを営業しなければならない。
こういうシチュエーションの時に、のんべんだらりと頭から順番に「説明」していって、相手が答をくれるのを待つ、ということやり方ではらちがあかないのは明らかです。
とりあえず雑談で場を作って、おもむろに説明を始めて反応を観察し、相手のプライドを巧妙に突いたり上手くボケて見せて警戒を解き…などという、世間で上手いといわれる営業のテクニックなど、事実上全く使えません。
何しろ相手の反応の大部分は、多分「はあ?」や「what?」だけでしょうからね。

自分だったらどうするか、ぜひこの仮定を試してみてください。
絶対に理解してもらいたい一つか二つのポイントだけを、分かりやすく、印象的に、相手に伝える最大限の努力をするほか手がありません。熱意と個性と分かりやすさを最大限に発揮する必要があります。

文化や生活習慣のギャップはいつもある

外国人と意志の疎通が難しいのは、言葉の問題だけではありません。
言葉の背景になっている文化や生活習慣も、全く違います。意志の疎通の前提になる、暗黙の了解の部分が非常に少ないということです。

外国人と話そうとする時にはこのことが顕著になりますが、実のところ、日本人同士でも同じです。他人同士が語り合うということにはそのような文化や生活習慣のギャップが必ず存在しているものです。

私は北海道の出身ですが、大学に入学するために初めて関東へ出てきた頃は、関東の人々の多くがちょっとトゲトゲしくて意地悪だと感じていました。

「関東」とひとくくりにされることに反発を感ずる方もあるでしょうし、これから申し上げることをご自分では全く意識したことがないためになんとなく不愉快に感ずる方もあるかもしれませんが、決して「悪口」ではありません。
単に私が持った「印象」です。

半年、一年と過ごすうちに、関東の人々の多くがちょっとトゲトゲしくて意地悪だというのが誤解だということがもちろん分ってきました。しかし、違いそのものは確かにありました。
関東の方は一般に、表面的には他人の欠点などをきつくからかうような話し方をよくします。少なくとも、(かつて私が暮らしていた頃の)北海道の一般的な会話では考えられないようなことを口に出します。
しかしよく観察していると、他人に対して言うのと同じくらい自分自身のこともきつく言っています。

おそらくこれは:
『一見きついことを言うようだけれども、自分も含めていろいろと欠点があるってことは分かっているよ。気にしてなんかいないよ。
その証拠にほら、笑いながらこうして口に出している。
そういうことを分かった上で、それでも私はあなたとこうして楽しくつきあっていきたいと思っているよ。
大丈夫、つきあっていけるよ。』
きつめの冗談に紛らせながら、そういうことを相手にそれとなく知らせる、非常に微妙な「気の使い方」「処世術」のようなものではないかと思います。
ひねくれているとも言えますし、洗練されているとも言えます。

かつての北海道ではそこまで洗練されて回りくどいことはしませんでしたから、表面上「北海道の人は温かくて素朴だ」と感ずる人も多かったようです。
しかし同時に、つきあいを維持するために徹底的に気を遣ってはいませんから、自由ですが、離婚も非常に多いです。
ここにはあきらかにある種の文化のギャップがあります。

さてしかし、それでは北海道内の人間同士ならなんのギャップもなかったのかというと、これも違います。
私は札幌と道東地方で多くの時期を過ごしましたが、たまたま函館へ出かけた時に:
「どこから来たの?」
「札幌です」
「あら、奥地からよく来たね」
とごく自然に言われて、びっくりしたことがあります。
奥地ってあなた、札幌は北海道庁所在地ですが…。
大体ろくに高層ビルもないこの平べったい街から見れば札幌は…。
…しかし歴史的に、北海道が発展していったのは函館など北海道最南端からであり、函館に昔から住んでいる人々にとっては、もっと北や東は(おそらくアメリカの西部のような感じで)苦労と貧しさの中で開拓されていった『奥地』なんだろうな、とようやく理解して、無意味な自尊心の発露は控えました。

このように、少しずつ近づいて行くことはあっても、文化や生活習慣のギャップというものは完全に消えることはありません。
あなたと、あなたの友人の間にもそれはあります。
そして、あなたが営業に出かけて合う人々との間にあるギャップは、友人との場合よりも、あきらかに大きいでしょう。

みんな少しだけ外国人

他人はつまり、みんな少しだけ外国人です。
みんな少しだけ外国人なんだ、という前提をはっきりと受け入れてしまえば、営業のテクニックを教えると称する本を何冊も読むより早く、より多く、分かってくることがあるでしょう。

普段の営業で自分がどう行動をしているかを自省してみると、お互いの間に暗黙の了解が沢山あると勝手に決めつけて行動している部分が、とても多いことに気付くでしょう。
相手に絶対に伝えたいポイントに全精力をつぎ込むのではなく、けっこうダラダラと「説明」してしまっていることにも、気付くでしょう。
「冒頭の雑談で相手の好みを探り出し相手を誉めることから始める」だの、「豊富かつ明快な情報で説得力を高める」だのといった『出来る営業マン』的な教えが、実はいかに表層的なものであるか露わになります。
そのような本の著者やセミナーの講師の方自身は、他人と意志疎通を図るということのこういった基礎部分を、はっきりと「体感」されているのだろうと思います。
当然の前提となっているので、わざわざ口に出すことは滅多にないのだろうと思います。
そう信じたいです。
しかし、それを読んだり聞いたりするだけの人々の多くは、残念ながら違います。
単なるテクニックとしてそれを実践してみたらうまくいくことも多かったという、個別の事例を積み重ねるだけです。
それでははいくら「勉強」をしても、(悪い意味での)経験と勘に頼っているだけです。

あなたの常識をいったんリセットして、「みんな少しだけ外国人」と思ってみる。
うまくそう「思いこめ」なかったら「パードン?」とか「レット・ミー・シー…」とかこっそりつぶやいてみる。

今日あなたが出かける営業先は…そう、たとえばキプロスです。
あるいはマダガスカル。いや、ニュージーランド。

ああ…海がきれいだなぁ(笑)

さあ、行きましょう。

※ご注意:一部の記事は書かれた時期が古いために現状と合わない場合があります
この文書の趣旨」でもご紹介しているように当コーナーが本にまとまったのが2008年(実際に原稿をまとめたのは2007年暮)なので、多くの記事はそれ以前に書かれています。
そのため一部の内容は業界の常識や提供されているサービス・施設等、また日本の世間一般の現状と合わない可能性があることにご注意下さい。