時々情報インプットを減らす

投稿者: | 2018年3月6日

思い立った時、できるだけ情報のインプットを減らすようにしている。

昔はがむしゃらに情報をとにかく多く受け入れて、毎日それを消化することを自分なりの日課としていたような気がする。
疲れていても、眠くても、とにかく毎日収集しているこの情報にひと通り眼を通し終わるまでは休まない、というようなことをしていた時期もあった。

確かにそうやって繰り返すことで修行のように時間をかけて結果として身についたこともあった。
そもそもある仕事をしているならコレやアレについては常に最低限知っておくのが当然ということもある。
自分が反感を覚えても話題になっているテーマや人物の情報収集を継続的に行って、自分の世界が狭くなったり独りよがりの中に安住したりしないようにする、ということもある。

今でもこれらのことは大切だとは思っているが、サイトやブログを「巡回」していた頃に比べると、SNSで簡単に情報を追えるようになったせいか、わりと情報過多になりがちに感じている。少なくとも、私個人はそうなりがち。
Twitterでたまたま面白い発言をしている人を他人のリツィートで見つけたからその人をフォローする。面白そうなテーマのアカウントを見つけたからフォローする。Facebookで面白そうな企業アカウントページを見つけたからとりあえずフォローしておく。Instagramでちょっと興味を持っていたブランドがアカウントを開設したからとりあえずフォローする……というようにひたすらフォローが、結果として、増えていく。
フォローする時には、面白いだろう、役に立つかもしれない、これは知っておくのが自分のためになるはずだ、等などと思ってはいる。思ったから情報を追い始める。
でも、多くの場合、全部は本当には必要ではない。
面白いと思った人は常に面白い(と私が思える)わけではないし、興味深いと思ったテーマも実は(私は)一時的にそう思えただけだし、企業アカウントというのはえてして退屈な情報発信内容になりがちだったりする。そしてなにより、単純にそれらがそれなりの努力をしないと、消化できない量になってしまっているために、一番面白い情報も消化できなくなるという本末転倒の忙しさにはまり込んだりする。

だから時々、バッサリと捨てることにしている。
たとえば、Twitterは「必ずどのツイートも見る」と決めているアカントだけを集めたリストをTwitterのリスト機能で寄せている。そこの毎回出てきて結局見ないとか、鬱陶しいとか思うようになったら「必ず見る」というくくりではなく大雑把なジャンルごとのリストへ格下げする。そのリストも定期的にチェックするけれど、そこでも同じことを感ずるようになったら、切るようにしている。

もうひとつの小技として「きわめて有名な人のアカウントはあえてフォローしない」という自分なりの決め事がある。
その人のアカウントを自分が直接フォローしなくても大きな動きがあれば必ず私がフォローしている他のアカウントで反応があるし、反応がなければたとえ世間一般で大騒ぎされていようとも「少なくとも私が親しみを感じたり信頼したりしている人々にとってはどうてもよいことだった」と見なして無視して良い、という風に考える。
他の人の判断の総量をフィルターに使うわけだね。

Instagramの場合はもうちょっと大雑把というか、総量として考えていて、タイムラインの全体量が増えてきて自分が本当に追いたいアカウントを見逃しそうになった結果、そのアカウントにInstagramの機能の「投稿のお知らせ」設定などをしたくなるあたりが、整理のし時。
Instagramの場合ひとつひとつの投稿が必ず一定の大きさ(画像の高さ)を占有するので、結果として他の、文字だけの情報も交じるSNSよりも圧倒的にタイムラインが物理的に長くなりがち、という面がある。実はこれ、ひそかにInstagramをみる人々を疲れさせている。ビジュアルで訴求する力が強いのはほんとうだけれど、そればかりが集まった場は案外早く情報過多になる。
そんなわけで、Instagramに対してなにか工夫をしようとし始めたら、むしろ工夫の精度を上げようとするべきではなく、情報量そのもの見直しをすると思い切ってしまうようにしている。

頑張らないようにしている。
頑張って情報を消化しようと努力し始めたら、どうあっても一般に人々が漠然かつ正直に思っていることとずれ始める。
スマートフォンで何スクロール目かで「あれ、まだ今日の分の未読を消化できない?」と思う、その素直な気持ちも、忘れないようにしたいと思っている。

むかしは、やっぱり頑張ってしまっていた。
多分多くの人はこのへんで疲れるだろう、それはちゃんと意識できている、しかし自分はその先へも行く、みたいにな。
昔の自分は、まあ、偉かったのかもしれない(苦笑)。