「それには公の価値がある」というただのおねだり

投稿者: | 2018年3月12日

先日全く関係のないことを調べている最中、更新のモチベーションを失ったサイトを閉鎖したり削除したりする必要はないと説いているWeb上の記事を、なぜか複数読むことになった。
確かにもう更新しなくなったからといって閉鎖したり削除したりする「必要」はない。そのまま放置しておいてもよい。
きちんと全てのコンテンツに日付を明示するようにすれば誰かに害を与えたりトラブルになったりすることもない、というようなアドバイスをしているケースもあった。それなりの年数続いてきたサイトには少数とはいえ繰り返しをそれを見ている人々がおり、作者が更新の意欲を失ったとしてもそこにあるコンテンツには一定の公の価値がある場合もあるのだから、可能ならそのまま公開しておけ、と。

これらの考えにもっともな面もあるとは思う。
でも、サイト所有者当人が嫌だと思っているんだから、当人の自由にさせればどうかな、と思う。個人のサイト所有者は特に、単に過去に達成した成果としてサイトがそこに存在することに価値を感じているわけではなく、サイトを更新し続ける生活全体にこそ価値を見出している場合が、かなり多い。何らかの事情で更新し続けることができなくなった時、自分の目の前に「更新し続けるつもりだったのにできないことが日々世界にさらされているサイト」が存在し続けることが、その人にとって苦痛である、というのはよくあることだ。
客観的に見ても(更新はされなくなったが)すでに達成された成果としてそこにあるコンテンツが価値が高いものだったとしても、それをどうするかは、やはり本人の自由だと思う。

ここまでは、そんなに大した話ではない。
ただ、ここまで頭の中でほぼ自動的に反論が思い浮かんだ時、ではすでに絶版になった本の情報が出版元のサイトで削除されていくことについては、どうなのか、とあらためて思った。

これまで私は、できれば将来の読者層を育てるという意味でも、たとえ絶版にした本の情報でもオリジナルのメーカーである出版社が、サイトなりで情報を網羅しつつ保持し続けて欲しいと思ってきたし、機会があると、実際そういう発言をしたことも複数回あった。

私は個人的に海外のSFやファンタジーもたいそう好きなジャンルのひとつで、そういったものの日本での翻訳は、あっという間に絶版に……なる。
今「絶版になる傾向がある」と和らげた表現で書こうとしかけたが、まあ実のところ、あっという間に絶版になるとしか言いようがない。だから、ある時期の私は世の中から消える前に全てを手元に残しておくために、翻訳されるSFとファンタジーの100%全点を購入していた時期さえあった。
金は無かったのに。
SFやファンタジーには独特の、作品ごとの影響の与えあいとか、ある作品が存在したという歴史的事実がなければ理解できない後続の作品の価値だのといった、マイナーなファンならではの、いろいろ「語りたくなる」側面があり、そんな時に参照文献に挙げたり引用したりするものがことごとく絶版で入手困難だったりすると、まったくもって絶望的な気分になる。

個人が好きでやっているサイトと、世に広く出回ることを最初から前提とした商品のための企業サイトでは、違う面はある。
でも、もう自分のところでは扱わないことにした廃番製品について、半永久的に情報整備をせよと、求めるのはどうなのか…と我が身をちょっと振り返った。
まあ、違うな、これはと。
もうやりたくない(もうこれ以上、時間を、精神力を、少額といえどもお金を注ぎこみたくない)と言っている個人サイトに、したり顔で存続の価値を説くのとある部分、重なる。

ファンがデータを詳細に、とある場所に残すというのもありだろう。
出版元にはすでにデータを整備・更新していくモチベーションはないが、少なくともファンにはある。
ただこの場合もファンにはファンのプライベートの事情がある。公の価値があるから存続させようと当初強く思っていたにせよ、あるいは関わっているのが複数人であったとしてさえも、ずっと継続できるという保証はまったくない。

実際自分も、昔々の話だが、初期の頃のFirefoxの拡張機能紹介をサイトでやっていた時期があり、そのコンテンツは検索エンジンで常に1ページ目に出てくるほどの一定の評価を得ていた。しかし、ある時期から続ける時間も気力もなくなった。歴史資料的な価値はかすかながらあったかもしれないが、消した。
だから、熱心なファンが好きにやればいいというだけでは、必ずしもうまくはいかないものだということは分かっている。

多分、それをやることでやはりいくらかなりとも金銭の還元があったり、お金そのものでなくても、本業としてやっていることに良い貢献をするように組み込まれているなどの形が、一番いいんだろうな、と思う。
そういう意味では、実は古書業というのは貴重なんだよなぁ、とあらためて思う。