世界進出を果たすと気持ちが離れる

投稿者: | 2018年3月18日

プライベートでも仕事でもどうにもいろいろ忙しい。だから結論めいたものを出すところまで書く余裕もないけれど、まあちょっと、日頃「なぜかなぁ」と思っていることを、ただ、書いておく。

◆世界進出を果たすと気持ちが離れる
Perfumeが世界進出を果たしたら気持ちが離れた。
BABYMETALも、世界進出を果たしたら気持ちが離れた。
なぜなのかなぁ、と思うが、よくわからない。
あんなに好きだったんだから世界進出したら一緒によろこべばいいのにな、と思うけれどすうっと醒める。
ギリギリ、武道館までは大丈夫なところが、また、謎。
なぜなのかなぁ。

◆論理に感情が載っている人には、イライラする
なんの話をしても、論理に感情の色付けが必ず強くついている人というのがいて、正直、私は苦手。
けれども考えてみると、純粋に論理だけという議論は、人間にはたぶんできない。
人は死ぬよりは生きたほうがいい、という話にしても、たどりつくべきその結論は生物の本能に大きく影響された好み(好き・嫌い)に過ぎないので、常にその結論ありきで論理が組み立てられるに過ぎない。
より効率的にその結論にたどりつける、とか、その結論にたどりつく途中でより多くの副次的な利益も得られるとか、それらの点で論理を競い合うことはある。
でも、最後にたどり着くべきことはなにかという部分だけはきわめて強い好みで決められているので、ゼロから論理だけを組み立てていっても実際にはなにを獲得すべきかわからないままで、論理の組み立てが単なる「無数の可能性」になるだけ、ということも大いにあり得る。

だから、実は論理に感情が伴っていない発言はなく、感情的な人がいてもダメではないよね、ということになってしまう。
しかし、ここにまた別の本能的な「好み」がはっきりと立ちふさがり、論理的に話しているはずのところに必要以上の感情を持ち込んでくるやつはダメだ、それはみなをイライラさせる、ということになるのが不思議。
しかも論理の組み立ての部分だけを取り出すと間違ってはいない、いやむしろとても優れている、という場合もあってますます面倒なことになる。
これはなにかなぁ。

……今日は、以上。