樹が好きだが樹のことを知らない

投稿者: | 2018年3月25日

まあみなさん桜桜桜桜桜桜桜桜桜桜桜桜桜桜…と言っているわけですが、この時期になるとね。

樹が大変好きで、せめていつも樹を見ていられるように自宅のPCのデスクトップはこんな感じのものを複数、とっかえひっかえしたりしている。

でも実は、樹のことをあまり知らない。
何の樹なのかすぐに見分けたりできないし、植生のこともあまり良くわかっていない。
いい樹がたくさんある公園に出会うとすぐに、ここに住みたいと思うくらい樹が好きだけれど、あまり知識はない。

植物全般が好きだけれど多分樹が一番好きで、花はとくに好きというわけでもない。だから桜にもそれほど興奮しないのでいつもこの時期は微妙な気分になる。樹は好きなんだよ、きっとみんなが一年の大半全く気にしてないのと比べれば大好きなんだよ、とか。
自宅にもいくつも鉢植えがあるけれど、観葉植物ばかりだ。一時的に花の鉢を買うことはあるが、何年もずっと育てているのは観葉植物だけ。
普段あまり意識してはいなけれど、観葉植物は自分にとって、小さな木、のつもりなのかもしれない。

こんな自分を、中途半端だとか残念だとか思わないわけでもない。
「ああ…いい樹だねぇ」と心の中で愛にあふれてくり返しているのに、その名前は知らないというのは、たしかになんだか残念だ。
けっこう小さい頃から樹が好きだったのに結局図鑑で名前を覚えたりという、いかにも子どもが好きなことに関してやりそうなことをやらなかったのが、なぜなのかわからない。
最近自分のなぜなのかわからないことにいろいろあらためて気づいているような気もするが、とりあえず、いますぐなぜなのか自分で言えない。
一念発起して植物図鑑を買いそうな気もしない。
西洋中世の生活史が好きでテオフィルス『さまざまの技能について』を持っていたり、前に紹介したようにフランソワーズ・デポルト『中世のパン』を繰り返し読みかえしたり(『中世のパン』:くり返し読む本)しているのに、樹についてはそうならなかったのが不思議。

昔、樹が好きすぎて、自分の大切な人ひとりを救うかわりに地球上の全ての樹が失われる、という究極の選択を迫られる人というSF小説を考えたことがあるが、普通の人はわりとあっさり全ての樹を捨てて、荒涼たる世界の中でも大切な人が救われたことを喜ぶだろうなぁ…と思ったので、わざわざ書かなかった。
本気で書くためにはちゃんとたくさんの種類の樹を書き分けなくてはいけないということに、うっすら気づいていたせいもあったかもしれない。
情けないことに。