床屋で昔話

投稿者: | 2018年3月31日

どちらかというと、カタカナや横文字風ではなく昔からずっとやっている、床屋、という感じのところが好き。
結果として店主は私よりもちょっと歳上だったりすることが多く、場合によると親も同じ仕事だったという人もいたりする。そこで、髪をやってもらいながらそれとなく話題を振って、昔話を聞かせてもらうのを楽しみにしている。

純粋に、知らないことは興味深いという面もある。
まあでも、うまく思い出がほどけた時には人はいきいきと楽しそうに話すもので、その温かい声を聞いているのが心地よいというのが大きい。
昔は多くの男性がポマードで髪を固めていたのでとにかく何度も何度も洗わないとそれが落ちなくて、シャンプーも今のように良いものではなかったので冬場になると手がひび割れの傷だらけになって痛くて痛くてたまらなかった、というような辛かった思い出でも、話している時にはなにがしかの暖かい光が声に差している。不思議と。

さまざまな人と言葉をかわしたり、あるいはあえて沈黙したりしながら、ずっと仕事をしているせいで自然と鍛えられるのだろうと思うけれど、ある一線を越えてまで自分の意見を主張しないとか、それでもちょっとだけ匂わせて無味乾燥ではない調子を持ち込むとか、そのへんの呼吸も大きいと思う。
これがただそこらの年輩者に好きにしゃべらせたら、こんな心地よいことにはならないだろう。

床屋に行って椅子にかけたら、それとなく店主の体調だの気分だのをさぐりつつ最初はあまりしゃべらない、というところから入ることがほとんど。二言三言、気候の話辺りからおたがいにそっと入っていく。
なんだかそのへんの静かな手順も、好き。