自分は老害だ、と思って生きる

投稿者: | 2018年4月22日

世間がセクハラやパワハラであまりにも騒がしいので思わず

歳をとると、
女性は基本みんな可愛いか生意気に見えるようになる
男性は基本みんな生意気か可愛く見えるようになる
女性と男性では順番が逆なところがミソ
歳をとることはほどんと「セクハラ・パワハラ予備軍自動生成システム」とでも言いたくなる。

などという話をここに展開しそうになって、どう考えてもははなはだ炎上待ちすぎるのでやめておいた。いまちょっと書いちゃったけど(笑)。

基本的には「自分は老害だ」と思って生きるようにしている。
歳を取ってくるとある程度以上歳が離れた人々と真剣に話す時に、かなりいろいろ迷う。いろいろわからない。

  1. 相手の主張は、経験や知識が不足しているから間違っているのか
  2. 私が実体験していない別の時代をすごして育ってきた結果としてそもそも間違いか正しいかではなく価値観そのものが違うのか
  3. 私はすでに過去の経験と知識に囚われて変化の止まった役立たずの意見をくり返しているだけなのか

これらを判断するのが、時として非常に難しい。
冒頭で書いた「基本みんな生意気か可愛く見えるようになる」というのは、良いか悪いかの判断は一旦保留させてもらうと、事象としては事実ではあるので、今自分はこのA氏がまだまだ青臭い主張をする生意気なやつだと思ってしまったりしているが、それはどのくらい脊髄反射的で反省が行われていない反応なのかをまず落ち着いて判断しなければならない。その上で極力公平に判断しようと試みたとして、今発生しかけている意見の相違は(上記)1.2.3.のどれによるものなのかよく考えねばならない……などという非常にめんどうくさい思考をめぐらせていたりする。
散々考えた挙げ句に発言すると、相手からはどう見ても自分が仕事の仕方を(業界のあり方を、日本のしくみを、人間のあるべき姿を)変革しようと真剣に提言しているのにジイさんはちょっと皮肉まじりのすかした返答しかしてこない、と誤解されかねない状態になったりする。

いやほんとに、そういうことはわりとある。
相手の真剣な発言に同じく真剣に本音で向き合うとか、言うだけは美しいけどね、ある程度以上歳が離れるとそう簡単なものでもない。
老人がそんなふうに苦労している、いやまあ、そういう風に苦労している老人も少しはいる、かな、そんなことを若い世代はあまり気づいていないかもしれない。振り返ってみて、若かった頃の自分自身にだって気づいていなかったしなぁ。

でも結局、これからの世界を生きて行くのは私より下の世代なので、基本的には自分は老害であり若い人の道を邪魔しないという判断をするようにしている。
いやそこは、邪魔になってもいいからあくまでも主張しておき、私の屍をのりこえていけ的な態度をとるべきだ、という意見もあろうかと思う。それもひとつの立派な態度だとは思うけれど、私は自分の屍がいやな思いをしてのりこえていく程の価値があるものだとは思っていないだけだ。